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2008/12/14

■節子への挽歌469:フェリー甲板での衝動

節子
島根県の隠岐の海士町に行ってきました。
いろんなことが海士町につながっていたので、行く気になったのです。
ある研究会のメンバーのTAさんと一緒に出かけました。
隠岐は遠いので、一人ではまだ行く元気は出てこなかったかもしれません。

朝、5時前に自宅を出ました。
米子空港から七類港に行き、そこからフェリーで3時間以上です。
TAさんが気遣ってくれて、特別室を予約してくれていたので、快適なベッドで横になっていたおかげで幸いに大事には至りませんでしたが、船酔い止めを飲んでいたにもかかわらず、少し危なかったです。

海士はとても刺激的でしたが、それ以上に、同行したTAさんとの会話が刺激的でした。
なにしろ、早朝の羽田から始まって翌日東京で別れるまで、まる2日間、ずっと議論をし続けていました。
これほどロングランで、2人で議論したことはもしかしたら始めてかもしれません。
そのおかげde
、2日間の旅行中、節子のことを思い出す空白の時間はあまりなかったのですが、2回ほど、少ししんみりと思い出すことがありました。

1回目は、後鳥羽上皇の住まい跡に立った時でした。
海士は後鳥羽上皇が流されたところなのです。
上皇の寂しさや孤独感が、なぜか節子のそれに感じられたのです。

もうひとつは、帰路のフェリーの甲板で、海を見下ろした時でした。
ある思いが全身を貫きました。
一緒にいたTAさんに、下の波を見ていると飛び込みたい衝動が出てくるね、と話しました。
若い彼は賛成してくれませんでしたが、飛び込みたくなるような衝動が足の下から全身を包み込んできたのです。
彼がいたおかげで、そしてその言葉を口に出せたおかげで、その瞬間的に湧き上がってきた衝動を抑えることができましたが、それは思ってもいないほどの衝動でした。
私の心身の中にある節子への思いは、実は何も変わっていないのだと気づきました。
生命体は本当に不思議な存在です。

フェリーはかなり大きいので、波間まで10メートルくらいありました。
かなり高速で走行していますので、波が泡立ちながら後ろに流れていく様子を見ていると、そこに吸い込まれそうな気分になってしまうのです。
人は簡単に死ねるのかもしれないと、ふと思ってしまいました。

帰宅すると東尋坊の茂さんからメールが来ていました。

派遣会社の「契約止め」により生活が苦しくなり、多くの人が東尋坊の岩場にたつため、その対応に四苦八苦しています。
そのことがすごくリアルに感じられます。

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