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2009/01/06

■節子への挽歌492:節子もこの挽歌を読んでいるのでしょうか

節子
昨日の東京は、午後から雲が出てきました、
その雲が3つの層からなっていて、
しかも水平軸と垂直軸、連続と断片の組み合わせで、
何かのメッセージを伝えたがっているような気がしました。
そして、そう思っているうちに垂直軸の断片の雲が消えてしまい、また太陽の光が戻ってきました。
そして雲が、「火の鳥」のような形になって、空一面に広がりだしました。
雲の形の変化は実に見事です。

まあ、何を言っているのかわかりにくいと思いますが、
昨日の記事をアップした後、オフィスで体験したことなのです。
そして、その時、全く脈絡はないのですが、
節子がいなくなった自分のことばかりを考えていたけれど、
節子の立場に立ったら、どうなるのだろうかという思いが突然頭をよぎったのです。

修がいなくなった節子。
私と節子は対称形ですから、そういう節子もいるわけです
伴侶がいなくなって寂しがっているのは私だけではないことに、ようやく今、気づいたのです。
節子もまた、私に会えなくなって寂しがっているはずですね、たぶん。

そう思わせてくれたのは、実はこのブログの読者の方です。
伴侶がいなくなった寂しさを書いている私がいて、
伴侶がいなくなった寂しさを読んでいる人がいる。
だとしたら、節子もまた、このブログを読んでいるのではないか。

あんまり論理的ではありませんね。
しかし、節子は知っていますが、
私は「論理」が語られる言説の論理は、「小さな論理」でしかないと昔から考えています。
私にとっては、小賢しい私たちの論理などは、宇宙の前には小さな論理でしかないのです。
彼岸と此岸がつながっていると考える発想からは、瑣末な論理です。
すみません、横道にそれすぎました。

私と会えなくなった節子は、このブログを読んでどう思っているでしょうか。
やはり私がいないとだめね、と思っているでしょうか。
もしそう思ったら、そろそろ戻ってきてください。
戻れないのであれば、せめて読んでいる合図を送ってくれませんか。
メッセージは明日の朝、我が家の位牌壇にお願いします。

節子さん
頼みましたよ。

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