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2008/12/23

■居座ることの罪、居座らせることの罪

ついに麻生首相の支持率は20%を割ってしまいました。にもかかわらず、解散や辞職は眼中にないようです。
相変わらず国税を浪費するがごときの大盤振る舞いを国内外に向けて続けています。
国民の評判の悪い施策も考え直す気がみられません。
官僚の無駄遣いが話題になっていますが、首相の無駄遣いはそうしたものを勇気づける結果になっているのかもしれません。
それにしても多くの人が無駄だと思っていることを止めることもできないリーダーと言うのは一体なんのでしょうか。
無能というよりも、これは犯罪と言うべきではないかと思います。
居座ることの罪深さを知るべきでしょう。
彼がハローワークに行くために費やした経費で、何人の失業者を救うことができたででしょうか。

しかし、居座る罪以上に非難されるべきは、居座らせる罪かもしれません。
麻生さんではダメだといいながら、自民党議員は辞職を迫ることもしません。
かつての「加藤の乱」の無様さを覚えているだけに、私には期待感も起きてきませんが、加藤さんを留めた文化が相変わらず麻生さんを留めているのでしょう。
自民党の組織はホメオスタシス機能が働かないほどに壊れてしまっているのでしょうか。
野党もなす術をしりません

しかし、居座らせる罪の一半は私たち国民が負っているのです。
麻生さんが日本では一番首相に相応しいと、つい先日まで思っていた国民が一番多かったのですから。
マスコミも、そうした状況づくりに寄与していました。
今の不幸のすべては、私たちの自業自得なのかもしれません。

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