■節子への挽歌509:久しぶりに岡田クリニックに行きました
節子
今朝は節子が迎えに来たのかもしれないと思いました。
起きて歩こうとしたら、めまいがして歩けないのです。
吐き気までしてきました。
実は節子がいなくなってから2回目です。
一昨年の大晦日に、同じような症状になりました。
どこも休みだったので、救急病院を回りましましたが、ストレスのせいではないかといわれて、4日ほど安静にしていたら治りました。
まあ、その体験があったので、そう心配ではなかったのですが、その時、後で病院できちんと検査するように言われていたのを思い出しました。
もちろん治った途端に、そんなことは忘れてしまっていました。
節子がいたら必ず検査に行かされていたでしょうが。
半日、ベッドで寝ていました。
その時思ったのは、こういうことがこれから増えていくのだろうなということです。
節子のいないことが、急に現実感を持って迫ってきました。
今は娘が同居していますからいいのですが、この先、どうなるのでしょうか。
もう一つ思ったことは、体調が悪くなったときの辛さのことです。
節子の辛さを、私はわかっていたのだろうかと、少し不安になりました。
いや、節子だけではなく、病気の人の辛さを理解できていただろうか。
半日寝ていたのに治らないので、岡田クリニックに行くことにしました。
岡田さんは、節子が最後までお世話になったお医者さんです。
毎週自宅に往診に来てもらっていましたが、単なる治療処置(cure)ではなく、ケアしてくれていました。
節子がもう少し早く岡田さんのお世話になっていたら、もしかしたら何かが変わっていたかもしれません。
その岡田さんに、私たち家族が元気になったことを知らせたいという気がしてきて、少し遠いのですが、岡田さんのところに行くことにしました。
岡田さんは、以前と同じく、患者さんたちと親しく話しながら、院内を動き回っていました。
結局、私のは疲れなどからくる内耳関係の機能障害でした。
岡田さんが、ホームページに奥さんのことを書かれていましたね、と言ってくれました。
この挽歌のことでしょうか。
読んでくれたのです。
帰り際に、覚えてくれていた看護師さんたちに「女房が呼んだのかと思いました」と話したら、「急がなくても奥さんはずっと待っていますよ」と言われました。
いやいや、もしかしたら待っていないかもしれませんね。
クリニックを出たら、なんだか急に普通に歩けるようになりました。
もしかしたら、節子が、岡田さんのところに報告にいかせたのかもしれないと思いました。
戻って少し休んだらパソコンまでやれるようになりました。
もっともいまもまだ胸のむかつきと心身の違和感は残ってはいますが。
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