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2009/01/13

■節子への挽歌499:一緒に暮らすということは、学びあうこと

プラトンは『饗宴』のなかで、愛についてこう語っているそうです。

愛の目的は、美しさではなく、美しさを生み出すことである。
生殖は命に限りあるものにとって不死を獲得する唯一の方法である。
ある本からの間接的な引用ですので、不正確かもしれませんが、考えさせられる言葉です。
その本(「生命をつなぐ進化の不思議」ちくま新書)の著者の内田亮子さんは、こう書いています。
これは、生物の命のつながりのことである。
さらに、生産には繁殖とは別に精神を介したものがあるとプラトンはいう。
これが知のつながりであり、これによっても人間は不死を獲得することができる。
「魂によって懐妊し出産することができるすばらしい詩人や発明家たちが存在する」と。
産み出された知は、脳を介して伝わっていく。
節子との40年の暮らしの中で、私たちがお互いから学んだものはたくさんあります。
もっとも、一緒に暮らすということは、学びあうことだと気づいたのは、私の場合はかなり遅くなってからです。
たぶん会社を辞めて、節子と一緒に湯島のオフィスを拠点に活動を拡散するようになってからです。
それまでに節子からたくさんのことを学んでいたことに気づかされたのです。

私は主に知識を節子に提供し、節子は私に生きることの意味を教えてくれました。
私は言葉で、節子は行動で、です。
しかし、次第に学びあうことから育てあうことに変化したように思います。
私も知識だけではなく、行動を主軸にするようになりました。
私たちの世界観や生活文化は、かなりシンクロナイズしていったように思います。
詩や発明にはつながりませんでしたが、私たちの文化はささやかながら娘たちに継承されていますし、私の周囲の人たちにも少しだけ伝わっているかもしれません。

会社を辞めてからの私の仕事のすべては、その意味で節子との共同作品です。
何気ない節子の一言が、私の創造力にどれほど刺激を与えてくれたことか。
何気ない節子の反応が、私にどれほどの勇気を与えてくれたことか。
そんななかから、要するに知的成果というのはすべて個人のものではないことにも気づかされました。
私が知的所有権という概念に反対するのは、そのせいです。
知的成果は個人が独占すべきことではありません。

プラトンがいうように、生命はつながっており、個別の生命を超えて考えれば死はきわめて個別の現象でしかありません。
生命のつながりの確信があれば、大仰に嘆き悲しむことではないのかもしれません。
それはわかっているのですが、にもかかわらず、やはりまだ煩悩から抜け出られずにいます。
「愛の目的は美しさを生み出すこと」
これも最近、何となく理解できるような気がしています。

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