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2008/12/02

■節子への挽歌458:お茶の時間

わが家の文化のことを書きましたが、今はほとんどなくなった文化もあります。
一昨日の日曜日、庭のふじ棚の手入れをみんなでしました。
みんなと言っても、下の娘が中心で、あとの2人はその手伝いだけなのですが。
それが終わって、なんとなくみんなそれぞれの役割を終えて、食卓に集まりました。
おやつを食べながら、話をしていたのですが、なんとなく懐かしい気がしてきました。
そして、「そういえば節子がいた時にはお茶の時間があったな」と思い出しました。

節子は、庭の花の手入れなどが終わって一段落すると、家族みんなに「お茶でも飲まない」と大声で呼んでくれました。
それぞれ何かをしていた家族は、その声で食卓に集まりました。
節子が買ってきたおやつや手づくりのおやつが用意されていました。
節子は、家族のためにおやつを作るのが好きでした。
そしてみんなで談笑しあいました。
話の中心は節子でした。
特に何か話題提供するわけではないのですが、節子がいるだけで場が明るくなりました。

こうした「お茶の時間」は、残念ながら節子がいなくなった後、あまり体験することがなくなりました。
節子がいない「お茶の時間」は成り立たないのです。

今でも娘たちは出かけると、節子がそうであったように、ケーキなどを買ってきますので、食卓に集まることはありますが、それぞれに好みの「お茶」がバラバラですので、「お茶の時間」にはならないのです。
とても寂しいですが、もう「お茶の時間」は復活しそうもありません。
家族を喜ばせたがっていた節子が、もういないからです。

今日は節子の珈琲を供えました。
相変わらず美味しくないね、と笑っているでしょう。
500グラム500円のモカ珈琲ですから。

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