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2009/01/16

■政党の時代は終わっています

自民党を離党した渡辺議員が、公務員制度改革や地方分権改革などを推進する政策集団を立ち上げると発表しました。
ともかく具体的な動きが出てきたことは歓迎したいと思います。
この数か月、日本の国政は2大政党のにらみ合いのまま動きがとれずにいます。
民主党も、本気で政権を奪取したいのであれば、国民に向けて呼びかける姿勢を持たなければ動きは出てこないでしょうが、それをする気は感じられません。
所詮は自民党と同じなのです。
渡辺議員が国民の方を向いているかどうかはわかりませんが、少なくとも「国民運動」という言葉を使っていることには期待が持てます。

ところで、日本では相変わらず「無党派層」が多いです。
これは何を意味するのでしょうか。
私には明確に思えます。
政党の時代が終わったということです。
国民一人ひとりの政治意識が高まれば、政党の存在価値はなくなります。
ただそれだけのことではないかと思います。

党議拘束などという時代錯誤もはなはだしい管理の枠組みの中で、自らの見識も主張も主体性も持っていなくてもやっていける歯車政治屋の時代は終わったということです。
にもかかわらず、まだ2大政党とか小選挙区制度とかいう、対立構造を信奉している政治の枠組みが残っているわけです。
というよりも、そういう時代遅れの政治のスキームに向かって、いまだに政治制度整備がされているのです。
政治学者や政治評論家は、今もまだ政党政治の枠組みにしがみついています。
学者や評論家は常に時代の現場から遅れるものですが、いささかその遅れが大きすぎるように、私には思えます。

渡辺議員の行動は政党再編成の契機ではなく、政党の時代の終わりの契機になってほしいと思います。
それが無理であれば、せめて「固い殻のような政党」から「柔軟な生きた政党」への脱皮に繋がってほしいものです。

社会の成熟化の中で、組織の意味合いが変わってきています。
企業も行政体も組織構造原理が変わっているのです。
政治の世界も同じです。
渡辺さんには、ぜひそうした意識を持って、新しい政治のあり方を考えてほしいものです。

過剰な期待であることはわかっていますが、状況はかなり熟しています。
大きな変化の契機にならないとはいいきれません。
新聞やテレビの論説委員がいつものように潰さなければ、ですが。

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