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2009/01/28

■首相への損害賠償請求はできないものでしょうか

国家というのは、やはりよく理解できない仕組みです。

たとえば、企業経営者が株主の反対を押し切って、その利益を損なうような行為をした場合は、経営者に対するは委任訴訟が起こせます。
国家のトップである首相に対しては、そうした訴訟は起こせないものでしょうか。
おそらく起こせないでしょう。
なにしろ違憲判決が出ても、何の拘束力もないのが国家、少なくとも日本国家です。
政府は「統治する側」であって、「統治される側」ではないからです。

しかし、トップの暴走を止められない組織は欠陥がある組織です。
本来、組織にはホメオスタシスといって、均衡をバランスさせる機能が内在していますが、国家にはそれがありません。
国家は多様な主体によるガバナンスを封じ込める仕組みだからです。
多様な人々から成る社会は、本来は管理不能な複雑体です。
それを効率的に管理していくためには、その複雑性を縮減し、判断基準をできるだけ単純化するのが効果的です。
そこで使われるのが、貨幣と暴力です。
心を貨幣で、身体を暴力で抑えてしまえば、どんな複雑体も管理できるようになります。
そうした上で、国民主権を認めれば、いいわけです。
貨幣と暴力で仕組まれたガバナンスの制度ができていないままに、国民主権などに走れば、ロベスピエールの恐怖政治に陥ります。

近代は、管理できるガバナンス制度の構築のために、社会の複雑性を縮減する歴史だったと言っていいでしょう。
しかし、貨幣は1970年代以降、国家の手を離れだし、国家をも危機に陥れるまでの力を持ってきました。
いまや金融工学者を活用しながら、金銭は国家財政さえも操りながら、自己増殖をはかっています。

暴力はどうでしょうか。
最近のガザ攻撃をみればわかりますが、暴力もまた国家を手段化しつつあります。
国家体制を維持するために、国家は暴力を管理下においたはずですが、いまやそれが災いの元になってきています。
映画の世界では既に繰り返し描かれていますが、核兵器はいつまでも国家の独占的管理体制のもとに閉じ込めてはおけないでしょう。
核拡散防止などの発想は、そもそも矛盾があります。
実現可能なのは、廃絶であって、拡散防止ではありません。

つまり、貨幣と暴力という、国家を成り立たせてきた2つの柱が、国家の手を超えて、国家を壊しだしたのです。

定額給付金という巨額な無駄遣いをした首相と、
核兵器の発射のボタンを押す大統領は、実は同じものです。
いずれも主権者である国民が何の制約も与えられないのですから。
しかし、今ではアメリカでも核兵器のボタンを押すのは大統領だけではできないはずです。

日本が核兵器を持っていなくてよかったです。
「解散するかどうかは麻生が決めます」と得意気に言っている無恥な麻生首相は、きっと核兵器のボタンを押すのも、自分の勝手な判断でできると思うことでしょう。

今回の常軌を逸した行為は、たかだか2兆円程度の無駄遣いでしたが、せめてその無駄遣いに賛成票を投じた政治家に、返却を要求する訴訟は起こせないものかと思います。
次の選挙では、ぜひ全員、落選させてほしいものです。
彼らにとって2兆円はたいした額ではないかもしれませんが、血税を払っている国民には想像もつかない大きな金額なのです。
私は最近収入がほとんどないので税金をあまり払えないのですが、それでも税金を払う意欲が大きく損なわれたことは事実です。

賛成した政治家の名前は、死ぬまで忘れません。

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