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2009/01/03

■「舌の記憶」とFOOD ACTION NIPPON

身の丈にあった農作業を生活に組み込む動きをもっと広げたいと、自らも畑を借りて、菜園インストラクター講座などを手がけている、環境クラブ代表の増山康雄さんから年初めのメールマガジン「E-news」が届きました。
増山さんは、その生き方において、またそのパーソナリティにおいて、私には共感の持てる人物の一人です。

増山さんは、このお正月にレストランで「米粉のパン」を食べました。
研究熱心な彼は、小麦粉のパンと米粉のパンをいろいろな食べ方で比較したようです。
その結果、米粉のパンの方がちょっと「もっちりしているかな」と思ったそうです。
まあ、そんな比較実験しなくても、すぐわかることですが、そこが「科学者増山」のこだわりなのです。
それはともかく、その時、思い出したのが、ある本で読んだ東南アジアのモチ米文化の話だそうです。
増山さんはこう書いています。

何でもタロイモみたいな「もっちり感」のある食べ物を食べてきた人達が「稲作」に出会った時、モチ米の食感がやっぱり「もっちり感」を持っているので、受容されたみたいなことが書いてありました。考えてみれば、人間、何か新しいものが入ってきた時、無意識のうちに、今までの自分の感覚とか、経験とかと照合してしまうものですよね。
そうなのでしょうね。
増山さんは、こう続けています。
最近、自給率向上の議論の中で、米粉のパンも注目されているが、それが売れるかどうかに大きな影響を与えるのは、人々の「舌の記憶」ではないか。
「舌の記憶」。
これはとても興味があります。
食は文化の基本ですから、「舌の記憶」は単に食文化の問題だけではないでしょうから。

私自身は一時はパン派でしたが、50歳頃から米派に回帰しました。
おいしいご飯と漬物とお味噌汁があれば、ほかは何もいりません。
娘の一人はお米が嫌いですが、なぜか米粉のパンが好きなのです。
そういうことを考えると、やはり長年の食文化が国民の「舌の記憶」になっているのかもしれません。

増山さんは、こう書いています。

米粉と小麦粉の配合具合とか、
小麦粉も国産なのか、輸入なのか、
コメや小麦の品種の組み合わせとか、
「どんな米粉のパンが売れるか」と想像してみると、
ちょっと考えただけで相当奥行きが深い問題があるなと
新年早々、レストランで感慨にふけってしまいました。
いかにも増山さんらしいです。
増山さんは、科学者であると同時に、哲学者でもあるのです。
1月中旬にも、菜園インストラクター講座を3回やるそうです。
ほかにもいろいろな講座があります。
関心のある方は、増山さんの日本リトルファーミング協会のサイトをぜひご覧ください。

昨年10月に、食料自給率向上に向けた国民運動「FOOD ACTION NIPPON」推進本部が設置されたのはご存知でしょうか。
農水省のサイトによれば、その目的は「世界の食料事情の変化や近年の食料自給率が低い水準にあることを踏まえ、国民の皆様が問題意識を共有し、食料自給率向上に資する具体的な行動を起こしていくため」だそうです。

私たち一人ひとりが、自分の食文化を変えるところから変えていくべきでしょう。
いまの状況の中でも、できることはたくさんなります。
食文化を変えさせた人たちがまた元に戻すような運動を推進することには、いささかの抵抗はありますが、まあ否定する必要はありません。
もっとも、この推進本部は電通のなかにあるのが、ちょっと気になりますが。
私としては、増山さんのような人に推進本部をやってもらいたいと思いますが、まあ増山さんは嫌がるでしょうね。

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