■「生きるための仕事」から「稼ぐための仕事」
先週は実にたくさんのことがありました。
それに話題もかなり重いものがありました。
孤独死、自殺問題、子どもの虐待、企業倒産、介護、居場所、家庭崩壊などなどです。
すべてに関わっているわけではありませんが、それぞれに少しずつ私の役割がありそうです。
社会にはたくさんの問題が山積みですが、それに取り組んでいくことを考えれば、それはすべて「仕事」になります。
仕事にはいろいろな種類があります。
先週のホームページの週間報告に、次のような文章を書きました。
今週はたくさんのことを引き受けてしまい、いささか気が重いです。先週、中小企業の社長から、融資してもらっても消費が落ち込んでいて、仕事がないから動きがとれない、といわれました。
どうしてこんなに世の中には問題が山積しているのでしょうか。
それなのに仕事がないということは、どういうことでしょうか。
「生きるための仕事」から「稼ぐための仕事」になってしまったのがとても寂しいです。
「消費」ではなく「浪費」に依存していた仕事で構成されていたのが、これまでの経済です。
「生きるための消費」であれば需要は一気になくなることなどありえないのです。
その認識が財界にも政治家にも欠落しています。
以前、このブログでも、「過疎地には仕事が山積みです」と書きました。
いま社会に不足しているのは、「稼ぎ仕事」であって、「仕事」ではないのです。
「生きるための仕事」と「稼ぐための仕事」は本来全く違いますが、お金に依存する社会においては逆に「生きるための仕事」こそが「お金を得る」仕事になっています。
これはとても不幸な話です。
江戸時代には、仕事と稼ぎは別のものとされていました。
そして、その両方ができてはじめて一人前とされたのです。
「稼ぎ」とは、「家」のために「飯のタネ(お金)」を得ることです。
「仕事」は、孫子を含めて自分たちみんなのために必要なことをすることです。
社会が壊れだしている昨今では、後者は少なくなり、「仕事」といえば、「稼ぐこと」になってしまっています。
ボランティアという言葉は、日本では無償性が強調されました。
しかし、ボランティアと上記の意味での「仕事」は全く違います。
ボランティアなどというおかしな英語を当てはめた結果、それは金銭基準の概念に成り下がってしまいました。
さらに、そうした流れの中で「儲け仕事」というものも増え始めました。
書き出すときりがないので、やめますが、「仕事」と言っても、いろいろあるわけです。
話を元に戻せば、仕事はいまもたくさんあるのです。
しかし対価としての「お金」がもらえない仕事は、みんなの目には入らなくなっているのでしょう。
そこに問題があるわけです。
経済システムがおかしくなり、困窮者が増えている今であればこそ、お金などにこだわらずに、そうした山積みされている「仕事」に着目すれば、景気対策も今とは全く違ったものになるように思います。
皆さんの周りにもきっと「仕事」は山積みされています。
そうした仕事に取り組む人が、生きていける状況を創っていかない限り、社会は変わっていかないように思います。
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