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2009年1月

2009/01/31

■政治が語るべきは手段ではなく目的

「今頃何を」という話は多いのですが、最近、鳩山総務相が強い疑義を表明して話題になっている「かんぽの宿」施設の一括譲渡問題も、そのひとつです。
小泉政権下で規制緩和の旗振り役だった宮内義彦さんが会長をつとめるオリックスの100%子会社オリックス不動産が、郵政民営化で売却される全国の「かんぽの宿」の施設を丸ごと買い取るということが問題になっています。
遅きに失している感はありますが、規制緩和の旗の下で何が行われているかを象徴的に示す問題であり、是非もっと見える形にしてほしいと思います。

私はこうしたことに関しては、過敏に反応しがちなのですが、有識者然として世論を指導していた宮内さんとその取り巻きには昔から怒りを感じています。
私が好きな、日本の社会や文化、経済や企業を壊した一人だと思っているからです。
宮内さんに関しては、以前、そのコーポレート・ガバナンス論に関して批判したことがありますが、私の友人でさえもが、それを担いでいました。
民営化や規制緩和の本質は、その時にすでに見えていたはずですが、なぜかみんな黙認しました。
日本の企業が方向を変えてしまったのは、たぶん1990年代の中頃からではないかと思います。
彼は、それに加担しました。中谷さんの同類です。
その行き着く先が、アメリカ型の貧困社会だったわけですが、宮内さんや中谷さんは、おそらくそれを知っていたはずです。
しかし、私欲に負けてしまった。
そこに怒りを感じます。

昨日、53歳の男性が仕事はないかと相談に来ました。
面識のない人ですが、友人の紹介です。
お話していて、その誠実さがわかります。
誠実に仕事をしてきたのに、53歳になって会社から放り出されたのです。
今はとりあえずラーメン屋で働いているそうですが、今までの大企業とは全く違うでしょうと質問したら、頷いて、これほど差があるとは思っていませんでしたといいました。
お金は無くても生きていけるが、心身を壊すと大変だから、限界を超えた無理はしないように、そして奥さんとこれからの生き方を考えるといいと話させてもらいました。
日本には、まだいろいろな生き方の選択肢があるのです。

よく言われるように、日本の経済や社会を支えているのは、現場で汗している人たちです。
その人たちが、いま追いやられています。
その人たちへの感謝の気持ちは、宮内さんはもちろん、財界人や政治家には感じられません。
それがアメリカ型の貧相な貴族社会なのでしょう。

いつものように、また話が拡散していますが、そろそろ郵政民営化や規制緩和の罠に気付かなくてはいけません。
それらはいずれも「手段」なのです。
大切なのは、目的です。
宮内さんや西川さんのような、志やビジョンの希薄な人に、そうした大雑把な手段を与えるべきではありません。
政治が語るべきは、手段ではなく、目的です。
その目的が不在であるが故に、手段のプロである官僚が跋扈しているわけです。

鳩山総務相には少しがんばってもらいたいと思います。
今は、自民党とか民主党とかではなく、大切なのは官僚と経済人に乗っ取られた日本の社会を取り戻すことが大事になってきています。
民主党もまた、選択を誤ってしまったように思えてなりません。

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■節子への挽歌517:地球が爆発してすべてがなくなってしまえばいい

いささか不謹慎なタイトルです。
昨日の挽歌を書いた後、心の中にずっと潜んでいた気持ちを解き放すことにしました。

節子が再発して以来、そして節子を見送った後、一度ならず、地球が爆発してすべてがなくなってしまえばいいと思ったことがあります。
さすがに最近はそういう思いはなくなりましたが、心のどこかに今なお、そうした気持ちがうずくまっているような不安がないわけではありません。

通り魔事件のような、とんでもない惨劇を起こしてしまう人がいます。
そういう報道に触れるたびに、自分にもその可能性は皆無ではないなといつも思います。
ゲーテは「自分がその犯人となることを想像できないような犯罪はない」と言っているそうですが、私も同感です。
人の心の中にはたくさんの悪魔もまた棲んでいるのでしょう。

節子との暮らしの終わりは、私にとっては世界の終わりのように感じたこともありました。
だからといって、地球とその世界を道連れにするのはどう考えてもおかしいのですが、このまますべての世界がなくなればどんなに安堵できることかという、不条理な妄想を描いてしまう心境になってしまうこともあったわけです。

人を愛することの恐ろしさが、そこにあります。
この挽歌は、基本的に愛を肯定的に考えています。
私自身の生き方が、愛を基本においているからです。
私にとっては、平和やまちづくりはもちろんですが、企業経営も愛が基本なのです。
私の頭の中では、愛がない世界も愛のない現実も成り立たないのです。
キリスト教では、愛を3つに分けています。
エロス、フィリア、アガペです。
どの次元で「愛」を考えるかが大切だと言う人もいますが、私にとっての「愛」は一つです。
私にとっては、愛は分析の対象にする概念ではないからです。

最近も無理心中の報道がありましたが、無理心中は愛の歪んだ現れではなく、「愛の不在」の現れです。
「愛」を支えているのは、「生きる喜び」です。
ですから、ある日突然に「愛」(の行き場)の不在に気づいた時に、人は不条理な誘惑に負けてしまうわけです。
「愛」の不在は「死」を誘ってしまうわけです。
すべての愛をある対象に注ぎ込んでしまうことの恐ろしさを認識しなければいけません。
私はどうも節子に愛を注ぎ込みすぎていたのかもしれません。
しかし、それにもかかわらず節子を救うほどの愛には達しませんでした。
地球が爆発してすべてがなくなってしまえばいいなどと思うようでは、「愛」を語る資格はなかったのかもしれません。
いろいろと考えることの多い最近です。

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2009/01/30

■中谷巌教授の懺悔がもし本物であれば

先々週、私が関わっているコムケア活動というNPO関係の人を中心にした集まりをやりました。
その報告はCWSコモンズ(ホームページ)のほうに書きましたが、
群馬から参加してくれた方が帰り際にこういいました。
NPOの集まりでは、どこから助成金をもらおうかとかいうお金の話がよくでるのに、コムケアの集まりってそういう話が全く出ないのでホッとします。

お金を基準に考えるのは企業だけではありません。
今のNPOの多くは、NPOの「有識者」たちの指導を得て、補助金をどう確保するかにばかり気がいっています。
そのことをコムケアのメーリングリストに投稿しました。
そうしたら、よく知っている人からこんなメールをもらいました。
私だけにとどめておくのはもったいないので、一部を紹介させてもらいます。

長年私学に勤めていましたが、助成(私学助成)は私学の教育を縛るもので、本当に良い教育をしようとすると、助成金は減らされることになるんです!
だから日本では本当に良い教育をしようと考えるなら私学助成に頼らないことを考えるしかない。
私は一時期「榛名山麓みどりの大学」構想を打ち出し、大学設立を考えていましたが、真っ先に考えたことは私学助成を必要としない・・・計算に入れない大学を構想していました。ホントの教育をするためでした。この計画は見事に破綻しましたが、今でもこの考えは変わっていません。
NPOを始めて、色々な企画を立ち上げたり構想したりしてきましたが、やはり助成を受けようとすると本当にやりたい・・・必要と思われる活動を薄めて助成団体の意向に沿う企画を作成するしかない。
それをしても助成を受けられるとは限らない。
今では助成金を受けることは念頭外に活動を考えています。
助成を受けるのではなく、同感していただける方々からの寄付を受けられることを中心に考えています。
「榛名山麓みどりの大学」構想。
以前、ホームページでご紹介しましたが、惚れ惚れするような構想です。
同じように、学びたい人たちがみんなで資金を出し合って学びの場を創ろうというプロジェクトも、日本構想学会で話題になったことがありますが、これも残念ながらストップしています。
情報発信力のある教育関係者たちの数名が、本当にその気なれば、いずれもできないことではないはずです。

いま日本の経済政策を主導してきた一人の中谷巌さんが、自らの間違いの気づき懺悔を始めたのが話題になっています。
中谷さんたちのやり方にはかなり学者仲間でも批判がありましたし、ましてや日本の企業経営や経済を少しでも学んだ人から見れば、馬鹿げた発想だと思いますが、今でもその発想に疑問を持たない人が少なくないのが驚きです。
中谷さんたちの影響力は絶大だったわけです。

中谷さんの懺悔は、何をいまさらという気がしますが、その勇気は評価したいと思います。
しかし、ただの懺悔で終わるのではなく、「榛名山麓みどりの大学」構想のような本当の学びの場づくりに取り組んでほしいと思います。
それがなければ、懺悔もまた時流に乗ったパフォーマンスでしかないことになります。

今こそ、しっかりした「学びの場」が構想されなければならない時代になっています。
「榛名山麓みどりの大学」構想がまた動き出すのを期待しています。
どなたかポンと私財を出す人はいないでしょうか。
たかだか数十億で、日本を支える人材が育てられるのですから、安いものです。
中谷さんは出してくれないでしょうかね。
一応、依頼の手紙を出す価値があるかもしれませんね。

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■節子への挽歌516:人生は変わりながら続いていくもの

節子
あなたがいなくなって、私の生活は大きく変わってしまいました。
私の生活において節子の存在は大きな比重を占めていたから、それは当然のことです。
節子がいなくなった空隙が、私の人生を大きく変えてしまっているわけです。

人生を変えてしまったのは、私だけではありません。
1か月ぶりに、以前、何回かメールをいただいたSBさんからメールが来ました。
SBさんは一緒に暮らしていた妹さんを亡くされたのです。
1か月前に会社を辞められ、今は以前弾いていたギターをまた弾きだしたのだそうです。
SBさんは挽歌512を読んでの感想を送ってきてくれたのです。

きょうの挽歌読ませていただきました。
その通りだと思います。
ロビタさんも言っておられましたが、子供がいなかったら会社を辞めていた‥‥‥と。
その通りで私は会社を辞めましたね。

私も今ケアする相手が誰もいないので、きっとギターを始めたのだと思っています。
まぁ猫はうちにたくさんいて、ケアはしていますが‥‥‥。

約1ヶ月たって、失業生活も落ち着いてきました。
すべてが自分の自由の時間になると、返って大変です。よほど自分がしっかりしないとメ チャクチャな生活になってしまいますね。
自分で自分をコントロールする。結構大変なことです。

しばらく連絡がなかったので気になっていましたが、文面から少し元気さを感じホッとしました。
もっともこうした文面の元気さはあまり当てにはなりません。
私自身のことで、それはよくわかっています。

この挽歌を読んで、連絡を下さった方は何人かいますが、その後、連絡のない方も少なくありません。
まあ当然といえば、当然です。
お互いに全く面識はなく、ただ同じような体験をしただけですし、それに同じような体験をした人と会うよりは、そうでない人に会ったほうが、たぶん気が晴れることでしょう。
同じ体験をした人に会うと、なぜか少しホッとする一方で、自分の体験を思い出してしまい、辛くなることもあるからです。
しかし、一度、接点を持った人のことは気になり続けるものです。
これは私だけの習癖かもしれませんが。

考えてみると、愛する人との別れが人生を変えるだけではありません。
愛する人との出会いもまた人生を変えますし、愛する人との暮らしによって人生が変わることもあります。
再発してからは、明日もまた今日のままでいたいと、節子は時々話していました。
私もどれほどそれを望んだことでしょう。
しかし、同じ状況を続けることはできません。
良くも悪くも、人の人生は変わりながら続いていくものなのです。

愛する人を失った後の人生の変化は、外に現れる以上に、当人には大きなものです。
それを実感しているがゆえに、余計なお世話ですが、同じような体験をした人たちのことが気になるのです。
これも不思議な感覚ですが、どこかでそうした人たちと人生をすでに分かち合っているからかもしれません。
ひとたびの関わりを持たせてもらった人たちの平安を祈ることで、私自身の平安が得られるのを感じます。

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2009/01/29

■節子への挽歌515:ニーバーの祈り

節子
なかなか節子のいない生活に慣れずにいますが、
昨夜、ニーバーの祈りの言葉を思い出しました。
最近、なぜか忘れていた言葉です。

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
この言葉は私の人生訓の一つでした。
ですから、どんな時にでも私は楽観主義でいられたのです。
この知恵さえあれば、すべてのことが私の味方になるのです。
変えられることは、変える課題を与えてくれるという意味で、
変えられないことは、それを味方にしなければいけないという意味で、
すべて私に元気を与えてくれるものでした。

ただ常識が欠落しており、いささか独りよがりの傾向にある私は、それらを識別する知恵にはあまり恵まれていませんでした。
ですから、節子の病気を治せると思い込んでいました。
節子が私よりも先に逝ってしまうということは、私には決して受け入れられることではなかったのです。
知恵も、そして冷静さも無かったのです。

節子は、そのいずれをも持っていました。
自分のことなのに、いや、自分のことだからかもしれませんが、
ニーバーの祈りにある3つを持っていました。
勇気、冷静さ、そして知恵。
しかも、それを私に押し付けることなく、私にも思いを重ねてくれていたのです。

節子の仕草の一つひとつを、時々、思い出すことがあります。
そのたびに目頭が熱くなりますが、その私の誇りだった節子の笑い顔にもう会えないかと思うと、悲しくて悲しくて仕方がありません。
その「変えられないこと」を、私はまだ受け入れる冷静さをもてずにいるのです。

ニーバーの祈りは、節子がいなくなってから、私の世界からなくなっていました。
勇気も冷静さも、そして知恵も、無残にも飛散してしまっていたからです。
明日から、般若心経に代えて、時々、ニーバーの祈りを念ずるようにしようと思います。
今の現実を受け入れられるかどうかは、あまり自信はないのですが。

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■仕事とお金の関係の見直し

地元で活動している(私以上に)シニアなTさんから相談があるので会いたいという連絡があったので、今日は出かけずに在宅していました。
たまたまスペインタイル教室をやっている娘のところに、その方とは別の(私以上に)シニアのBさんが来ていましたので、教室が終わった後、少し話させてもらいました。
お2人とも以前からの知り合いで、いずれもさまざまな活動をされています。

Bさんは、まさに遊学的生活を楽しまれています。
スペインタイル教室通いもまさにその一つで、タイル作りに専念している時は至福の時間だそうです。
Bさんのもう一つの至福の時間はアッカド語です。
アッカド語を学びながら、書き写しているそうですが、1行をマスターするのに1時間以上かかるのだそうです。
テキストを見せてもらいましたが、1冊を仕上げるにはかなりの時間がかかりそうです。
その時間感覚はまさに非日常的です。
ちなみにBさんは現役時代ある大企業の経営者でしたので、当時の時間とは全く違った世界にいるわけです。
Bさんは、しかし自分のためだけにそうしたことをしているのではありません。
地元の集まりの世話人もやっていますし、何よりもそうやってしっかりと学んでいる姿を次につづく世代の人たちに見せたいという思いがあるのです。

Aさんも現役時代は自分の企業を経営していた人です。
引退後、それまで培った豊富な知見を活かしながら、地元(我孫子市)のまちづくりに積極的に関わっています。
私が長らく関わっていた山形市の出身であることもあって、親しくさせてもらっていますが、ビジョンと夢をしっかりと持った方です。
今日はまた新しい構想を聞かされ、協力を要請されました。
面と向かって頼まれると断れないのが私の性格ですので、またまた引きずり込まれそうです。

(私以上に)シニアな人たちからの要請は、お2人に限ったことではありません。
先週も、先々週も、別のCさん、Dさん、Eさんから相談を受けています。
近くのFさんも相談したいと言っていましたので、近々相談に来るでしょう。

実は、社会には仕事が山ほどあるのです。
時間を持て余したシニアの人たちは、そうやって「仕事」を見つけ出し、創りだしているのです。
それはお金に余裕のある人の道楽だと言われるかもしれません。
それに対価ももらえず、むしろ持ち出しの活動は仕事とはいえないだろうという人もいるかもしれません。
しかし、そうでしょうか。

お金はなくても生きていけるが、仕事はないと生きていけない。
そして誠実に仕事をしていたら、お金は後からついてくるものだ。
これが私の信念です。
残念ながら、確信を持って誰にでもお勧めできるまでには至っていませんが、私はこの20年、その信念のもとに何とか生かせてもらっています。
まさに、信ずるものは救われる、です。

シニアの方たちが、なぜお金目的ではなく、活動をするのか。
そこに大きな示唆があります。
仕事とお金の世界を分けて考えるべき時代が来ているような気がしてなりません。

ガンジーは、「すべての人の必要を満たすに足るものが世界には存在するが、すべての貪欲を満たすに足るものは存在しない」と言ったそうですが、私もそう思います。
本来、人の数だけ仕事はあるはずなのです。
たしかに、子育てなどでお金が無いとやっていけないライフステージはありますが、それこそ社会の仕組みで対応できる話ではないかと思います。
これに関してはいつかまた書くようにします。

ガンジーが指摘しているように、貪欲と浪費が欠乏につながっているのです。
2006年に公表されたデータによると、「OECDにおける相対性貧困率ランキング」は、日本はアメリカに次いで第2位だそうです。
どこかで私たちの意識を変えないと、この状況から抜け出せません。

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2009/01/28

■節子への挽歌514:無私:selflessness

メイヤロフの「ケア観」を一昨日、書きましたが、メイヤロフのキーワードの一つに「無私」というのがあります。
「無私」と言うと、仏教用語かと思いがちですが、仏教の根本は「無我」にあります。
しかし、日本では「無我の思想」はあまり定着せずに、むしろ「無私」が目指されました。そのため、日本の仏教は「無私の仏教」だと言う人もいます。
たしかに、空海にしろ道元にしろ、滅私無私の心境を目指していました。
しかし、メイヤロフのいう「無私」はそれとは別の意味ですが、私にはとてもなじめます。

メイヤロフによれば、無私(selflessness)とは、「純粋に関心を持ったものに心ひかれること、すなわち、より自分自身に近づくことができる」ことだといいます。
そして、「このような無私の状態とは、最高の覚醒、自己と相手に対する豊かな感受性、そして自分独自の力を十分に活用することを意味する」というのです。

何かに夢中になった時のことを「我を忘れて」といいますが、その状態を「無私」と言っているように、私は受け止めています。
ケアの対象が自分以上に自分になる、自分と一体化する、そのひと(こと)のためであれば、自分のすべてを投げ出すことに何の抵抗もなくなる、自分の問題として考えるようになる、まあそんなところでしょうか。
私の中途半端な理解なので間違っているかもしれませんが、私自身はメイヤロフの「無私」をそう理解しています。
そして、常にそれを意識して生きているつもりです。

「相手の立場になって考える」という言葉もありますが、それとはたぶん「似て非なる」ものではないかと思います。
「相手の立場になって考える」のはあくまでも理性の次元です。
しかし、相手と同一化するのは理性や意思を超えた感性や心身の話なのです。
したがって、時に「理性」のレベルでは、その人(こと)のためにならないようなことをしてしまうことも起こりうるのです。

節子と私の関係は、メイヤロフのいう「無私」の関係でした。
夫婦や親子は、大体においてそうなのだろうと思いますが、それが行き過ぎるとまたおかしなことになります。
私たちも、決して理想的な「無私」関係であったわけではありません。
ですから、よく喧嘩もしましたし、行き違いもありました。
しかし、お互いに心は一つだという思いは強く持っていました。
もう少し時間が与えられれば、お互いに涅槃の心境に達せたのではないかと思えるほどです。

私たちは2人で一人だから、と節子はよく言っていました。
それは、多分に私が自立していないことへの皮肉でもあったのですが、お互いの「信頼関係」はだれにも負けなかったでしょう。
念のためにいえば、たぶん、節子は私が先に逝ったならば私と違って、もっとしっかりと自立した自分の生を実現したでしょう。
こんな挽歌に逃げ込むようなことはしなかったはずです。
女性と男性は、その生において、全く異質の存在だと私は思っています。

それはともかく、お互いに、完全に素直になれて、安心できる人がいることは、どんな苦難に直面しても大丈夫だと思うほど、心強いことです。
昨今、不安が世上に蔓延していますが、それは心を開けるパートナーがいないからです。
パートナーを得るには、まず自らが「無私」になることです。

「無私」になれるほどに愛した節子がいなくなって、
私も、これまであまり体験したことのない「不安」を感じることがあります。
節子がいなくなることで、無になっていた「私」が戻ってきたのかもしれません。

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■首相への損害賠償請求はできないものでしょうか

国家というのは、やはりよく理解できない仕組みです。

たとえば、企業経営者が株主の反対を押し切って、その利益を損なうような行為をした場合は、経営者に対するは委任訴訟が起こせます。
国家のトップである首相に対しては、そうした訴訟は起こせないものでしょうか。
おそらく起こせないでしょう。
なにしろ違憲判決が出ても、何の拘束力もないのが国家、少なくとも日本国家です。
政府は「統治する側」であって、「統治される側」ではないからです。

しかし、トップの暴走を止められない組織は欠陥がある組織です。
本来、組織にはホメオスタシスといって、均衡をバランスさせる機能が内在していますが、国家にはそれがありません。
国家は多様な主体によるガバナンスを封じ込める仕組みだからです。
多様な人々から成る社会は、本来は管理不能な複雑体です。
それを効率的に管理していくためには、その複雑性を縮減し、判断基準をできるだけ単純化するのが効果的です。
そこで使われるのが、貨幣と暴力です。
心を貨幣で、身体を暴力で抑えてしまえば、どんな複雑体も管理できるようになります。
そうした上で、国民主権を認めれば、いいわけです。
貨幣と暴力で仕組まれたガバナンスの制度ができていないままに、国民主権などに走れば、ロベスピエールの恐怖政治に陥ります。

近代は、管理できるガバナンス制度の構築のために、社会の複雑性を縮減する歴史だったと言っていいでしょう。
しかし、貨幣は1970年代以降、国家の手を離れだし、国家をも危機に陥れるまでの力を持ってきました。
いまや金融工学者を活用しながら、金銭は国家財政さえも操りながら、自己増殖をはかっています。

暴力はどうでしょうか。
最近のガザ攻撃をみればわかりますが、暴力もまた国家を手段化しつつあります。
国家体制を維持するために、国家は暴力を管理下においたはずですが、いまやそれが災いの元になってきています。
映画の世界では既に繰り返し描かれていますが、核兵器はいつまでも国家の独占的管理体制のもとに閉じ込めてはおけないでしょう。
核拡散防止などの発想は、そもそも矛盾があります。
実現可能なのは、廃絶であって、拡散防止ではありません。

つまり、貨幣と暴力という、国家を成り立たせてきた2つの柱が、国家の手を超えて、国家を壊しだしたのです。

定額給付金という巨額な無駄遣いをした首相と、
核兵器の発射のボタンを押す大統領は、実は同じものです。
いずれも主権者である国民が何の制約も与えられないのですから。
しかし、今ではアメリカでも核兵器のボタンを押すのは大統領だけではできないはずです。

日本が核兵器を持っていなくてよかったです。
「解散するかどうかは麻生が決めます」と得意気に言っている無恥な麻生首相は、きっと核兵器のボタンを押すのも、自分の勝手な判断でできると思うことでしょう。

今回の常軌を逸した行為は、たかだか2兆円程度の無駄遣いでしたが、せめてその無駄遣いに賛成票を投じた政治家に、返却を要求する訴訟は起こせないものかと思います。
次の選挙では、ぜひ全員、落選させてほしいものです。
彼らにとって2兆円はたいした額ではないかもしれませんが、血税を払っている国民には想像もつかない大きな金額なのです。
私は最近収入がほとんどないので税金をあまり払えないのですが、それでも税金を払う意欲が大きく損なわれたことは事実です。

賛成した政治家の名前は、死ぬまで忘れません。

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2009/01/27

■解散総選挙を求める国民運動はなぜ起きないのか

ついに定額給付金が決まったようです。
これに伴う経費が800億円といわれていますが、それは単に直接経費ですから、おそらくその数倍の経費がかかるばかりでなく、それに伴った必要な業務がおろそかになることを考えると(すでに国会の議論を空転させていますので、それだけでもかなりの損失が出ています)、経済的な面に限っても膨大な無駄使いといえるでしょう。

昨日、報道ステーションで、夕張の年金暮らしのお年寄りたちが1回だけの給付金はいらないからもっと困っている人に回すほうがいいと話しているのを聞いて、麻生さんやその取り巻きの人たちに、そうした市井のお年よりほどの見識があれば、日本もかなり変わっていくだろうなと思いました。
森政権以来、私欲だけの見識のない二世政治家たちが首相の座に居座り、民意を無視した政治を私物化しているのを止められない日本の政治体制は、北朝鮮と同じであることを改めて知らされました。
「お上国家」日本はまだ続いているようです。
それにしても、麻生政権の「さもしさ」と「おろかさ」には驚くばかりです。

今日、友人から電話があり、政治の話になりました。
なぜ日本では解散の世論が起きないのかと話したら、その人から、そう思うならあなたはなぜ呼びかけないのか、と言われてしまいました。
たしかにそうです。
おかしいと思ったら、ブログで遠吠えの批判をしているよりも、署名運動でも始めるべきでしょう。
それをしないのであれば、あまり大きな口はたたけません。

しかし、テレビに出られる人のなかに、そうした呼びかけをする人はなぜ出てこないのか。
それがとても不思議です。
みんな何らかの形で絡めといられているのでしょうか。

民主党がもし本気で政治を変えたいのであれば、
自民党との駆け引きに現を抜かすのではなく、国民に呼びかけて、首相官邸に大きなデモを仕掛けるでしょう。
そこまでいかなくとも、世論にもっと解散の大義を呼びかけるはずです。
民主党がそうしないのは、基本的に自民党と同質だからかもしれません。
政権は奪取(嫌な言葉ですが)したいが、政治は変えたくないのでしょうか。

国民主権とは一体何なのか。
理念が踏みにじられているのは、憲法9条だけでありません。
日本を壊しているのは、他ならぬ首相と政府、そして政治家なのです。
そしてそれを支えている私たちなのです。
気が重い話ですが、でも署名運動を始める気にはなれません。
なぜでしょうか。

「第三の道」で有名なアンソニー・ギデンツは、「解放の政治」から「生活政治」への転換してきているといいます。
生活政治は生活様式あるいは生き方を主なテーマにする政治です。
政治の意味が大きく変質しているのかもしれません。

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■節子への挽歌513:初対面の若者からのメール

節子
今日は自画自賛の内容です。
節子がいたら、みっともないからやめなさいと、きっと削除させられそうです。
でもたまには自画自賛もさせてください。

先週、初めて会った若者からメールが来ました。
名刺に書いてある私のサイトから、この挽歌のブログを読んでくれたのです。
とてもうれしい内容のメールです。
無断で一部を引用させてもらいます。

私事で恐縮ですが、実は来月入籍します。
自分も佐藤さんと同じ年齢になっても、佐藤さんと同じような妻を大事にする気持ちでいたいと感じることができました。
本当にありがとうございます。
この挽歌が、そういうメッセージも発していることがわかり、とてもうれしいです。
悲嘆にくれた暗いメッセージばかりでは、社会的な価値がありません。
何か前向きの示唆が少しでも提供できれば、私としてはとてもうれしいです。
そうやって前向きの価値を読み取ってくださる読者には感謝しなければいけません。

この若者は、大きな志を持って活動しています。
時評編では、いつも社会に対して批判的な記事が多いですが、私の回りの若者たちの活動には「思い」を込めた活動に取り組む人も少なくありません。
「現場から遠くなるほど、人は不誠実になる」というのが、私の経験則の一つです。
私は、不誠実な生き方はしたくないので、現場の人とできるだけ繋がっていたいのです。

社会をおかしくしてきてしまったことに関しては、私たちの世代は大きな責任があります。
その反省の元に、そうした若者たちをささやかに応援したい、これが最近の私の生き方の基本です。
天下りや「渡り」を繰り返している同期の友人からみれば、無意味な生き方かもしれません。
しかし、21年前に会社を辞めた時に、そう決めたのです。
節子は何も言わずに賛成し、協力してくれました。

メールをくれた若者は、こう書いてきました。

次世代の子どもたちの心の成長に貢献したいと考えておりますので、
意味のある人生を送る豊かな心を持った若者を増やすためにもよろしくお願いいたします。
さて、私に何ができるでしょうか。
最近いささか疲労気味なので、少し気が重いのも事実です。

最後にこう書いてありました。

佐藤さんとお話ができて、ご縁があってブログを読ませていただいて、温かい気持ちになれましたことを本当に感謝しています。
私の長所は、こうした言葉を素直に真に受けて喜んでしまうことなのです。

悲嘆にくれている背後にある、温かい気持ち。
それを感じてもらえて、とてもうれしいです。
この挽歌も少しは役に立っているのです。

節子がいたら自慢できるのですが、その節子がいないのがやはりさびしいです。
せめてブログで自画自賛です。はい。

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2009/01/26

■隣の人のたばこの煙で考えたこと

先日、久しぶりに喫茶店に入りました。
久しぶりにというのは本当は不正確です。
というのは、時々は行っていますので。
しかし、今回は久しぶりに「喫茶」してしまったのです。
細長い喫茶店の両側のテーブルにヘビースモーカー(私とは無関係の人ですが)がいたせいで、たばこの煙を思い切り吸わなければいけなくなったのです。
席を替わりたかったのですが、相手の人と久しぶりに会って、やっと見つけた席だったので、動けませんでした。
ついでに余計なことをいえば、喫茶店やレストランがどこもかしこも満員で、席がないのにも驚きました。
日曜日の午後の上野駅界隈です。
どこが不況なのかと思うほどです。

それにしても横でたばこを吸う人の煙がこんなに辛いものだとは思いませんでした。
学生時代や会社にいた頃は、毎日、少なくとも2回は喫茶店にいました。
当時は禁煙席などあるはずもなく、しかも喫煙者は多かったはずですが、煙で辛かった経験はありません。
会社を辞めて、喫茶店に行く機会は激減しました。
それに行っても禁煙席を使わせてもらっています。
ですから、たばこの煙に対して抵抗力が大幅に落ちているのでしょう。

そんなたばこの煙に弱い人が隣にいるとは、喫煙者は気づくはずもありません。
彼らはルール違反をしているわけでもありませんし、悪意など微塵もないでしょう。
しかし、隣の人は辛い思いをしているのもまた事実です。
極力我慢はしましたが、煙が強く流れてくる時には、私は手で煙をよけるような仕草をしたような気がします。
喫煙者に気づかれなければよかったですが、もし気づいたら不快だったでしょう。
自衛のための仕草といえども、喫煙者にとってはせっかくのたばこが楽しめなくなったかもしれません。

こういうことは私たちの生活では、よく起こっていることなのかもしれません。
周りの人への気遣いは、ルールを守ればいいわけではないのです。
気づかないままに私もきっとたくさんの迷惑を撒き散らしているはずです。
今回の体験で、そのことを考えさせられました。
生き方や言動は、やはり常に周りの人の目でも考えなければいけません。
そうした視点で自分の言動を考えると、反省する点が少なくありません。

平和というのは、まずはそこから考えなければいけないのでしょう。
たばこの煙がもしかしたらガザの悲劇につながっているのです。
おそらくイスラエルの国民は、いつかどこかでもっと大きなしっぺ返しに合うでしょう。
イスラエル政府の暴挙を止めるのは国連でも国際世論でもなく、イスラエル国民であり、イスラエルの「愛国者」たちでしょう。
そう思ってまた日本の現状を見ると、やらなければいけないことが山積みです。
日本政府もまた、たくさんの迷惑を海外にも与えているような気がします。
私たちはもっと真剣に政府の言動に関心を持たなければいけません。

今朝の朝日新聞に、京浜ホテルの強制執行の様子を「カムイ伝」の一揆に重ねて論評していた記事がありました。
一揆が話題になるほど、今の日本の社会はひどくなっているような気がします。
いささか過剰な反応でしょうか。

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■節子への挽歌512:ケアの本質は「生きることの意味」の確認

昨日、「ケアすべき娘たち」がいると書きました。
「ケアしてくれる娘たち」と書くべきではないかと言う人がいるかもしれません。
この挽歌を読んだら、娘もそういうかもしれません。
しかし、ここは「ケアすべき娘たち」で正しいのです。

ミルトン・メイヤロフの「ケアの本質」という本があります。
この本のおかげで、私はケアという言葉の意味を深く考えるようになりました。
そして、コムケア活動に取り組む気になったのです。
その本に、こんな言葉が出てきます。

他の人々をケアすることを通して、他の人々に役立つことによって、その人は自身の生の真の意味を生きているのである。
メイヤロフは、ケアの本質とは「生きることの意味」を確認することだといいます。
誰か(何か)をケアすることによって、人は自分の生の意味を、生きている実感を獲得する、というのです。
一時期、流行した「アイデンティティ」という言葉がありますが、アイデンティティもまた他人との関わりの中で成り立つ言葉です。
そのアイデンティティを確立するためには、ケアの対象になる誰か、もしくは何かが必要なのです。
自分一人でアイデンティティを確立することはできませんし、また自分一人で生きることもできません。
メイヤロフが書いているように、私たちは「ケアを通しての自己実現」できる存在なのです。
ケアは一方的な行為を意味するのではなく、双方的な関係を意味する行為なのです。

節子と一緒に、ある人をお見舞いに行った時に出合ったことですが、交通事故で意識がなくなったまま入院している孫のところに毎日やってきて世話をしているおばあさんがいました。
彼女にとっては、孫のケアが自分の生きる証であり、自分の生きがいなのだと、その時に節子と話したことを思い出します。

「ケアの対象を欠いた状態は、人生における最大の苦痛である」と言っている人もいますが、ケアするという行為は、それほどに人間にとって大切な行為なのです。
子どものいない夫婦が、ペットを飼う心理もこのことから説明できますし、ドメスティックバイオレンスもその視点で考えるとよく見えてきます。
先日、自分の子どもの点滴に腐敗水を混入した母親の事件がありましたが、周囲の関心を引くため子どもに意図的に危害を加える「代理ミュンヒハウゼン症候群」の疑いがあると報道されていました。
まさにこれは「ケア願望」が引き起こした悲劇かもしれません。
人は誰かのためにケアするのでなく、自らのためにケアするのです。

私にとっては、その一番の対象が、節子でした。
節子は私にとって生きる意味を与えてくれる存在だったと何回か書きましたが、これがその一つの意味なのです。

ちなみに、昨日の挽歌にロビタさんがコメントをくれましたが、ロビタさんも同じ体験をされているようです。

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2009/01/25

■「やっぱり首相はしっかりしてなくっちゃ」

場所前には引退さえもささやかれていた朝青龍が優勝しました。
表彰式で、麻生首相が「やっぱり横綱は強くなくっちゃ」と朝青龍に声をかけました。
一緒に見ていたむすめが、すかさず「やっぱり首相はしっかりしてなくっちゃ」といいました。
麻生さんに、その言葉が届かないのが残念です。

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■節子への挽歌511:生命を支える生きがい

「母が亡くなったら、後を追うように、父が4か月後に亡くなりました」
昨日、ある集まりで会った人から聞いた話です。
おそらくご両親は70代だったのだろうと思います。
たぶんとても幸せなご夫婦だったのでしょう。
そういう話は時々聞くのですが、いつも感ずるのは若干の羨望です。

私たちは愛し合っていることにおいては、それなりの自負がありました。
しかし、もしそうであれば、なぜ伴侶を失ってまでものめのめと生き続けられるのか。
時々、そう思うことがあります。
実は自分が伴侶を見送るという体験をする以前には、妻を見送った人が仕事をしている姿がどうにも理解できなかったのです。
自分ならきっと仕事などできなくなり、社会への関心も失ってしまうだろうと思っていたからです。

ところが節子を見送って1年半近く経ちますが、私もまた活動を再開しだしました。
幸か不幸か、私もまた伴侶のいない「半身を削がれた」人生に慣れてきているのかもしれません。
もっともまだ1年半弱ですので、これからどうなるかはわかりません。
私が部屋で静かにしていると、むすめが時々、「生きている?」と声をかけるのですが、彼女たちも少し気にしているのかもしれません。

伴侶を失うと、やはり「生きがい」が大きく失われることは事実です。
「生きがい」は、まさに生命の支えですから、生きる基盤が弱くなるといっていいかもしれません。
幸か不幸か私の場合は、2人の娘がまだシングルです。
ですから私の親としての使命が残っているわけです。
私がたぶん生き続けているのは、「ケアすべき娘たち」がいたからです。
しかし、いずれ彼女たちはいなくなります。

伴侶を失って、なお生きる定めならば、やはり「生きがい」の補強が必要なのでしょう。
だから活動を再開するという意識が作動しているのかもしれません。
生命は、それがたとえ自分の生命であっても、勝手に操作することはできません。
節子が、それをしっかりと示してくれました。

しかし、欲を言えば、節子も私も後10年生きて、一緒に人生を終わりたかったと思います。

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2009/01/24

■節子への挽歌510:自我はたくさんの我の集合

南方熊楠は、自我は「単我」ではなく、複数の我の集合であると書いています
最近は多重人格ということがかなり一般的にも認識されだしていますので、このことにはそう違和感を持つ人はいないでしょう。
「心のマルチ・ネットワーク」という考えもあります。
これはとてもわかりやすいです。
私流の表現をすれば、人の心の中にはたくさんの心がいて、状況にあわせてそのだれかが主役になるという考えです。
まさに、南方熊楠の表現そのものです。
実はこの構造は、ユングの集合無意識や唯識論の構造とフラクタル(相似形)と考えれば、とても合点がいきます。

アメリカの社会心理学者ジョージ・ハーパート・ミードは、自己(self)は、I(主我)とme(客我)から成っていると言っているそうです。
meとは、自己の中に取り入れられた他者です。
「自己の中の他者」って何だ、と思われるかもしれませんが、おそらく感覚的にわかってもらえると思います。
自分の心の中には、「見ている自分」と「見られている自分」がいますが、見られている自分の中には、自分でないような自分もいます。
しかし、いつの間にか、その「自分でない自分」が自分の主役になってしまうこともありえます。
生命はオートポイエーシスという「自己創成」のシステムだという考えがあり、私はその考えがとても気にいっているのですが、

私たちは、他の人と付き合うことで、自分を変えていきます。
いや変わっていくというべきかもしれません。
それが年を重ねるということであり、「成長」です。
しかし、他の人と付き合うということは、その人とつながる要素がなければいけません。
つまり、つきえる他者の分身は、すでに自らの中にいるということなのです。

長々とまた書いてしまいましたが、私の中にはたくさんの自分に混じって、最近、節子の姿が見えていることを書きたかったのです。
私の言動に対して、たくさんの「自分」が意見を言ってきます。
そのたくさんの「内なる声」との会話の中から、私は実際の言動を選んでいきます。
ところが最近、そこに「節子の声」が聞こえるのです。

そして、それによって、気づかなかった節子に出会うこともあります
今もなお、私の人生の伴侶は節子です。

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2009/01/23

■「病気の治療(cure)」と「患者への世話(care)」

時評ブログをきちんと書き出そうと思っていたのに、今朝、目が覚めたら、めまいのために歩けない状況になってしまいました。
脳障害を心配しましたが、どうもそうではなく、内耳の三半規管の障害のようでした。
1日ほとんど寝ていたのですが、薬のせいかだいぶ良くなりました。
この症状は2回目なのですが、前回は死ぬんじゃないかと思うほど辛かったのですが、今回は軽くすみそうです。
しかし、今も胸がムカムカし、思考力は散漫で、気力にいたってはほぼ皆無です。
でもまあ、昨日再開と書いたので書こうと思って、パソコンに向かいました。
やはり何も浮かびません。

で、今日、行った柏市の岡田クリニックのことを書きます。
岡田医師は往診もするクリニックを数年前に開きました。
以前は私の近くの病院の医師で、母がお世話になった医師です。
女房が自宅療養するになった時に、とてもお世話になりました。
1年半ぶりに行きました。

午後の最後に行ったために、かなり混んでいました。
思考力なく、私はただ座っていましたが、こんな風景を見ました。
患者の一人が薬を調合してくれた看護師の方と、たぶん家族の話をしていました。
ぼんやりと聞いていたのですが、その人の病気とはあんまり関係のない話でした。
その人の洗濯機は全自動ではないこともわかりました(まあ、どうでもいいことですが)。

最初、私は、この患者の人は看護師の時間を占拠し、他の患者たちに迷惑をかけているのに気づかないのか、とちょっと批判的に感じていました。
看護師の方は混んでいることもあって、早く切り上げたいと思っているのではないかと思いましたが、どうも話を聞いていると看護師さんも親身になった楽しそうに話しているのです。
そこでハッと気づきました。
これこそが本当の医療のかたちではないのか。
それに、私がまだ時間効率意識が抜け切れていないことにも気づきました。

そして、ケアなき治療のことを思い出しました。
医療が、医学による「病気の治療(cure)」となってしまい、気持ちをこめての「患者への世話(care)」から離れてしまったことに、私は批判的だったのではないか。
病気だけを診るのではなく、病人を診よ、と医師にいいたがっていたのではないか。
自分の身勝手さに恥じいりました。

診察が終わって、会計をしようと思ったら、看護師さんが来てくれました。
女房が最期までお世話になった看護師の方たちです。
患者もいなくなったので、私も無駄話を少ししてしまいました。

岡田医師は、そうした人間の声が溢れるようなクリニックを目指しているのかもしれません。
きっとここに来るだけで元気になるお年寄りやお母さん方もいるのでしょう。
クリニックの裏の駐車場から診察室が見えるのですが、
私たちを見つけた岡田医師は、椅子からたちあがって、ていねいに私たちを見送ってくれました。
そのせいか、めまいは薬を飲む前にほとんどなくなりました。

医師と看護師と薬剤師と患者、さらには患者の家族。
それらが心を通わせあうことができれば、病気も少なくなっていくでしょうね。
病院と関わる勇気をこの1年半、失っていましたが、今年は少し関われればと思い出しました。

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■節子への挽歌509:久しぶりに岡田クリニックに行きました

節子
今朝は節子が迎えに来たのかもしれないと思いました。
起きて歩こうとしたら、めまいがして歩けないのです。
吐き気までしてきました。

実は節子がいなくなってから2回目です。
一昨年の大晦日に、同じような症状になりました。
どこも休みだったので、救急病院を回りましましたが、ストレスのせいではないかといわれて、4日ほど安静にしていたら治りました。
まあ、その体験があったので、そう心配ではなかったのですが、その時、後で病院できちんと検査するように言われていたのを思い出しました。
もちろん治った途端に、そんなことは忘れてしまっていました。
節子がいたら必ず検査に行かされていたでしょうが。

半日、ベッドで寝ていました。
その時思ったのは、こういうことがこれから増えていくのだろうなということです。
節子のいないことが、急に現実感を持って迫ってきました。
今は娘が同居していますからいいのですが、この先、どうなるのでしょうか。
もう一つ思ったことは、体調が悪くなったときの辛さのことです。
節子の辛さを、私はわかっていたのだろうかと、少し不安になりました。
いや、節子だけではなく、病気の人の辛さを理解できていただろうか。

半日寝ていたのに治らないので、岡田クリニックに行くことにしました。
岡田さんは、節子が最後までお世話になったお医者さんです。
毎週自宅に往診に来てもらっていましたが、単なる治療処置(cure)ではなく、ケアしてくれていました。
節子がもう少し早く岡田さんのお世話になっていたら、もしかしたら何かが変わっていたかもしれません。
その岡田さんに、私たち家族が元気になったことを知らせたいという気がしてきて、少し遠いのですが、岡田さんのところに行くことにしました。
岡田さんは、以前と同じく、患者さんたちと親しく話しながら、院内を動き回っていました。
結局、私のは疲れなどからくる内耳関係の機能障害でした。

岡田さんが、ホームページに奥さんのことを書かれていましたね、と言ってくれました。
この挽歌のことでしょうか。
読んでくれたのです。
帰り際に、覚えてくれていた看護師さんたちに「女房が呼んだのかと思いました」と話したら、「急がなくても奥さんはずっと待っていますよ」と言われました。
いやいや、もしかしたら待っていないかもしれませんね。

クリニックを出たら、なんだか急に普通に歩けるようになりました。
もしかしたら、節子が、岡田さんのところに報告にいかせたのかもしれないと思いました。

戻って少し休んだらパソコンまでやれるようになりました。
もっともいまもまだ胸のむかつきと心身の違和感は残ってはいますが。

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2009/01/22

■時評をさぼっている言い訳

時々、時評を書く意欲が消えてしまうことがあるのですが、この1週間、まさにそうで、何を見ても聴いても、まあ勝手にやったらいいんじゃないのと思ってしまうようになっています。
オバマのスピーチに世間は沸いていますが、20分のスピーチを聴いても心が躍動しません。
たしかに久しぶりにスピーチらしいスピーチのような気もしますが、なんだか私の心が麻痺してしまっているのです。
スピーチの一方で、ガザの惨劇は続き、アフガンやイラクの情勢は変化の兆しを感じられないのが、その理由かもしれません。
日本でも、政府や財界が言葉を並べ立てていますが、現実が変わる兆しは感じられません。
現実を変えているのは、当事者と当事者に繋がる人たちなのです。
閣僚たちの視線は、そうした現場には向いていません。

言説の時代は終わったといわれています。
大きな物語の時代も終わった、これからはローカルな身の丈にあった物語だという人もいます。
逆に言葉が現実を超えて、新しい世界を創りだしていくといっている人もいます。
いずれにも共感しますが、だからなんだとも思います。
いささか「うつ」状態なのかもしれません。

オバマのスピーチに世界は大騒ぎです。
あんなに大盤振る舞いして大丈夫なのでしょうか。
世界は本当に変わっていくのでしょうか。
そうあってほしいものですが、何だか方向は全く変わっていないような気がしてなりません。

すみません、無意味なことを書いてしまいました。
明日から少しまた書き出します。

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■節子への挽歌508:自然の一部として、自然に生きる

節子
小雨の降る寒い1日でした。
どんよりした空、そして身体を凍えさせるような寒さ、そのためかどうも元気が出てきません。
人の生命は自然とつながっていることがよくわかります。

節子が手術をしてから4年半。
私たちは寄り添いながら暮らしていましたが、節子を通して自然を強く感じるようになりました。
暑さ寒さ、空の雲の広がり、気温や風、そうした自然に人間の心身は素直に反応することを、節子から教えてもらったわけです。
もっとも当の本人である節子自身は、必ずしも自覚していませんでしたので、おそらく今の私自身も、そう敏感に自覚できているわけではないでしょう。
しかし、節子の変化の様子が思い出されて、それにむしろ影響されてしまっているのかもしれません。
そのせいか、自然と節子の思い出と私の気分がなんだかワンセットになってしまっているのです。
真っ青な快晴の空を見ると節子の元気な笑顔を思い出しますし、今日のような寒空を見ると首を縮めて暑いお茶をすすっている節子を思い出します。
そして、重苦しい雲の向こうに、ついつい節子を感じてしまいます。
そうしたイメージが私の行動に大きな影響を与えているのです。

先日、おいしいと評判の高いブランド品のコーヒーをもらいました。
早速いただいてみました。
私はいつものとそう違わないような気もしましたが、一緒に飲んだ、「ブランド」通の人は「やはり美味しい」と言ってくれました。
まあそれはともかく、私たちは「ブランド」などの情報によって、物事を判断しがちです。
今日もゴヤの「巨人」の画はどうやらゴヤの弟子の作品だという報道が新聞に出ていましたが、絵画にしても誰が描いたかによって私たちの印象は変わってしまいます。
知識のおかげで、私たちは芸術作品を素直に見られなくなってしまったと、スーザン・ソンダク(以前、Comfort isolatesのところで紹介しました)は嘆いていますが、同感です。

私自身は、ブランドにも権威にも意識的にはとらわれない自信はある程度ありますが、最近の自然の受け止め方のことを考えると、どうも危うい気がしてきます。
自分の心身で世界をみることの難しさは、この頃、痛感します。

ところで、東洋の思想の根底にあるのは、生命は自然の一部だということです。
自然と人間とを対立させて考える西洋の思想とは全く違います。
しかし、西洋の思想にしても、たとえば聖書では、神様は土から人間を創ったとされていますから、本来は人間が自然の一部であると意識していたはずです。

自然の一部として、自然に生きる。
それが最近の私の理想なのですが、どうも小賢しい知識と無意味な私欲を吹っ切れずにいます。
節子がいた時は、そうしたことの無意味さを節子がその生き方において教えてくれていたのですが。

それにしても今日は寒いです。
あたためてくれる節子もいませんので、なおさらです。

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2009/01/21

■節子への挽歌507:エラン・ヴィタール

昨日は「死」について書きましたので、気分を変えるために今日は「生」です。

「エラン・ヴィタール」
何だかとてもいい響きの言葉です。
フランスの哲学者ベルグソンは学生時代に挑戦しましたが、消化できませんでした。
しかし、その著作はいずれも魅力的です。
「エラン・ヴィタール」は、そのベルグソンの「創造的進化」に出てくる言葉です。
ベルグソンは、生命は自らの内に、自らを進化させる躍動的な力を秘めていると考えました
その躍動の源、「生の躍動」を「エラン・ヴィタール」と名づけたのです。

生命とは不断に変化するものです。
それも自分で変化する。
荒っぽく言えば、それが「創造的進化」というわけです。
ダーウィンが言うように、外部からの働きかけで淘汰され進化するのではなく、自らのエラン・ヴィタールで進化するのです。
そうやって絶えず躍動し続けているのが生命なのです。
ある視点で見ると、そこに「進化」と呼んだほうがいい躍動があるのでしょう。
しかし、「進化」などという発想は、進歩主義の枠の中での発想でしかありません。

前にも書いたように、生命は時空間を超えてつながっています。
そう考えれば、進化もまた、そうした「大きな生命体」の状況の一つでしかありません。
ダーウィンの進化論は私には全く無意味で退屈なのですが、エラン・ヴィタールの考え方は魅力があります。
それに響きがいいです。
そう思う人が多いのか、この言葉には時々出会いますが、私はその意味を充分に咀嚼できていません。
ですから勝手な使い方になっていると思います。

その勝手な使い方によれば、エラン・ヴィタールが、個々の人間を創りだすとも考えられるわけです。
つまり、大きな生命体を分節してしまうわけです。
それが私であり、節子であるわけです。
そう考えると、私と節子の40年は、2つのエラン・ヴィタールの躍動の一瞬だったのかもしれません。
そして、節子のなかに在ったエラン・ヴィタールの炎が、ある時に「進化」して、彼岸に飛躍した。
なんだかちょっとロマンティックではあります。
さて私の中に在る、エラン・ヴィタールの次の躍動はいつでしょうか。

死もまた生の躍動の一つの現われと考えれば、死生観は大きく変わります。
しかし、それにしてもやはり「死」と言う文字の侘しい呪縛からは離れられないのが現実です。

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2009/01/20

■節子への挽歌506:死にまつわる3つのプロジェクト

17日に私が関わっているコムケア活動の新年交流会を開催しました。
各地でさまざまな活動に取り組んでいる人たちが集まってくれました。
節子の賛成もあって、私は本業の仕事をやめて、このコムケア活動にのめりこんだのですが、そのおかげで、私たちの人生は大きく変化してしまいました。
しかし、節子がいなくなった今、この仲間に大きく支えられているのです。

そこで「死」にまつわる話題がいくつか出ました。
挽歌504にも書きましたが、今年はどうも死に関するプロジェクトに引き寄せられています。

ひとつは、孤独死です。
今でも阪神大震災の被災者の方の中には仮設住宅倉逸されている方もあり、そこでの孤独死は少なくないのです。
その防止に取り組まれているのが松本さんが参加してくれたのですが、何とかして松本さんの構想を拡げていきたいと思っています。
もう一つは、新しい葬送文化に向けての活動です。
寿衣を縫う会の代表の嶋本さんがやはり参加してくれました。
嶋本さんは昨年、友人の葬儀に関わった体験から、もっと心を込めた葬儀を実現したいと思い立ったのです。
それで相談を受けたのですが、私も節子の時の体験から嶋本さんの問題意識に共感しました。
しかし、どうせなら「葬儀」ではなく、「葬送文化」を考えたいと思ったわけです。

サラリと書いていますが、実際にそうした議論をするのはかなりつらい話です。
写真などは、実は目を覆いたくなるほどです。
その辛さを気取られないようにしようとがんばったのですが、一度だけ、少し感情を出してしまいました。
まだまだ簡単には「死」を考えられない自分に気づかされました。

もう一つは「自殺」問題です。
東尋坊の茂さん から、ある構想に関して応援して欲しいと頼まれているのです。
茂さんからの頼みは断れません。
節子も会っていますし。

そんなわけで、今年は「死に関係するプロジェクト」に取り組むことになりそうですが、果たして大丈夫でしょうか。
いささかの心配はあるのですが、いずれも自分から呼び寄せたプロジェクトではなく、先鋒からやってきたプロジェクトです。
それに、これを乗り切れたならば、節子に近づけるかもしれないという思いもあるのです。

しかし、この記事を書いただけでも少し胸がドキドキしています。
気が小さいというか、だらしないというか、節子に笑われないようにしないといけません。
節子は、その先にいるのですから。

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2009/01/19

■参議院予算委員会審議実況は久しぶりに面白かったです

今日は参議院予算委員会の審議の実況をずっと見ていました。
国会中継は可能な範囲で見るようにしているのですが、いつも何でこんな議論しかできないのだろうかと残念に思うことが多いです。
国会の議論であれば、技術的な制度議論ではなく、考え方を中心にするとともに、対立的ではなく異質な考えを持ち寄って一緒に最適な方策を創り出していくようにしてほしいと思います。
議論とは、相手を否定するためのものではなく、そこから価値を創りだしていくためのものだろうと思います。
そうではないような、茶番的な掛け合いがあまりにも多すぎます。
にもかかわらず見るようにしているのは、閣僚や議員の本音や姿勢、あるいは日本政府の主体性、さらには日本政治の実態が感じられるからです。
新聞やテレビニュースからは、私の場合は全く何も感じられません。

しかし、今日はなかなかいい議論を見られました。
民主党の峰崎直樹議員の発言の際のやりとりです。
峰崎議員は、アメリカの働きかけによって、日本の経済や企業が壊されたことを指摘し、なぜアメリカに反論しないのか、
IMFに莫大な資金を提供して感謝状をもらって喜んでいるのではなく、IMFのガバナンスを変えなければいけないのではないか、
などとかなり厳しく追及しました。
残念ながら、それは最後のほうだったので、いささか中途半端な議論に終わりましたが、
麻生首相もかつての構造改革路線は見直すべきだという明言しました。
小泉・竹中コンビが日本の経済社会を壊した事実がやっと国会で明示的に語られだしたことは喜ばしいことです。

与謝野さんが、「金利を上げたほうがいい」という見解を明言したのも面白かったです。
その理由として、数字の裏づけも示しましたが、もちろんその後、麻生首相は婉曲に否定しました。
技術論でしたが、年金関係の具体的な提案に枡添厚労相が検討していきたいという姿勢を見せたのも好感が持てました。
麻生さんは、私は知識がないので口を出さないようにしているという発言をしていましたが、気楽な首相です。

しかしその後の蓮舫議員の質疑の時は、もうめちゃくちゃで、やはり議論にはなりませんでした。
小渕少子化担当相の答弁は、恥ずかしいほどに棒読みでした。
まさに操り人形なのでしょうか。
しかし、今日は少しだけ面白かったです。
昨日のそれぞれの党大会の馬鹿さ加減に辟易していましたが、少しだけ救われた感じです。

ところで、国会での議論は是非休日にもやってほしいです。
休日であれば実況放送も見やすくなります。
国会実況をもっと多くの国民がみたら、おそらく政党支持状況は変わるでしょう。
退屈でしょうが、ぜひ多くの人に国会中継は見てほしいです。

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■節子への挽歌505:「見かけは元気」

節子
昨日、思わぬ人からの電話です。
先日電話をくれたマレーシアのチョンさんが日本に来たので会いたいというのです。
日本にくるかもしれないと言っていたので、もしかしたらとは思っていましたが、あまりに突然でした。
幸いに在宅だったので、自宅に来ないかと言ったのですが、仕事の関係で時間がとれないというのです。
それで上野まで会いに行きました。
全く変わっていませんでした。
そして、節子がいつも言っていたように、「陽気なチョンさん」ぶりも変わっていませんでした。

前にも書きましたが、アジアからの留学生の集まりの場を提供し、私たちとして何かできることを考えたいという思いで始めた留学生サロンは、あまりうまくいきませんでした。
最初の集まりで感じたのは、留学生たちの「疑いの目」でした。
日本人に対する不信感のようなものを感じました。
それはそうでしょう。
見ず知らずの人が急に声をかけてもどこか胡散臭い感じです。
実際にいろいろとひどい目に会った人もいるようでした。
みんな日本人に対して、あまり良い印象を持っていませんでした。
そういう場に、しかし節子がいることで雰囲気はかなり変わりました。
節子がいることで、安心感を与え雰囲気を和らげる場面は、留学生サロンに限らず、いろいろとありました。
私のさまざまな活動は、そういう意味でも節子に支えられていました。

当時、私はあまりにもたくさんのテーマに取り組みすぎており、留学生サロンもその一つでしかありませんでした。
問題に出合うとすぐに何かやりたくなってしまい、みんな中途半端に終わってしまう私の性格は今もあまり変わっていませんが、留学生サロンは節子はたぶんもう少し続けたかったのではないかと思います。
しかし同居していた私の母の介護や節子自身の体調不振が起こり、しかも、私が時間破産に陥ったりして、2年ほどで終わってしまいました。
その後も何人かの留学生はやってきてくれていました。
チョンさんはその一人でした。

チョンさんは会うなり、佐藤さん、元気になってください、と言いました。
元気だよと応えると、見かけは元気ですね、とすぐ反応しました。
「見かけは元気」
そうなのかもしれません。

チョンさんはいまインドネシアで仕事をしていますが、最近、40代の友人を病気で突然失ったのだそうです。
医療環境の遅れから、インドネシアで病気になると大変なのだそうです。
若い友人を失うことの辛さを、陽気なチョンさんは笑いながら話しましたが、きっとそれは「見かけ上の陽気さ」だったのでしょう。
彼自身、いろいろと不安や悩みを抱えています。
しかしそんなことは全く表情に出さずに、いつものように陽気に笑います。

奥さんは佐藤さんの同志だったのですよね、というようなことも言ってくれました。
昔の話をいろいろとしてくれました。
節子が元気だったころの話をしているうちに、私も元気をもらったような気がします。

別れ際にチョンがまた言いました。
「佐藤さん 元気になってくださいよ」
見かけ上の元気では、彼はどうも安心できないようです。
今度来日したらわが家にくることを約束して別れました。

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2009/01/18

■節子への挽歌504:精一杯生きる

挽歌501にお2人の方からメールとコメントをいただきました。
コメントしてくださったのは、田淵さんです。
一部を再録させてもらいます。全文はコメントをお読みください

私も先日出した寒中見舞いに
「・・・・過酷な闘病でしたが主人は最期まで投げ出すことなくひたむきに生き抜きました。・・・・」
と書きました。

 そうですね。死ぬために生きているのではありません。

友人たちが慰めのために「ご主人はもういいと思われたときもあった筈だけど、あなたのために頑張られたのよ」と言ってもらっても違和感を感じたのは、私はやはり主人はもういいとは一度も思わなかったと確信しているからです。
生きたいと思っていたに違いありません。
真摯に生き抜きました。
そういう人間もいることを知ってほしいですよね

「そういう人間もいることを知ってほしいですよね」
というところに、田淵さんの思いが伝わってきます。

もう一人は、挽歌287で紹介した大浦さんです。
むすめさんを見送った大浦さんからも、(私も)そのことを伝えたくて、「あなたにあえてよかった」を書いたのだと思いだしました、とメールをもらいました。

郁代もまた、他に選ぶことが出来ない、逃げ場のない生を、最期まで精一杯生きようとしたのでした。
周りの人ができることは、精一杯生きようとしている人と共に生きることなのかもしれません。
最近、テレビに時々登場しますが、東尋坊で自殺予防活動に取り組んでいる茂さんが「本当はみんないきたいんや」と言っていたことを思い出します。

昨日、ある集まりで、「死」が話題になりました。
私にはかなり辛いテーマですが、今年は少し「死」に関するプロジェクトに関わることになりそうです。
自分で決めたことではなく、流れの中でそうなってきたのです。
これもきっと何かの必然性があるのでしょう。
しかし、「死」を語る時には、いつもこのことを忘れないようにしたいと思っています。

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2009/01/17

■節子への挽歌503:坂道をのぼりながら考えたこと

節子
最近、坂道を登るのに息が切れてしまうようになりました。
老いを身体で実感できるようになってきたのです。
ポジティブシンキングを目指す私としては、身体の感受性が豊かになってきたと受け止めていますが、その坂道をのぼりながら思い出すのは節子のことです。

節子が病気になってから、2人で散歩などしていると、私には気づかないようななだらかな坂道でも、疲れるからもっとゆっくり歩いてよ、といったものです。
最初の頃は、こんな坂でそんなにもつらいの、と私は無情にも反応してしまったものです。
元気な時にはなかなか実感できないもので、ついつい急がせてしまっていたこともあるような気がします。

これは坂道だけではありません。
歩く速度じたいも昔と違ってゆっくりになりました。
いや生活すべてにおけるスピードが変わっていったのです。
私はそれを理解しても、なかなか身体的な反応にはつながらず、節子には申し訳ないことをしたと今でも思っています。
頭での理解と身体的な反応は時間のずれがあります。
しかし、一度身体に刷り込まれた時間リズムは定着し、節子のリズムが今の私のリズムになっているような気がします。
そして、坂道をのぼるときに、節子が教えてくれた生活リズムをいつも思い出すのです。

「人を愛するとは、その人間と一緒に年老いるのを受け容れることにほかならない」とアルベール・カミユは書いています。
私たちは一緒に暮らし始めた時に、そのことをかなり意識していました。
しかし、節子が私より早く旅立ってしまい、年老いた暮らしを共にできなくなってしまいました。
節子は、私に対してそのことを時々わびていました。
まさか関係が逆転するなどとは私たちは思ってもいなかったのです。
年老いて、2人の人生の苦楽を思い出しながら、語り合う。
それがある意味での私たちの人生の目標だったのです。
過去は、未来においてはじめて意味を持ってくる、と私は考えていました。
ですから、2人とも過去のことなどには無関心に生きてきました。
しかしもはや過去を語ることもなくなってしまったのです。
私たちの未来が消えてしまうと共に、過去もまた消えてしまったのです。

昨日、坂道をのぼりながら、少し息切れしている自分に気づきました。
その時にハッと気づきました。
病気になってからの節子は、その後の人生を凝縮させて生きていたのではないか。
私に年老いた自分を体験させてくれたのではないか。
そして私に年老いた時の生き方を教えてくれていたのではないか。

いささか馬鹿げた考えですが、そう思えてきたのです。
私たちが目指していた、年老いて寄り添いながら暮らす生き方を、節子は体験させてくれていたわけです。

「人を愛するとは、その人間と一緒に年老いるのを受け容れることにほかならない」
カミユの言葉の意味が、ようやくわかったような気がします。
節子、ありがとう。

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2009/01/16

■政党の時代は終わっています

自民党を離党した渡辺議員が、公務員制度改革や地方分権改革などを推進する政策集団を立ち上げると発表しました。
ともかく具体的な動きが出てきたことは歓迎したいと思います。
この数か月、日本の国政は2大政党のにらみ合いのまま動きがとれずにいます。
民主党も、本気で政権を奪取したいのであれば、国民に向けて呼びかける姿勢を持たなければ動きは出てこないでしょうが、それをする気は感じられません。
所詮は自民党と同じなのです。
渡辺議員が国民の方を向いているかどうかはわかりませんが、少なくとも「国民運動」という言葉を使っていることには期待が持てます。

ところで、日本では相変わらず「無党派層」が多いです。
これは何を意味するのでしょうか。
私には明確に思えます。
政党の時代が終わったということです。
国民一人ひとりの政治意識が高まれば、政党の存在価値はなくなります。
ただそれだけのことではないかと思います。

党議拘束などという時代錯誤もはなはだしい管理の枠組みの中で、自らの見識も主張も主体性も持っていなくてもやっていける歯車政治屋の時代は終わったということです。
にもかかわらず、まだ2大政党とか小選挙区制度とかいう、対立構造を信奉している政治の枠組みが残っているわけです。
というよりも、そういう時代遅れの政治のスキームに向かって、いまだに政治制度整備がされているのです。
政治学者や政治評論家は、今もまだ政党政治の枠組みにしがみついています。
学者や評論家は常に時代の現場から遅れるものですが、いささかその遅れが大きすぎるように、私には思えます。

渡辺議員の行動は政党再編成の契機ではなく、政党の時代の終わりの契機になってほしいと思います。
それが無理であれば、せめて「固い殻のような政党」から「柔軟な生きた政党」への脱皮に繋がってほしいものです。

社会の成熟化の中で、組織の意味合いが変わってきています。
企業も行政体も組織構造原理が変わっているのです。
政治の世界も同じです。
渡辺さんには、ぜひそうした意識を持って、新しい政治のあり方を考えてほしいものです。

過剰な期待であることはわかっていますが、状況はかなり熟しています。
大きな変化の契機にならないとはいいきれません。
新聞やテレビの論説委員がいつものように潰さなければ、ですが。

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■節子への挽歌502:「父ちゃんが逝って1か月がたちました」

節子
高崎で「ゆいの家」の活動をされていた、コムケア仲間の高石さんから毎月送られてくる「風の大地」が届きました。
コムケア仲間からのニューズレターなどは最近あまりきちんと読んでいないのですが(読む余裕がなくなっていました)、今年からきちんと読んでいこうと思い、開いてみて驚きました。
「父ちゃんが逝って1か月がたちました」とあるのです。

高石さんのことは一度書いたことがあります
高石さんのご主人もまた、節子の再発と同じ頃にがんが再発したのです。
しかし、時折届く高石さんの「風の大地」を通じて、危機を乗り越えて、回復し元気になったと思い込んでいたのです。
節子の訃報を伝えた時にも、几帳面にぎっしりと書き込んだ返信をもらいましたが、その時にも高石さんたちは危機を乗り越えたんだなと感じたことを覚えています。
ところが、思わぬ記事に出会ってしまいました。

高石さんのパートナーは、発病以来、しっかりとご自分でノートを書いていたそうです。
そのノートの一部を「風の大地」に引用されています。
そして、高石さんはこう書いています。

父ちゃんのノートの内容をたどりながら、「父ちゃんの死」に対して、きちんと向き合いたいと思います。

それに続いて、代替医療を信ずる高石さん、しかし医者から提案される抗がん剤治療に迷う夫、その2人のそれぞれの思いなどが語られています。
とても身につまされる話で、最後までは読めませんでした。
今回はいつもよりも、とても長い「風の大地」でした。

「父ちゃんが逝って1か月がたちました」
高石さんらしい言葉です。
夫婦の関係は実にさまざまです。
私たち夫婦と高石さん夫婦はかなり違っているのですが、高石さんがとても素直に気持ちを披瀝されているところは私と全く同じです。
愛する人との別れは、人をとても素直にするのかもしれません。

私は高石さんのパートナーには会ったことはありませんが、ご冥福をお祈りいたします。
高石さんからの「風の大地」を、これから読めるかどうか、ちょっと不安です。

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2009/01/15

■節子への挽歌501:「生き方」と「死に方」

今日の読売新聞の記事です。

がん患者の8割以上は、最後まで病気と闘うことを望みつつも、死を意識せずに普段通りに過ごしたいと考えていることが、東京大によるアンケート調査で明らかになった。
逆に、がん診療に当たる医師や看護師は、将来の病状の変化や余命を知って、死に備えることを重視する割合が多く、患者と医療関係者の間で価値観のギャップがあることが浮き彫りになった。
節子のことで知人の医師に相談した時に、問題は「死に方」ですね、といわれたのはショックでした。
その医師は、統合医療研究会の中心人物だったこともあり、違った答を期待していたからです。
その後も医師に限らず、同じようなことを言われたこともありました。

日本の武士道でも「死に方」が問題にされますが、私には全く理解できない発想です。
人間は死に向かって生きているわけではありません。
生きているから死があるのです。
さもわかったように、「死に方が大切です」などという人を見ると、正直、私は蹴飛ばしたくなります。
生きようとしている人に対して、わかったようなことをいうな。
自分の生き方も少しは考えろ、といいたくなるわけです。

少し言葉がすぎたかもしれませんが、真剣に生きている人に、「死に方」などということが、どれほど残酷なことかわかってほしいものです。
「死に方」は、所詮は「生き方」の問題ですから、わざわざ言い換える必要はありません。
それに、生命はすべてつながっていると考える私にとっては、「死に方」は自分でどうこうできる問題ではありません。

こうしたことに関して書き出すと長くなってしまいますのでやめますが、節子は最後まで見事な生き方をしました。
節子は最後の最後まで、生き方を考え、生きることを放棄はしませんでした。
死への恐怖や不安は見事なほど、克服していました。
肩に力を入れて、そう思っていたわけではありません。
死から解放され、素直に、自然に、最後まで誠実に生きたのです。
弱音も愚痴も一切口にしませんでした。
告別式の挨拶で話したように、最後の1か月は凄絶な闘病生活でしたが、それはそれは見事な生き方でした。

それを「死に方」という人がいるかもしれませんが、断じてそうではありません。
心のある人であれば、決して死に方などという言葉は使わないでしょう。
一緒に体験しているとわかりますが、「生き方」なのです。
「死に方」で発想している医師には、生命への畏れが欠落しています。
病気は治せても、病人は治せないでしょう。
そういう人たちが、きっとイリイチの言う「病院社会」をつくってきたのです。
また言葉が激しくなりそうですね。
この件では、医師に言いたいことが山ほどあるので、どうしても感情的になってしまいます。
節子に怒られそうなのでやめましょう。

見事な生き方をした節子。
あまりに見事だったので、私は節子が死んだとは今でも思えないのです。
その節子に比べると、今の私の生き方はいささか弱々しいかもしれません。
しかし、私もまた、素直に、自然に、誠実に生きています。
でも誰もほめてくれません。
節子だけはきっと彼岸からエールを送ってくれているでしょう。

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2009/01/14

■自由に物言えぬ報道と自由に物言わぬ報道

昨年、話題になった岩波新書の「貧困大国アメリカ」のなかに、2006年度に「国境なき記者団」が発表した「世界168か国における報道の自由度ランキング」によれば、日本は51位だったという紹介があります。
これには驚きました。
そんなに低いとは思ってもいませんでしたから。

報道における主体的判断と批判精神の不在は、そうした状況の結果なのでしょうか。
いまNHKのガザ事件の報道の偏向性が問われていますが、それには悪意ある意図さえ感じます。
イスラエルのガザ侵攻事件は、イラク侵攻事件と同じく、明らかな犯罪行為だと思いますが、イスラエル側の視点が多すぎます。
アメリカの圧力がかなりあるのでしょうか。
いや、どうもそればかりではないような気がします。

次元は違いますが、定額給付金やそれに異議申し立てした渡辺議員の行動に関する報道も私には偏見を感じます。
一方で、国民の7割が給付金に反対しているというアンケート調査結果を報道しながら、それを中和するように、支給されたら受け取る人数も多いなどという全く次元の違う話を付け足しているのは明らかに政府に迎合しています。
渡辺さんに関する行動も「弱いものいじめ」に見えますし、渡辺さんに続く人たちを抑える働きをマスコミは見事に果たしたように思います。
それほどまでして政府を守りたいのであれば、世論調査などしなければいいのにと思います。

渡辺さんは「国民運動」を起こしたいといいました。
それは、マスコミやそこに登場しているいわゆるコメンテーターに対する批判のような気がします。
7割の国民が無駄だと反対している給付金を、世論に反して強行採決する政府の暴挙に対して、なぜマスコミは「無力」なのでしょうか。
国民の税金を、国民の意思に反して湯水のごとく無駄遣いしている政府に迎合する報道をなぜ続けるのでしょうか。
そこに、現代のマスコミの意味を感じます。

報道の自由の不在は、2種類あります。
「自由に物言えぬ報道」と「自由に物言わぬ報道」です。
「報道の自由度ランキング51位」というのは、どちらに要因があるのでしょうか。

報道の自由の不在は、言動の自由の不在、さらには主体性の不在の結果なのかもしれません。
その逆ではないような気がします。
それにしても、政府自民党のなかに、給付金反対論が出てこないのが不思議でなりません。
これほどまでの世論との乖離は、どう考えても健全ではありません。

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■節子への挽歌500:年賀状の返事

節子
たくさんの方から年賀状をもらいました。
宛先にまだ「節子」があるものも3枚ありました。
私のほうの友人ですが、伝えていなかったようです。
この年賀状が正しくて、節子の不在は私たちの勘違いだったらどんなにいいでしょうか。
その人たちに伝えようかどうか、迷っています。

ところで、今年は年賀状を1枚も出しませんでしたし、年賀メールも出しませんでした。
世間的には喪はあけたのですが、どうしても賀状を書く気にはなれなかったのです。
しかし、黙っているのも失礼です。
思い切って、メールと手紙を書くことにしました。
あまり気分は乗りませんが、これから1週間かけて出していくつもりです。

こんなことをいうと笑われそうですが、おそらくこれからずっと年賀状は書けなくなるような気がしています。
心理的には、ずっと喪に服していたい気分なのです。
節子がいない今、たとえ何であれ、祝う気分にはなれないからです。
正確にいえば、「祝う気分」と同時に、節子と一緒にそれを味わえない「悲しい気分」が生じてしまい、結局、本心から祝えなくなってしまっているのです。
困ったものです。
付き合いにくい人間にならなければいいのですが。
そうならないように努力しなければいけません。

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2009/01/13

■節子への挽歌499:一緒に暮らすということは、学びあうこと

プラトンは『饗宴』のなかで、愛についてこう語っているそうです。

愛の目的は、美しさではなく、美しさを生み出すことである。
生殖は命に限りあるものにとって不死を獲得する唯一の方法である。
ある本からの間接的な引用ですので、不正確かもしれませんが、考えさせられる言葉です。
その本(「生命をつなぐ進化の不思議」ちくま新書)の著者の内田亮子さんは、こう書いています。
これは、生物の命のつながりのことである。
さらに、生産には繁殖とは別に精神を介したものがあるとプラトンはいう。
これが知のつながりであり、これによっても人間は不死を獲得することができる。
「魂によって懐妊し出産することができるすばらしい詩人や発明家たちが存在する」と。
産み出された知は、脳を介して伝わっていく。
節子との40年の暮らしの中で、私たちがお互いから学んだものはたくさんあります。
もっとも、一緒に暮らすということは、学びあうことだと気づいたのは、私の場合はかなり遅くなってからです。
たぶん会社を辞めて、節子と一緒に湯島のオフィスを拠点に活動を拡散するようになってからです。
それまでに節子からたくさんのことを学んでいたことに気づかされたのです。

私は主に知識を節子に提供し、節子は私に生きることの意味を教えてくれました。
私は言葉で、節子は行動で、です。
しかし、次第に学びあうことから育てあうことに変化したように思います。
私も知識だけではなく、行動を主軸にするようになりました。
私たちの世界観や生活文化は、かなりシンクロナイズしていったように思います。
詩や発明にはつながりませんでしたが、私たちの文化はささやかながら娘たちに継承されていますし、私の周囲の人たちにも少しだけ伝わっているかもしれません。

会社を辞めてからの私の仕事のすべては、その意味で節子との共同作品です。
何気ない節子の一言が、私の創造力にどれほど刺激を与えてくれたことか。
何気ない節子の反応が、私にどれほどの勇気を与えてくれたことか。
そんななかから、要するに知的成果というのはすべて個人のものではないことにも気づかされました。
私が知的所有権という概念に反対するのは、そのせいです。
知的成果は個人が独占すべきことではありません。

プラトンがいうように、生命はつながっており、個別の生命を超えて考えれば死はきわめて個別の現象でしかありません。
生命のつながりの確信があれば、大仰に嘆き悲しむことではないのかもしれません。
それはわかっているのですが、にもかかわらず、やはりまだ煩悩から抜け出られずにいます。
「愛の目的は美しさを生み出すこと」
これも最近、何となく理解できるような気がしています。

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■環世界という捉え方

先日、ネオニコチノイドの話を書きましたが、
環境問題を考える時に「環世界」という概念が最近見直されつつあります。
20世紀前半に、ヤコブ・フォン・ユクスキュルというドイツの動物学者が言い出した概念で、
「それぞれの動物に特有な世界」というような意味です。
つまり、「環境」とひとくくりに捉えるのではなく、生物ごとに環境を捉えていこうという考え方です。
たとえば、多くの生物は臭覚によって世界を見ているといわれますが、人間は視覚で世界を見ています。
視覚の世界も、犬が見ている世界と人間が見ている世界とは異なります。
ローレンツの「ソロモンの指輪」に出てきますが、クマルカラスは、
動いているバッタは見えても、静止しているバッタは見えないのだそうです。

ユクスキュルは、生物は環境の中から自分にとって意味のあるものを選び出し、
独特の世界を構築し、その中で生きていると述べています。
私たちは環境問題を、私たちが見ている世界を前提にして考えがちですが、
私たちが見ている世界がすべてではないわけです。
環世界はそれぞれの生物によって違っていますが、そのベースは一つです。
だからこそ、生物多様性の保持が重要になります。
私たちに見えない世界が壊れていることに気づかないでいると、
それが必ず自分たちの世界に影響を与えるからです。

人間の中でも、人によって世界の見え方はかなり違います。
私の娘は臭覚がとても敏感ですので、私が気づかない臭いに強く反応します。
昨今のように香りが充満してきた世界は、彼女にとってはかなり生きにくいのかもしれません。
子どもたちが見ている世界と大人たちが見ている世界もかなり違っているのかもしれません。
そこに気づかないでいると、とんでもない事件に繋がってしまうこともあります。
福祉の世界もそうです。
障害を持つ人の世界は、障害のない人の世界とはかなり違うでしょう。
そこを認識していない行為は、措置行為になりかねません。

それぞれの環世界を通底する共通なものがあれば、
相互理解や共存は可能ですし、むしろ支え合いの関係が成立する可能性はあります。
自然界にはそうした「共生」の関係はたくさんあります。

人間社会の場合でいえば、昨日書いた利他的行為や互恵的懲罰の成立基盤は、
それぞれの環世界を相互に理解する寛容さと能力です。
しかしそれが損なわれてしまうと、それすら成り立ちにくくなるわけです。
パレスチナの現状や日本の政界の状況には、
そうしたものが失われているのではないかという不安を感じます。

環境や福祉の問題だけではなく、政治や経済の問題を考える時に、
「環世界」の発想はとても重要な示唆を与えているように思います。

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2009/01/12

■互恵的懲罰と利他的行為

直接的には自分の得にはならないのに、というよりもむしろ損になりかねないのに、誰かに迷惑をかけるような行為をする人を注意したり、その行為を防止したりすることを「互恵的懲罰」と呼ぶそうです。
また、自分の利益ではなく、他人の利益につながる行為を「利他的行為」といいます。
この両者には、正の相関関係があるといわれます。
つまり、互恵的懲罰が増えれば利他的行為が増えるということです。
互恵的懲罰はある種の利他的行為ですから、これはトートロジーのような気もしますが、平たくいえば、みんながお互いに注意しあうことは、支えあうこととつながっているということです。
それが、社会の基盤をしっかりとしたものにし、社会を豊かにしていくことはいうまでもありません。

この視点で、最近の政治や経済、あるいは社会を見ると、いろいろなことに気づきます。
「支え合いの文化」や「注意しあう文化」が失われてしまっているために、みんな互恵的懲罰や利他的行為に無関心になってしまっているのです。
いや、その余裕がなくなっているというべきでしょうか。
そしてそれが社会の秩序を壊し、結局は自らのダメッジを大きくしていくという悪循環に陥ってしまっているのです。

大企業の業績悪化の一因はそこにあるように思いますし、政治における閉塞状況の原因もまた、そこにあるような気がします。

不条理な解雇が広がる中で、一部の企業が支え合いの文化、つまり雇用を守ることを起点とした動きを見せだしています。
そこから財界の中心にある大企業の人間軽視の流れへの見直しが始まることを期待したいです。
互恵的懲罰や利他的行為は、結局は自らの存在基盤を強めていくはずです。
大企業は、そうした動きのフリーライダーになるべきではないでしょう。

渡辺喜美議員が麻生首相に異議申し立てをして、自民党を離党することが確実になりました。
昨今の状況から何人かは一緒に行動を起こすと思っていましたが、誰も付いていかないようです。
今回の渡辺議員の行動は、互恵的懲罰でも利他的行為でもないかもしれませんが、なんだかつながっているような気もします。
ここでもフリーライダーがたくさんいそうなのが気になります。

しかし、新しい動きの予兆を、それぞれに感じます。
そう期待したいものです。

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■節子への挽歌498:「幸せ」を共有することの難しさ

節子の夢を見ました。
目覚めた時にはかなりはっきりと覚えていたのですが、いざ書こうとパソコンの前に座ったら思い出せないのです。
たしか2人で観劇をしていたような気がしますが、それがなぜか突然電車の席に変わり、まあいつものようにかなりシュールな夢でした。
しかし一緒にいることが、とても幸せに感じられる夢だったように思います。

私が一番幸せだったのは、やはり節子と一緒にいる時でした。
夫婦喧嘩をしている時でさえ、私は節子といるのが好きでした。
顔もみたくない、などということは、どんなに激しい喧嘩をしている時にもありませんでした。
もっとも、節子は必ずしもそうではなかったかもしれません。

それはともかく、昨日も書いたように、幸せの大きさは失った時にしか気がつかないものです。
愛する人と一緒に笑ったり泣いたり、怒ったり喜んだりできることがどれほど幸せなことか。
しかしそれはあまりにも当たり前すぎて、その幸せとは違う幸せを目指しがちです。

節子が病気になってからよく口にしたのは、今日も昨日と同じに無事過ごせたという言葉でした、
節子はいつもそのことに感謝していました。
私は、節子がもっと元気になって病気を克服することばかり考えていたような気がします。
「元気になったら台湾に行こう」
「治ったら応援してくれたみんなのところを回ろう」
今の幸せではなく、明日の幸せしか視野になかったのです。
今をしっかりと生きようとしている節子には、もしかしたら「さびしい」話だったかもしれません。
今から考えると、私と節子とは「幸せ」を共有していなかったのです。
そう思うと節子が不憫でしかたがありません。

節子は私の性格をすべて知っていましたから、もしかしたら私の価値観に合わせてくれていたのかもしれません。
全く違った人格を持つ2人が、そもそも価値観を共有することなど出来るはずがありません。
どちらかが、大きな寛容さをもって、相手を包み込まないと、そうはならないでしょう。
私がその寛容さを持っているといつも思っていましたが、そうではなかったようです。
私は、節子にとってあまりいい伴侶ではなかったのかもしれません。

いま私が一番幸せなのは、夢の中で節子と一緒にいるときです。
いまは素直に節子に従いながら、その時々の幸せを受け容れるようにしています。
目覚めてしまうと、その内容が思い出せなくなってしまうのが残念ですが。

しかし考えてみると、節子と一緒に暮らした40年間も、昨日見た夢とどこが違うのでしょうか。
今の私には、いずれもが同じに感じられます。

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2009/01/11

■やくざを生み出す構造

「山口組概論」(ちくま新書)を読みました。
こういうくだりが出てきました。
ちょっと長いですが、引用させてもらいます。

組(注:山口組などのやくざの集団をさす)がなくならないのは、組を生み出す土壌があるからだ。
組に身を寄せるしかない若者を生む市民社会の構造を変えない限り、組だけを弾圧しても意味はない。
経済的貧困や愛情の欠如、差別や社会不信といった市民社会のなかにやくざを生み出す構造があるのであって、反対に組はつくろうとしてできるものではない。
幼少のころに父母を失い、貧しさが生む悲しみを身にしみて知っていた田岡一雄は、山口組のもとに集まる身内(家族)に対して、家長として彼らを守らねばならなかった。
そこから導かれたのは、若い衆に正業を持たせること、それで最低限の生活が保証されれば人間は悪事へ走らずに済むことであった。
貧しさが生む社会悪を最小限にくいとめる努力は、田岡にとって侠客の条件であった。
日本の高度経済成長期には、山口組などのヤクザの世界と政治家(政党)や財界人(企業)とのつながりが深いことはよく知られていることですが、この文章を読みながら、昨今の企業による不条理な従業員解雇や政治家の無策を思い出して、ついつい比較してしまいました。
もしかしたら、日本の大企業や政治がダメになってきたのは、後ろ盾のやくざ集団がいなくなったからではないか、とまでは思いませんが、

山口組3代目組長の田岡一郎は、巨大組織に成長した山口組の現状に対して、組をつなぎとめるものは何かと訊かれて、こう答えたそうです。

「ぼくからいわすと愛情ですね。それよりほかに、ちょっといいかたないんじゃないですか。お互いの思いやりというか、仮に正業持っても、心の奥で寂しいときがありますからね。そういうときの相談にものれますし、一緒に悲しんでもやれる。そういう心と心のつながりというもんじゃないですか」
麻生さんや御手洗さんに、聞かせたい言葉です。


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■節子への挽歌497:幸せは失った時にしか気がつかない

節子
寒さが厳しくなってきましたが、昨日からまた天気が回復し、青空が続いています。
今日は3連休の真ん中でしたが、どこにも行かず自宅に引きこもっていました。
娘が風邪でダウンしてしまったのと、私もちょっと風邪の予兆を感じているからです。
節子がいなくなってから、風邪を引かないように注意しています。
看病してくれる節子がいないのでは、風邪はひきたくありません。
それまでは年始の風邪は恒例行事だったのですが。

今朝は快晴で、気温は下がりましたが、ガラス越しの日差しのなかにいるととても快適でした。
最近の習慣で、午前中の1時間はそこで読書です。
今日は「山口組概論」を読みました。
読書の合間に何気なく外を眺めていたら、わずかに見える手賀沼の湖面が、日差しを受けてきらきらと輝いていました。
この風景は節子が好きだったのを思い出しました。
見ているとまぶしいほどで、とても心があたたかくなる風景です。

ところが、見ているうちにだんだんとさびしさが強くなってきてしまいました。
以前は元気をもらえた風景なのに、今では元気を吸い取られそうです。
節子がいなくなってから、同じ風景が全く正反対の意味になってきたことはたくさんなります。
本当に不思議です。
節子がいなくなっただけで、こんなにも世界は変わるものかと思うほどです。
世界は本当に自分の心の鏡です。

そういえば、3連休さえも意味が全く変わってしまいました。
昔は3連休ならば節子と一緒に必ず何か計画を立てました。
ところがいまは計画など全く立てる気になりません。
自宅で無為に過ごすことは、寂しさを感ずる時間が増えることでしかないのですが、無為にしか過ごせなくなったのです。

屋上に行って手賀沼の写真を撮りました。
Kira_4

残念ながら乱反射する情景は私の腕では写せませんでしたが、こんななんでもない風景さえもとても幸せな風景だったのだと改めて思いました。
私たちの周りにはきっとたくさんの「幸せな風景」があるのです。
しかし、その中にいるときにはそれに気づかない。

言い換えれば、「幸せは失った時にしか気がつかない」のかもしれません。
だとしたら、いまもなお私は幸せなのでしょう。
いつかまた、いまの毎日が幸せだったことに気づくのかもしれません。

今日はちょっと「哲学的な1日」をすごしました。
最近、私はかなり「哲学者」なのです。

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2009/01/10

■節子への挽歌496:「運命は事前には書き記されていない」

「運命はそれがつくられるにつれて書き記されるのであって、事前に書き記されているのではない。」
生物学者のジャック・モノーが「偶然と必然」のなかで書いている文章です。
私はどちらかというと、偶然を大切にして生きています。
節子もそうでした。
私たちの共通点は、「計画的」でないとともに、「既存のルール」に拘束されなかったことです。
「計画」を立てるのが好きでしたし、既存のルールも大事にはしたのですが、そのくせ、それらに拘束されるのは苦手でした。
うまく書けないのですが、わかってもらえるでしょうか。

以前、 「赤い糸」のことを書きましたが、その一方で、そうした「定め」のようなものも受け容れられるのも、私たちの共通点でした。
節子は病気になってから、よく「これが私の定めなのね」と話していました。
いま思うと不思議なのですが、その言い方は淡々としていて、驚くほどでした。
おそらく私もまた同じ立場になったら、同じだったと思います。
にもかかわらず、私たちは2人ともどこかで「治る」と確信していました。
運命があるとしても、それはいくらでも書き換えられる。
そう思っていたのです。
反省すべきは、そう思っていながらも、それに向けての努力を怠っていたことです。

上記のモノーの言葉は、最近読んだ「偶然を生きる思想」の中で出会いました。
それで昔読んだモノーの「偶然と必然」をまた読み直したのです。
驚いたことに、その本の上記の文章にマーカーペンで印がついていたのです。
私は本を読む時に、印象に残ったところに線を引くのですが、その線が引かれていたということです。
35年前に本書を読んだ時にも、この文章にこだわっていたのです。

節子との偶然の出会いは、その後、必然的な出会いだったと思えるほどに、私たちの人生を変えました。
おそらくそう思えるまでには、20年以上の時間が必要だったように思います。
そして、2人ともが「必然的な出会いだった」と確信できたところで、またもや偶然の別れがもたらされたのです。
そこで混乱が生じます。
この別れは「必然的」なものだったのではないか、と。

しかし、モノーがいうように、運命は事前に書き記されてはいないのです。
だとしたら、節子との別れは、私たち自身が書き記したことなのかもしれません。
いつどこで、こんな展開が決まってしまったのか。
なぜ私たちはそれに気づかなかったのか。
偶然を大事にして生きるのであれば、もっと自覚的にならなければいけません。
そのことを改めて思い知らされました。

運命を自らが書き記していくことは辛いことです。

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■早く来い来い高齢社会

今朝のテレビで、会社を定年退職された方が札幌で無料の英語学習塾をやっているのが放映されていました。
動きながら聴いていたので、正確ではないのですが、とてもいい活動だと思いました。
高齢社会とは、こうした活動がどんどん広がっていくということかもしれません。
高齢者ができることはたくさんあるはずですから。
こうした高齢者のボランティア活動が広がっていくと、企業の収益活動にも影響が出てくるかもしれません。
いや、それに類したことは既にこれまでにもありました。

たとえば、リサイクルに関して、ボランティアグループがリサイクルに取り組むために、リサイクル産業が育たないということがいわれた時期があります。
ボランティアグループの金銭感覚と企業の金銭感覚が違っていることが、その一因でした。
当時、ボランタリー経済という概念で、金銭優位な経済システムと別の枠組みを提案する動きもありました。

もう少し想像力を拡げてみましょう。
途上国の給料は安いので、生産基地を海外に移す企業が増えました。
女性労働者が増えたので労働需給関係が変化し、給料が相対的に低くなったということもありました。
こうした動きも、どこかで最初の話に繋がっています。
最近話題の派遣労働者の労働需給市場への影響も、そうした枠組みで考えることもできます。

ボランタリー経済の広がりが挫折したのは、やはり金銭の力の大きさだと思います。
ボランティア活動さえもが、金銭主義の企業経済に飲み込まれてしまったのです。
NPO関係者も、残念ながらその枠から自由ではありませんでした。
NPOセクターは、金銭市場社会のサブシステムとして、その一画をしっかりと担う存在になってしまったのです。

しかし、今朝のテレビを観て、やはり高齢社会は金銭社会を超えていくのではないかと言う気がしてきました。
むかし書いた「早く来い来い高齢社会」の拙文を思い出しました。

未来はそう暗くはないのです。

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2009/01/09

■ミツバチが消えたのはネオニコチノイドのためか

一昨年、日本の新聞各紙で話題になったニュースがありました。
「米国でミツバチが消えている」というニュースです。
全米50州の中の25以上の州で、最近ミツバチの姿が消え、養蜂家や農業関係者の間で大騒ぎになっているという話です。
同じような現象が、ヨーロッパや日本でも起こっているのだそうです。
原因については、携帯電話などの電磁波や農薬など、諸説がありますが、まだいずれも確証は得られていません。
しかし状況証拠であれば、かなりたくさんあるようです。
状況証拠が示している原因は、ネオニコチノイド系農薬です。

最近、ネットで「沈黙の夏」という言葉を書名に使っている本を見つけました。
レーチェル・カーソンの「沈黙の春」を思わせるものですが、正式の書名は「悪魔の新農薬ネオニコチノイド」(三五館)、副題が「ミツバチが消えた沈黙の夏」です。
著者は環境ジャーナリストの船瀬俊介さんです。
早速読んでみました。
「沈黙の春」の紹介につづいて、こんな風に書き出されています。

世界中で、静かな恐怖が進行している。それがミツバチの大量死だ。
まずアメリカ。2006年10月からミツバチが一夜にして忽然と姿を消す怪奇現象が全米で多発している。
わずか半年間で、全米で養蜂されていたミツバチ四分の一が消え失せた。
全米で約240万群が飼育されてきた。
うち60万群もが消滅したことになる。
この突然の異常行動は「人類を襲う存亡の予兆では?」と人々を恐怖に陥れている。
人類の食糧の三分の一は植物に依存しているそうですが、ミツバチたちは、これら植物の80%の受粉に関わっていると同書には指摘されています。
つまり、これは決してミツバチの話ではないのです。
人類としての食糧自給率の問題なのです。

ネオニコチノイドは、強い毒性が判明した有機リン系に代わる農薬市場のニューヒーローとして、1990年代に登場しました。
しかし、21世紀に入り、ミツバチへの被害などが広がり、その結果、フランスでは2006年4月29日に最高裁でその使用が禁じられたそうです。
因果関係は必ずしも立証されなかったようですが、疑わしいものは使用せずという、いわゆる予防原則が適用されたのです。
オランダでも使用禁止になっているそうです。

そこからがよくある話なのですが、アジアが市場として拡大してきているのです。
同書によれば、いま、このネオニコチノイドを大量に使っているのは日本と中国。それも単位面積当たりの使用量は日本は中国の100倍だそうです。
しかも、ネオニコチノイドは有機リン系の農薬と違い、水溶性のため作物の中に大量に吸収されるそうです。つまり洗ってもダメなのです。
じわじわと体内に入ってくるわけですが、それが高度の神経障害を起こしかねないと著者は書いています。
最近、「切れる人」が多いのも、これと無縁ではないかもしれないとさえ、書いています。

この話をどう評価すべきか。
こうした話は往々にして過剰に書かれることが多いので、そのまま鵜呑みにしていいかどうかは確信が持てません。
しかし、著者も指摘していますが、こうした動きの陰に大手化学メーカーの利害とそれを守ろうとする官僚の姿が垣間見えてくることです。
オゾン戦争フィブリノゲン問題を思い出すとこの話にも真実があるようにも思えます。
日本の農水省はほとんど動いてはいないようです。
そのあたりのことはもし関心があれば本書をお読みください
取材記事が掲載されています。

食育や食の安全もいいですが、基本的なことをおろそかにしていますので、いずれもが要するに産業の利益に貢献する活動になっていて、それがこうしたことにも繋がっているように思えてなりません。

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■節子への挽歌495:読書の冬

節子
こちらは寒くなってきました。
今年の冬は暖かく、庭の花がいつまでも咲いていて、植え替えられないとジュンが言っていましたが、さすがに秋の花は咲き終えたようです。
庭から色目が少なくなり、少しさびしい気がします。

しかし快晴が続いています。
幸いにわが家のリビングは日当たりがよく午前中は暖かいので、自宅にいる時はそこで本を読んでいます。
自宅で読書をするという習慣は私にはあまりなかったのですが、昨年末から今年にかけてかなりの本を読みました。
こんなに集中して読書をしたのは、20年ぶりくらいでしょうか。
とても久しぶりです。
それに、それなりにハードな本です。
基礎情報学とか社会論とか経済学です。
かなり頭が固くなっていて、読書のスピードが我ながら落ちています。
しかし、ずっと考えてきて、この30年取り組み続けてきたことが間違いではなかったという確信を強められました。

塩野七生さんの地中海シリーズや山折さんの「空海の企て」のような、柔らかな本も何冊か読みました。
ところで、不思議なのですが、いずれもなんだか以前読んだような気がしてなりません。
もちろん再読した本も何冊かありますが、ほとんどは新たに読んだ本なのです。
でもなんとなく親しみがあり、自分で書いたのではないかと思ったりするほどです。
そのせいか、読書速度はかなり落ちていますが、素直に心に入ってくるのです。
空海が時空間を超えたすべての知識がつまった虚空蔵につながっていたという話がありますが、なんだかそんな気分もしなくもありません。
節子のおかげで、彼岸と繋がったせいでしょうか。

節子がいた時には、本で読んで気づいたことを節子によく話したものです。
節子に話すことで、読んだことが消化できましたが、いまは話す人もいません。
それがちょっとさびしいです。

もっともまだ読めない本が何冊かあります。
最近また話題になっている城山三郎さんの本もまだ読めません。
一時、読めそうになったのですが、やはりまたストップがかかっています。
この種の分野は、読むのではなく、書くのが私には向いているようです。

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2009/01/08

■定額給付金で啼ければ消費刺激にならないのか

定額給付金に関しては、「消費刺激効果も大きく、GDP(国内総生産)を押し上げる」(首相)ので、閣僚もしっかりともらって消費するのが望ましいというようになったようです。
官房長官まで記者発表するのですから、笑い話のような話です。
消費刺激が大切だと思うのであれば、給付金をもらわずとも適切な消費をしたらいいでしょう。
給付金をもらわなければ消費しないような消費の仕方って何なのでしょうか。
おそらく国民生活とは程遠いところの誰かの懐に入るだけです。
それに、給付金で消費したからと言って、徳別に景気が刺激されるわけではありません。
全くもって、どうしてこんな発想しかできない人が閣僚になっているのか不思議です。
少しは生きた経済を学んでほしいものです。

大切なのは、GDPを高めることではなく、国民の生活を安定させることです。
みんながちびちびと消費したところで、状況は変わりません。
消費刺激などになるはずがないのです。
2兆円をいま生活に困っている人たちに100万円ずつ配っても200万人の人に配れます。
生活保護世帯は現在、100万世帯強ですから、全員に配布できます。
そういう世帯であれば、必ず消費に回りますし、しかも閣僚の一人が話しているような無駄な浪費には向きませんから、社会的弊害も少ないでしょう。+
念のために言えば、消費すれば何でもいいという話ではないのです。

高額所得者は辞退すべきかどうかなどという議論も馬鹿げています。
むしろ高額所得者はマイナス給付金を納入すべきでしょうか。
閣僚は各自、収入に応じてマイナス給付金を納め、それを生活困窮者に配布すれば、経済はかなり刺激されるはずです。
閣僚であれば、一人100万円くらいは出してもいいでしょう。
高額所得者に呼びかけたら、たぶんかなりの額が集まるでしょう。
そして、それなりの消費を刺激するはずです。

それにしても高額所得者の下限が税金控除後1800万円などと言うのは論外です。
大阪の橋下知事は400万円を提示しましたが、せいぜいそのレベルでしょう。
日本の政治が、いかに金持ちのためにあるかがよくわかります。
手取り年収400万円もあれば、それなりの無駄遣いも含めて可能なはずです。
もし消費が不十分であるとしたら、先行きに安心できないからです。
先行きの生活に不安がなければ、収入や貯蓄の考え方は全く違ってきます。
それを議論もせずに、消費刺激のために給付金をもらってしっかりと使いましょうなどと言う政治家にはあきれます。

その前に、まずは自分がしっかりと汗をかいて稼いだお金を使うか、寄付するかを考えることではないかと思います。
最近収入がない私ですら、できるだけ効果的な無駄遣いに心がけています。
給付金があろうとなかろうと、たぶん消費生活の実態は変わりません。
それにしても、こうした定額給付金騒ぎで、どれほどの国税が無駄にされているかを考えると怒りを感じます。

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■節子への挽歌494:海外からの便り

節子
エジプトの中野ご夫妻から、恒例の年賀状が届きました。
今年の写真は、サン・アル・ハガルにあるラムセスⅡ世神殿跡のレリーフでした。
サン・アル・ハガルには行ったことはありませんが、エジプトを満喫している中野ご夫妻がうらやましいです。
エジプトは魅力的です。

私が会社を辞めた時に、わがままを言って、家族でエジプトに旅行しました。
その時にガイドしてくださったのが、中野さんです。
それが縁で、ささやかなお付き合いが始まりました。
中野さんご夫妻はカイロにお住まいですが、毎年、日本に帰国されており、湯島のオフィスにも来てくださいました。
ご夫妻は、カイロを拠点にいろいろな活動もされているのです。
バレンボイムのDVDを教えてくださったのも、中野ご夫妻です。

エジプト旅行はたくさんの思い出があります。
ルクソールからカイロに向かう列車から見た、日の出の美しさは今でも覚えています。
いつかまた行きたいと思っていましたが、節子がいなくなったいま、果たせぬ夢になってしまいました。

中野さんからの手紙には、節子のことに関して、
「ご連絡をと思いながら、思うに任せず、ご連絡できませんでした」
と書いてありました。
そうですよね、
訃報が届いたらどう返事を書いていいか、悩みますよね。

同じ日に、マレーシアのチョンさんからメールが来ました。
昨年、電話で、節子のことを話した時、チョンさんは絶句してしまい、以来、連絡が途絶えていました。
奥様が亡くなってから、どんなふうに言葉をかけたらよいのか、ずっと悩んでいましたが、佐藤さんも昔のように一日も早く元気になれればと思います。
チョンさんは、この挽歌も少し読んでくれていますが、ようやく声をかけられる状況になったのかもしれません。

どんなふうに言葉をかけたらいいか。
その気持ちはよくわかります。
私もそうですが、意を決して声をかけた後に、あれでよかったのかな、などと悩んでしまうこともあります。

チョンさんは前に書いた呉さんと同じく、日本に来ていた頃、留学生サロンに来てくれた人です。
チャンさんの博識と明るさが、節子はとても好きでした。
いまはインドネシアで仕事をしています。

海外からのメールといえば、ジュネーブの矢野さんからも年始のメールをもらいました。
ブログを拝見していて、少しずつお元気になられているご様子で、
良かったーと思っているところです。

いろんなところで、私たちを支えてくれている人がいると思うだけで、元気が出てきます。
そろそろ私も、心遣いされる側ではなく、心遣いする側にまわらないといけません。
節子がいなくなってから、どうも心遣いされることに慣れきってしまっていますが、そろそろそこから抜け出ないといけません。

節子さん
後押ししてくれませんか。

イスラエルのガザ空爆とバレンボイムのコンサート


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2009/01/07

■男らしさとバルネラビリティ

新着の「ハーバード・ビジネス・レビュー」2月号を読んでいたら、興味あるタイトルが目に入ってきました。
「男らしさにこだわることの弊害」です。
海洋油田の掘削現場に従事する現場作業員の世界の話です。
この現場は、いわゆる3Kの典型的な職場で、伝統的に、腕力、度胸、腕前が誇示されてきました。
ところが、これまでの伝統的なガンバリズムとマッチョの企業文化を払拭したことで業績をあげている会社があるというのです。
その会社では、従業員の意識調査などから、次の2つのことが明らかになりました。
・男らしさを誇示する態度は、仕事をするうえでの障害になっていた。
・強力なリーダーシップの要件について、従来の考え方を改める必要があった。
リーダーたちのイメージには「男らしさ」が付きまとっていますが、実際に調べてみると、「仲間を気づかい、よき聞き手であり、学ぶことに前向きで、一生懸命な人物」がリーダーの特質だったというのです。
そこで、企業文化の変革に取り組んだのです。

その結果、「男らしさ」を誇示することを美学としていた文化は後退し、伝統的な男らしさからすれば、およそ受け入れがたい振る舞いも気にしなくなったといいます。
そして、自分のイメージ・ダウンにつながりかねない能力不足や弱点をさらけ出すことをいとわなくなったのだそうです。
その結果、会社の業績は向上したわけです。

「石油掘削現場というきわめて男性的な職場で働く男性たちは、マッチョを追求するのをやめて、そのパフォーマンスを改善することに成功した。ならば、アメリカ産業界の男性たちも、おそらく同じことができるはずだ」とその記事は書いています。
実は、男らしさを誇示することの負の影響を調べた調査は、航空会社から、製造業、ハイテク、法曹界に至るまで、多岐にわたっているそうです。
とても共感できる話です。
日本ではまだそうはなっていないように思います。

私は15年ほど前から、管理者教育などを頼まれると、リーダーシップやマネジメントの要諦は、自らのバルネラビリティを見えるようにしていくことだと話してきました。
バルネラビリティと言うのは、当時、一橋大学の教授だった金子郁容さんから教えてもらった言葉ですが、「弱さ」とか「脆弱性」を意味しています。
コミュニケーションの出発点も、まさにこのバルネラビリティではないかと思っています。

今日、女性の活用をテーマにする研究会がありました。
そこで盛んに出てきたのは、これまでの日本の会社は男性文化だったという話です。
この話とつなげていくと、女性が企業で活躍しだす意味が見えてくるような気がします。

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■節子への挽歌493:キスケの従者が汗をかいていました

昨日の挽歌に節子にお願いを書いたのですが、
なんと節子を守っているキスケの従者がまた汗をかいていました。
節子が示した「お印」でしょうか。

「また」と書きましたが、実は今年初めにも一度起こったのです。
わが家の仏壇は、中心に手作りの大日如来がいますが、
その横に節子を守っているキスケ3人組がいます。
汗をかいていたのは、キスケの両側の従者だったそうです。
ユカも確認していますので、間違いない事実です。
仏壇の中には水分を発散させるものはなかったそうですし、他のところには異常はなかったそうです。
なぜキスケの従者たちが汗をかいていたのか、謎でした。

ところがそれがまた今朝、起こったのです。
どう考えるべきでしょうか。

古今東西を問わず、世界にはたくさんの「奇跡」が伝えられています。
ルルドの奇跡もありますし、空海の奇跡もあります。
最近でもいろいろとありますが、奇跡とは「起こすもの」ではなく「感ずるもの」なのかもしれません。
同じ風景を見ても、ある思いを持った人にとっては、とても不思議な意味を持つ現象と受け止められるのです。
節子がいなくなってから、私はさまざまな「奇跡」を感じますが、たぶん他の人にとっては気づきもしなければ、気づいても無意味なことと思うでしょう。
まあそんなものです。
キスケの従者の汗も、普通なら見過ごします。
なにしろとても小さいですから、私には言われても、そうかなと思う程度です。

昨年、篠栗大日寺の庄崎良清さんのところに行った時に、加野さんが言った言葉を思い出します。

「佐藤さん、事実かどうかよりも、あなたがどう受けとるかが大切なのですよ」
私もそう思います。
今日はとても雲の多い朝でしたが、
この挽歌を書きおえたら、太陽が見えてきました。
私の部屋の窓がサッと明るくなったのです。
それさえも節子のメッセージだと思えなくもありません。

私たちは、無数の「奇跡」がとりかこまれているのかもしれません。
それに気づくかどうか、それは自分自身の問題かもしれません。
そんな気がしてきました。

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2009/01/06

■国家の解体が進んでいるのかもしれません

戦火が拡大する一方のガザの状況には、やりきれないものを感じます。
なぜこんな状況になってしまうのでしょうか。
そこで思い出したのが、昨年末に読んだ塩野七生さんの「ローマ亡き後の地中海世界」の文章です。

現代では「イスラム諸国」と言うようにイスラム教徒たちも国別に分かれ、イスラム教徒でないわれわれもそれを当然と思っている。
だが、イスラム教にはもともと、国家の概念が存在しない。
イスラム教を信ずる人々すべてを囲いこむ、「イスラムの家」の概念があるだけである。
もしかしたらユダヤもイスラムも、国家概念がないから、こんな状況になってしまっているのかもしれません。
長い間、国家を保持せずに世界を舞台にしていたユダヤ民族もまた、国家概念がないのかもしれません。
国家がないとどうなるか。
「国益」という概念も「国民」という概念もないでしょうし、なによりも暴力の管理体制がありません。

いや、パレスチナに限った話ではありません。
昨今泥沼化している紛争は、国家を前提としていないのではないかと思い出しました。
そう考えると、いろいろなことが見えてくるような気がします。
ネグリ=ハートの「マルチチュード」が、身近に感じられます。
国家を前提とした「国際関係」では、世界はもはや見えなくなってしまっているのです。
そして、もはや秩序だった戦争は難しくなってきているのでしょう。
そうした中では、秩序を大義とする国家が敗北することは明らかです。
もちろん国家からの解放を目指す活動もまた、大きな勝利は望むべきもありません。
勝者のない戦いは、手段から目的に転化し、泥沼に化していくわけです。

世界の紛争は、ますます泥沼化していくことが心配です。
そうしたなかで、国家に頼らない、新しい紛争防止の仕組みが必要になっているのでしょう。
NGOの開かれたネットワークが育っていくまでは、しばらくこうした時代が続くのでしょうか。
ともかく、国家の枠組みで考える時代は終わったのかもしれません。

さらに思いを広げていくと、アメリカも日本も国家体制が解体し始めているのがわかります。
ブッシュのアメリカとアメリカに住む2億人の人たちの集まりであるアメリカは、いまや別のものになっているといえないこともありません。
日本もまた麻生政権に象徴される日本と派遣村に象徴される日本とは別物なのかもしれません。
そう考えると、昨今の厳しい現実生活と権力闘争に明け暮れる政治の不作為との並存が理解できます。
それに、日本の政治家の発言を聞いていると、国家や国民は全く眼中にないようです。
自民党からの離党を取りざたされている渡辺議員は、政治家だった父親は、「派閥の前に党があり、党の前に国家国民がある」と言っていたと話していましたが、いまや「国家国民」がなくなってしまっているのかもしれません。
少し飛躍してしまいましたが、マルチチュードの時代はもうそこまできているようです。


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■節子への挽歌492:節子もこの挽歌を読んでいるのでしょうか

節子
昨日の東京は、午後から雲が出てきました、
その雲が3つの層からなっていて、
しかも水平軸と垂直軸、連続と断片の組み合わせで、
何かのメッセージを伝えたがっているような気がしました。
そして、そう思っているうちに垂直軸の断片の雲が消えてしまい、また太陽の光が戻ってきました。
そして雲が、「火の鳥」のような形になって、空一面に広がりだしました。
雲の形の変化は実に見事です。

まあ、何を言っているのかわかりにくいと思いますが、
昨日の記事をアップした後、オフィスで体験したことなのです。
そして、その時、全く脈絡はないのですが、
節子がいなくなった自分のことばかりを考えていたけれど、
節子の立場に立ったら、どうなるのだろうかという思いが突然頭をよぎったのです。

修がいなくなった節子。
私と節子は対称形ですから、そういう節子もいるわけです
伴侶がいなくなって寂しがっているのは私だけではないことに、ようやく今、気づいたのです。
節子もまた、私に会えなくなって寂しがっているはずですね、たぶん。

そう思わせてくれたのは、実はこのブログの読者の方です。
伴侶がいなくなった寂しさを書いている私がいて、
伴侶がいなくなった寂しさを読んでいる人がいる。
だとしたら、節子もまた、このブログを読んでいるのではないか。

あんまり論理的ではありませんね。
しかし、節子は知っていますが、
私は「論理」が語られる言説の論理は、「小さな論理」でしかないと昔から考えています。
私にとっては、小賢しい私たちの論理などは、宇宙の前には小さな論理でしかないのです。
彼岸と此岸がつながっていると考える発想からは、瑣末な論理です。
すみません、横道にそれすぎました。

私と会えなくなった節子は、このブログを読んでどう思っているでしょうか。
やはり私がいないとだめね、と思っているでしょうか。
もしそう思ったら、そろそろ戻ってきてください。
戻れないのであれば、せめて読んでいる合図を送ってくれませんか。
メッセージは明日の朝、我が家の位牌壇にお願いします。

節子さん
頼みましたよ。

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2009/01/05

■イスラエルのガザ空爆とバレンボイムのコンサート

今年の元日に行われた、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートで、世界的なユダヤ人指揮者ダニエル・バレンボイムは、いつものように、指揮台から中東和平実現を呼び掛けました。
コンサート直前の大晦日にも、ガザ情勢について懸念を表明し、イスラエル、パレスチナ双方の共存を訴えました。
しかし、その願いもむなしく、空爆どころか、ついにイスラエルはガザへの地上軍侵攻を開始しました。
パレスチナにおける「報復の連鎖」は止まることがありません。

以前、バレンボイムについて教えてくれたエジプトの中野さんから手紙が来ました。

バレンボイム指揮による「WEST & EAST DIVAN オーケストラ」の演奏会が1月12日にカイロオペラハウスにて行われるという朗報を喜んでいたところ、公演が危ぶまれる事態に直面しています。まさに、2006年度演奏会直前にイスラエルのレバノン空爆により中止に追い込まれた二の舞になろうとしています。

バレンボイムの活動のDVDを見た時には涙がこみ上げました。
攻撃の爆音と音楽。
バレンボイムのコンサートを両国の指導者たちが一緒に聴くことができたら、爆音よりも音楽が自らの人生を豊かにし、誇りあるものにすることに気づくはずですが、彼らはコンサートに行く時間もないほど忙しいのかもしれません。
忙しさは自らの人生だけではなく、世界をも滅ぼす力をもっています。

しかし、もしかしたら、両国の権力者のみならず、私たちもまた、同じような生き方に向かっているのかもしれない、と中野さんの手紙を読んで、考えさせられました。
明日また、バレンボイムのラマラコンサートのDVDを観ようと思います。
時に、自らの生き方を問い直すことも大切です。

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■節子への挽歌491:湯島で節子と話しています

節子
今年は元日から良い天気が続いています。
今日、久しぶりにオフィスの近くの湯島天神に行きました。
節子がいなくなってから、初めてです。
今までどうしても行けませんでした。

お店も出てにぎわっていました。
節子と一緒に飲んだ甘酒屋さんも出ていました。
みんな楽しそうでした。
まだここにはお正月が残っています。

私たちのオフィスは湯島天神のすぐ近くです。
今日はそこで半日を過ごしています。
このオフィスは私たちの人生の再出発の場所です。
いろいろな思い出が、ここには込められています。
目の前の壁には藤田さんのリソグラフがかかっています。
節子はこの「萌える季節」が好きでした。
このオフィスを開いたのは、平成元年でした。
その春、私は会社を辞めて、節子と2人で新しい生き方を選びました。
働くでもなく遊ぶでもなく、時代のなかで自分たちの生き方を探しながら、一緒に人生を創っていくというのが、その時の私たちの思いでした。
オフィスを開いた1週間、100人を超える人たちが来てくれました。
それが私たちの、いや私の生き方を決めてしまったように思います。
節子が思っていたのとはちょっと違っていたかもしれません。
しかし、節子は時々、不満を口にしたとはいえ、私についてきてくれました。

考えてみると、私の生き方はたぶん非常識な生き方です。
節子が苦労したことはよくわかっていますが、節子もまた、そうした私に生き方にいつしか共感してくれるようになりました。
私が節子に一番感謝しているのは、そのことです。
そして、節子に一番すまないと思っていることもそのことです。
節子には、世間的な意味での優雅な暮らしを体験させてやれませんでした。
ブランド品はひとつもなく、高級レストランでの食事もなく、旅行も庶民的な旅館だけでした。
私が、そうしたものがすべて嫌いだからです。
しかし、女性である以上、節子はたまにはちょっとした「ぜいたく」を楽しみたかったかもしれません。
なぜかそうしたものに生理的に反発してしまう私と結婚したために、少なくとも私と一緒には、節子は贅沢を味わうことはありませんでした。
私たちは、いつかも書きましたが、6畳一間の「神田川」の生活から始まり、質素で贅沢とは無縁の暮らしを続けてきたのです。
但し、お金で苦労したことは、節子もなかったでしょう。
お金がなくても豊かな暮らしができる術を私たちは持っていたからです。
愛があればお金などいらないというのは、少なくとも私たちには真理でした。

何だかおかしな方向に文章が進んでいますね。
湯島のオフィスで、節子の好きだった「萌える季節」を見ていたら、ついつい昔を思い出してしまいました。
ここにはともかくたくさんの節子が息吹いているのです。

今日はホームページで湯島でのんびりしていることを書いたので、夕方までいる予定ですが、まだ誰も来ません。
ホームページだけに書いたので、みんな気がつかなかったのかもしれません。
まあ、だれも来なくても、節子と話せるので退屈はしませんが。
でも誰かに来てほしい気もします。

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2009/01/04

■パイプ効果と景気

今年はデフレで、物価がまた下がりだすといわれています。
物価が下がりだすと、皆さんはどうするでしょうか。
おそらく物を買うのを手控えるでしょう。
ぎりぎりまで買わないほうが得をするからです。
それぞれの家庭在庫は最小限になっていきます。
こういう状況を、日本はここ数年続けてきました。
その流れが変わりだしたのが昨年でした。
原油の先物価格が急上昇したのを理由にして、さまざまなものが値上がりしました。
物価が上がるとなると、みんなできるだけ早く買おうと思い出します。
そこで安いうちに買いだめしようという人が増えてきます。
そういう動きが出ようとしていた矢先の、デフレへの逆戻りです。
デフレからインフレへ、インフレからデフレへ、そうした状況変化が市場をかく乱する度合いは予想以上に大きなものです。

会社時代に繊維の需給構造を解析する仕事をしたことがあります。
その時に、気づいたのが、景気の流れが反転する際に、長い流通段階に在庫されているものが景気の振れを大きく増幅させる現象です。
「パイプ効果」と名づけました。
景気が上昇基調を続けている時には、全く出てこない動きですが、上昇が停滞するだけで、需給構造は大きく変動します。
コロンブスの卵のような話ですが、体験してみないとなかなか実感できません。
当時、そうした論理から減産を提案しましたが、ボスを説得するには至りませんでした。
しかし、その後、減産を余儀なくされたことを思い出します。
もっと自信を持って具申すればよかったと当時思いましたが、初めての体験には人はなかなか自信を持てないものです。

長々と書きましたが、最近の景気の急反落にはこうした現象があります。
それは「成熟社会」における経済の特徴といってもいいでしょう。
自動車会社が需要の落ち込みを過小評価していたことの一因に、こんな簡単な要因があるとは思いにくいでしょうが、評価の間違いの多くは実はこのような簡単なミスの累積なのです。
パイプ効果は、実需が減少する時だけのことではなく、実需回復期にも作動し、実需以上に景気のかく乱要因になるはずですが、意外に見えにくいのです。
特に輸出に依存している商品の場合は、それが見えにくくなります。

これはほんの一つの例ですが、経済は生きていますから、ちょっとした話題や動きが、実体経済を大きく変えていくのです。
まさにバタフライ効果が作動するわけですが、こうしたことを考えると、かつてのような金融政策や財政政策で景気調整しようなどという発想そのものが過去のものではないかと思います。

今朝のテレビ番組で、金子勝さんが、国民に希望を持たせることが大切だとお話していましたが、成熟社会においては、先が見えるということこそが、最大の景気対策ではないかと思います。
あまりにも先が見えなくなってしますし、先を作り出す財界人も政治家もいなくなってしまいました。
まさに金融資本家の思う壺です。

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■節子への挽歌490:やはりどうも前とは違います

節子
昨年はお正月の感覚など持てませんでしたが、
今年は一応、お飾りもつけ、おせちも食べて、初詣にも行き、年始にも行き、お客様も来てくれました。
一応、人並みにお正月なのです。
しかし、どうも感じが違います。
私だけではなく、見ているとむすめたちもちょっと違うお正月のようです。

昨日はむすめたちが付き合ってくれて、湯島のオフィスに車で行ってきました。
節子が元気だったころは、年明けに節子と一緒に湯島に行くのが恒例行事でした。
年末は忙しかったので、年初にオフィスの掃除に行ったのです。
それを知っているむすめたちが、今年は一緒に行ってくれたのです。
しかしやはり節子と行くのとは違って、何となく仕事に行くという感じなのです。
節子と一緒の時は、たとえ掃除のためでも、気持ちがとても楽しかったのですが。

今日はお客様がありました。
節子がいたらこれもまただいぶ状況は違ったでしょう。
話は盛り上がるのですが、盛り上がれば盛り上がるほど、どうも心がついていけないのです。
やはりどこか違います。
うっかりしてお土産を渡すのも忘れてしまいました。
節子ならばそんなことはありえないのですが。

子の神様に、むすめと一緒に初詣に行きました。
むすめが気をつかってくれて、付き合ってくれたのでしょうが、やはりどうも違うのです。
節子であれば、寄り道をし、甘酒を飲んで、無駄な足取りが多いのですが、むすめと2人だと最短コースです。
快晴だったので、子の神様の高台から富士山がよく見えましたが、
これもどうもいつものように感激できませんでした。
帰りに近くの森谷さんに会って立ち話をしましたが、何かが違います。

形は同じなのに、どうもみんなどこか違うのです。
考えてみると、私の行動のほとんどすべてが、最近はすべて節子と一緒だったのです。
どこに行くのも、何をするのも、一緒でした。
だから同じことをしていても、どうもどこか違う気がするのでしょう。
しかし、これからずっとこうなのでしょうね。
しかもむすめたちが付き合ってくれるのも、そう長くは続かないでしょう。

今年のお正月は手持ち無沙汰なのも気になります。
もともと私たち夫婦はテレビはあまり見ませんでしたが、
実感としてはテレビをゆっくり見る暇がないほど、お正月は何かをしていました。
しかし、節子がいなくなったいま、することがないのです。
これまで一体何をしていたのでしょうか。
それさえ思い出せません。
年賀状や年賀メールをやめたせいかもしれませんが、どうもそれだけではないような気がします。

そんなこんなで、静かで気持ちのいい年明けだったのですが、どうも手持ち無沙汰です。

節子
やはり君がいないと退屈ですね。
明日はオフィスに行こうと思います。
誰かがきっと来るでしょうから。
不意に節子がやってくることもないとはいえませんし。

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2009/01/03

■「舌の記憶」とFOOD ACTION NIPPON

身の丈にあった農作業を生活に組み込む動きをもっと広げたいと、自らも畑を借りて、菜園インストラクター講座などを手がけている、環境クラブ代表の増山康雄さんから年初めのメールマガジン「E-news」が届きました。
増山さんは、その生き方において、またそのパーソナリティにおいて、私には共感の持てる人物の一人です。

増山さんは、このお正月にレストランで「米粉のパン」を食べました。
研究熱心な彼は、小麦粉のパンと米粉のパンをいろいろな食べ方で比較したようです。
その結果、米粉のパンの方がちょっと「もっちりしているかな」と思ったそうです。
まあ、そんな比較実験しなくても、すぐわかることですが、そこが「科学者増山」のこだわりなのです。
それはともかく、その時、思い出したのが、ある本で読んだ東南アジアのモチ米文化の話だそうです。
増山さんはこう書いています。

何でもタロイモみたいな「もっちり感」のある食べ物を食べてきた人達が「稲作」に出会った時、モチ米の食感がやっぱり「もっちり感」を持っているので、受容されたみたいなことが書いてありました。考えてみれば、人間、何か新しいものが入ってきた時、無意識のうちに、今までの自分の感覚とか、経験とかと照合してしまうものですよね。
そうなのでしょうね。
増山さんは、こう続けています。
最近、自給率向上の議論の中で、米粉のパンも注目されているが、それが売れるかどうかに大きな影響を与えるのは、人々の「舌の記憶」ではないか。
「舌の記憶」。
これはとても興味があります。
食は文化の基本ですから、「舌の記憶」は単に食文化の問題だけではないでしょうから。

私自身は一時はパン派でしたが、50歳頃から米派に回帰しました。
おいしいご飯と漬物とお味噌汁があれば、ほかは何もいりません。
娘の一人はお米が嫌いですが、なぜか米粉のパンが好きなのです。
そういうことを考えると、やはり長年の食文化が国民の「舌の記憶」になっているのかもしれません。

増山さんは、こう書いています。

米粉と小麦粉の配合具合とか、
小麦粉も国産なのか、輸入なのか、
コメや小麦の品種の組み合わせとか、
「どんな米粉のパンが売れるか」と想像してみると、
ちょっと考えただけで相当奥行きが深い問題があるなと
新年早々、レストランで感慨にふけってしまいました。
いかにも増山さんらしいです。
増山さんは、科学者であると同時に、哲学者でもあるのです。
1月中旬にも、菜園インストラクター講座を3回やるそうです。
ほかにもいろいろな講座があります。
関心のある方は、増山さんの日本リトルファーミング協会のサイトをぜひご覧ください。

昨年10月に、食料自給率向上に向けた国民運動「FOOD ACTION NIPPON」推進本部が設置されたのはご存知でしょうか。
農水省のサイトによれば、その目的は「世界の食料事情の変化や近年の食料自給率が低い水準にあることを踏まえ、国民の皆様が問題意識を共有し、食料自給率向上に資する具体的な行動を起こしていくため」だそうです。

私たち一人ひとりが、自分の食文化を変えるところから変えていくべきでしょう。
いまの状況の中でも、できることはたくさんなります。
食文化を変えさせた人たちがまた元に戻すような運動を推進することには、いささかの抵抗はありますが、まあ否定する必要はありません。
もっとも、この推進本部は電通のなかにあるのが、ちょっと気になりますが。
私としては、増山さんのような人に推進本部をやってもらいたいと思いますが、まあ増山さんは嫌がるでしょうね。

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■節子への挽歌489:年賀状がまだなじめません

今年は年賀状を1枚も書きませんでした。
年賀メールもやめました。
喪はあけていたとはいえ、その気になれなかったからです。

年賀状が届きました。
読んでいて、やはり何となく心になじみません。
「お変わりなくご活躍のことと思います」
「今年も良い年になりますように」
「いかがお過ごしですか」
「新春のお慶び申し上げます」
ひがみっぽくなっているせいか、どうしても心に引っかかってしまうのです。
「あけましておめでとうございます」という文字までもが、何回も読んでいるうちに、気になりだす有様です。
なんとまあ、自分勝手なことかと思うのですが、それが正直な気持ちです。
私の気持ちはまだ、喪中なのでしょう。

喪中。
喪に服する期間は普通長くても1年とされています。
しかしどうも1年では足りません。
私の場合は、もうしばらくかかりそうです。
せっかくいただいた年賀状なのですが、素直に読めないのです。
私自身、そんなことなど全く考えもしないで、これまで年賀状を出していましたが、
愛する人を失った人の気持ちは、1年では元に戻れないのです。

節子が、前年にもらった年賀状を読み直しながら、1枚1枚、年賀状を書いていたことの意味が、少しわかった気がしました。

送ってくださった方には大変申し訳ないと思いますが、
お返事をしばらく書けそうもありません。
お許しください。

それにしても、年賀状って、いったい何なのでしょうか。
これを契機に、年賀状はもうやめようかと私は思い出しています。

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2009/01/02

■お正月の風景を壊したのはだれでしょうか

元日の風景は一変しました。
私が子どもの頃は、いえ30歳くらいまでもそうだったと思いますが、元日に営業をしていたお店はほとんどありませんでした。
お年玉をもらっても、買いに行くお店が開いていなかったのです。
それがいつの間にか、今では元日からスーパーも百貨店も営業をしています。
便利といえば便利ですが、おかげで正月の静けさは感じられなくなりました。
24時間営業のお店もそうですが、ともかく季節とか曜日とか、祭日とか時間とか、そういうものの意味がなくなってしまってきています。
それは社会そのものの文化の否定に繋がっていくでしょう。

実は、私自身は15年前までは、そうした時間制約を克服することに価値を感じていました。
21年前に会社を辞めた時に、これからは「働くでもなく、遊ぶでもなく、休むでもなく」暮らしていきたいと友人知人に書いた時の思いは、時間の制約を越えて、自分基準での生活を目指そうとしていたのです。
24時間営業のお店は、当時の私には望ましい姿ですらありました。
考えが変わったのは、会社を辞めてしばらくしてからです。
沖縄から青森まで、各地の実態に少しだけ関わらせてもらった影響です。
東京の生活の貧しさを実感したのです。
これまでの生活はいったい何だったのか。
そこから考え方が大きく変わりだしました。

それはともかく、お正月の風景が大きく変わってしまいました。
最近、やっとその意味がわかってきたような気がします。
取り返しのつかないことをしてしまったのではないかという気がしています。

生活文化は築き上げるのには時間がかかりますが、壊すのは簡単なようです。
女性の「社会」進出や男女共同参画社会の動きが、日本に育っていた家族の文化を壊してしまったことをとても残念に思います。

妻を失って、そのことがますますはっきりと見えてきました。
男女共同参画社会の意味をもっと真剣に考えて欲しいと思います。
女性の社会進出」と同じで、男女共同参画の向かう先は、家族の「社会」化かもしれません。
もしそうなら社会を壊すお先棒を担っているとしか思えません。
女性の社会進出が、そうだったように。

今年も話が非論理的に飛躍してしまいそうです。
それに、年初早々、誤解されそうなことを書いてしまいました。
今日、書きたかったのは、お正月の風景が変わってしまったことへの寂しさだったのですが。

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■節子への挽歌488:「あなたが傍にいても私はあなたが恋しい」

節子
今日は、「すべてを捨てて去る」(法頂)で紹介されている、韓国のリユー・シフアの詩の引用です。

水の中には
水だけがあるのではない
空には
その空だけがあるのではない
そして私の中には
私だけがいるのではない
私の中にいる方よ
私の中で私を揺り動かす方よ
水のように空のように私の深奥を流れ
密やかな私の夢と出会う方よ
あなたが傍にいても
私はあなたが恋しい
この詩を紹介している法頂は、こう書いています
。「あなたが傍にいてもあなたが恋しい」ほどの恋しい存在を胸に抱いてひたむきに生きる人は、生きる意味を掘り起こしながら花のように美しい生を享受できるだろう。
あなたが傍にいてもひたすら恋しいあなたを、君は胸に抱いているか?
そのような「あなた」を胸に抱いている人は人生に祝福を受けている。
私の人生は祝福されている。
恋しい節子は、私の中にいる。
そんな気もしないではありません。

今日は娘たちも外出したため、一人でゆっくりと節子のことを思いながら過ごしています。
節子が一緒だと思っていても、
実際に一人になると、やはり無性に節子が恋しく、悲しさが突き上げてきます。
なぜ節子が元気だった時に、こうしたゆっくりした時間を持たなかったのか。
節子が病気になってからは、どうだったろうか。
いろいろな思いが去来します。
夫婦という関係は本当に不思議です。
その不思議さを語り合う相手がいないのが、またさびしさを募らせます。

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2009/01/01

■節子への挽歌487:初日の出

節子
昨年は見ることもなかった初日の出を、屋上から家族3人で見ました。
節子と一緒に、太陽の治癒力にすがって祈ったことを思い出しました。
屋上から眼前の手賀沼の先に、日の出が見えます。
節子は、手賀沼の湖面に映る太陽の光がとても好きでした。
Hatuhi09_3

初日の出と共に、みんなそれぞれに祈りました。
娘たちが何を祈ったかわかりませんが、私は何も祈りませんでした。
ただただ節子を思いました。
節子の笑顔を思い出すと、思考がいつも停止してしまうのです。
太陽よりも、節子の笑顔は明るく楽しかったです。

新しい年が始まりました。
昨夜は、娘たちががんばっておせち料理をつくっていました。
ユカがつくったお雑煮と一緒に、1年の始まりを祝いました。
わが家もまた、普通の家族に戻ってきたような気がします。
節子がいなくても、普通に戻れるのだというのは大きな発見ですが、うれしくもありさびしくもある、というのが正直な私の気持ちです。

今日はジュンは友人と初詣、ユカと私は近くの兄の家に行く予定です。
家族みんなでの初詣は、節子も一緒に3日になりそうです。

それにしても穏やかな年明けです。
真っ青な空、包み込むような陽光。
今年は2年前のことを思い出して、「希望の年」にしました。
生命を支えているのは「希望」と「信念」であることを、改めて確信したからです。

今年も平安でありますように。
愛する人と会えなくなった人たちに、大きな平安が降り注ぎますように。
すべての人たちの誠実な営為が実りをもたらしますように。

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■生命を支えているのは「希望」と「信念」

今年最初のブログ記事は、挽歌編と時評編の統合版です。

E.フロムは「希望の革命」の中で、こう書いています。

希望が失われたら、生命は事実上あるいは潜在的に終りを告げたことになる。
希望は生命の構造および人間精神の力学の本質的要素なのだ。
それは生命の構造のもう一つの要素、すなわち信念と密接に結びついている。
それはまだ証明されていないものを信じることである。 
「まだ証明されていないものを信じること」
これは私の信条の一つでもあります。
だとしたら、希望は私の生活信条の一つだったはずです。

節子を送ってから、私の心身から「希望」が抜け出してしまっていました。
昨年の前半までは、希望の抜けた存在だったのかもしれません。
フロムに言わせたら、生命の抜け殻です。
希望ももたない抜け殻に、果たして時評する資格があるのか、これは大きな疑問です。
そして、時評している自分の中に、希望があることに気づいたのです。
社会との関わりのなかで、見えなくなっていた自分が少し見えてきました。
心身に「希望」が戻ってきたのは、昨年の11月頃からです。

ホームページの「新しい年のはじまりに」にも書きましたが、
今年を再び「希望の年」としました。
節子との別れを体験した2年前と同じです。
その時もそうでしたが、「希望」を見失っていたからこそ、「希望」にこだわりました。
しかし、「希望」とはなにかについての何も考えていなかったのが2年前です。
すでに、その時には私の思考力は極度に萎えていたのです。

フロムは同じ本で、カフカの『審判』の中に出てくる挿話を紹介しています。
有名な挿話なので、ご存知の方も多いと思いますが、概略を引用させてもらいます。

ある男が天国に入る門の所へやってきて、入れてほしいと門番に頼みました。
門番は、今はだめだと言います。
男は許可があるまで待ったほうがいいだろうと思い、待つことにします。
しかし門番はなかなか許可を出してくれません。
男は坐って何日も何年も待ちつづけます。
門はいつも開かれているのですが、門番に頼んでもいつもまだだめだと言われるのです。
この長い年月の問、男はほとんど絶え間なしに門番を観察し、ついには毛皮の襟についた蚤までわかるようになります。
それでも門番は許可をくれません。
とうとう彼は年をとって死にそうになってしまいます。
諦めた彼は門番にたずねます。
「こんなに長い間に、私のほかに誰も入れてくれと言ってこなかったのは、どうしてですか」。門番は答えます。
「お前のほかには誰もこの門から入ることはできないんだ。この門はお前の門と決まっていたんだからね。さあ、そろそろ閉めるとするか」 
もしこの挿話を2年前に思い出していたら、節子を守ってやれたかもしれません。
自分の愚かさをいくら悔やんでも悔やみきれませんが、節子への懺悔も含めて、今年は「希望」を心にしっかりと刻んでいこうと思っています。

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