■節子への挽歌484:年賀状はやめました
節子
年賀状を書かなければいけないのですが、どうも書く気が起きません。
最近は年賀メールに切り替えているので、ハガキで出す人は100人くらいしかいないのですが、それが書けません。
昔は、私の年賀状のメッセージを楽しみにしていてくれた人もいたのですが、最近は年賀状もいささか定型的になりがちでした。
節子との共通の友人や親戚への年賀状は節子の担当でした。
節子も以前は手づくりの年賀状でいつも制作が大変でしたが、病気になってからは私たち夫婦の写真を使うようになりました。
それでも節子は一人ずつに、手書きの文章を書いていました。
時間はかかりましたが、それは節子のスタイルでした。
手紙を書きながら、節子はいつも相手の人のことを思い出しながら話題にしていました。
節子は私の年賀状の書き方には否定的でした。
たとえ年賀状でも、いや年に1回の年賀状であればこそ、心を込めて、書くプロセスを大事にすべきだというのが節子でした。
私にはとてもできませんでしたが、そういうスタイルにこだわっている節子が、私はとても好きでした。
何日もかかって年賀状を書いている節子の姿をもう見られないのがさびしいです。
年賀状に限りませんが、年末にいろいろと家事に取り組んでいた節子の姿がもうわが家には戻ってこないのかと思うと悲しいですが、今年は2人の娘がいろいろと計画しながら、節子の文化を継承しだしています。
彼女たちのおかげで、私は節子がいた時と同じように、年末でも楽をさせてもらっています。
どんなに忙しくても、年末に出版される塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読み上げるのも、数年続いた私の習慣でした。
しかし、「ローマ人の物語」も、一昨年の15巻で終わってしまったので、昨年はそれができませんでした。
出版されてもとても読む気にはなれなかったでしょうから、私にとってはよかったのですが、今年、その続巻「ローマ亡き後の地中海世界」が出版されたのです。
先週書店で見つけて、なんだか偶然とは思えずに、早速、翌日に読み終えました。
とても面白かったですが、そんな厚い本は来年にして年賀状を書いたら、と言っている節子を思い出します。
でもまあ一人で年賀状を書く気は起きないので、今回は年賀状はやめることにしました。
今の気分では、これからずっとやめようと思います。
年賀メールもかけないような気もしています。
節子がいない世界では、年が新たになる意味が、実感できないからです。
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