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2008/12/19

■節子への挽歌474:「よかった」「よかった」

昨日に続けて、雪絵ちゃんの話です。

雪絵ちゃんは、どんな時も、「よかった」「よかった」と言うのだそうです。
山元さんはこう話しています。

たとえば、「私ね、今日、車ぶつけちゃったの」って言ったらね、雪絵ちゃんがね、「よかったね」って言うんです。それでね、私が「どうして?」って。
そのとき、私、車買ったばっかりのときだったのにね、バックしてね、自分の家の塀にばーんとぶつけちゃったんですね。本当にね、最初に運転をしたときだったから、雪絵ちゃんに「大ショック」って言ったら雪絵ちゃんが「よかったね」って。
「だって私、ぶつけちゃったんだよ」って言ったらね、雪絵ちゃんがね、
「かっこちゃんぴんぴんしてるじゃない。かっこちゃん、少しぶつけといた方がいいよ。そうしたら後ろ向いて、ちゃんとバックするようになるから」って。
「ありがとう」と「よかったね」。
自分の小賢しさと身勝手さが、これほどに思い知らされたことはそうありません。
こういう生き方は、私が目指してきた生き方です。
でも全くできていません。

「ありがとう」は、最近はかなり素直に思えるようになりました。
これは節子のおかげだと思っています。
節子は「ありがとう」の人でしたから。
でも「よかったね」は、まだ口だけのような気がします。
一応、「現実をベストと思う」のは、私の日頃の心がけでした。
かなり若い時からの基本姿勢でしたが、なかなかそう思えないことが多かったです。
そして、節子が居なくなってしまってからは、ますます「現実がベスト」など思えなくなってしまったのです。
節子が居ない今がベスト?
そんなバカな!

でも、雪絵ちゃんの話を知って、少し意識が変わりました。
もしかしたら、節子もまた、「よかったね」と言ってほしいかもしれません。
「よかった」と思わなければ、節子が救われないような気がしてきました。
節子はとても見事に生き抜きました。
だから悲しまないで、ほめてやらなければいけません。
節子
人をほめることが、こんなに悲しいことだとは思ってもいませんでした。

節子、ありがとう
そして「よかったね」

雪絵ちゃんは、2003年12月26日に亡くなりました。
山本さんは、ホームページにこう書いています。

けれど、雪絵ちゃんは亡くなってなお生き続けるのだと思います。
私はこれからもずっと雪絵ちゃんのことをお話しして、文章にもしていきたいです。
そうすることで、雪絵ちゃんはもっとたくさんの方に出会っていくことができるでしょう。
たくさんの方が、雪絵ちゃんに出会えるでしょうから。
ぜひホームページを読んでください。

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