■節子への挽歌513:初対面の若者からのメール
節子
今日は自画自賛の内容です。
節子がいたら、みっともないからやめなさいと、きっと削除させられそうです。
でもたまには自画自賛もさせてください。
先週、初めて会った若者からメールが来ました。
名刺に書いてある私のサイトから、この挽歌のブログを読んでくれたのです。
とてもうれしい内容のメールです。
無断で一部を引用させてもらいます。
私事で恐縮ですが、実は来月入籍します。この挽歌が、そういうメッセージも発していることがわかり、とてもうれしいです。
自分も佐藤さんと同じ年齢になっても、佐藤さんと同じような妻を大事にする気持ちでいたいと感じることができました。
本当にありがとうございます。
悲嘆にくれた暗いメッセージばかりでは、社会的な価値がありません。
何か前向きの示唆が少しでも提供できれば、私としてはとてもうれしいです。
そうやって前向きの価値を読み取ってくださる読者には感謝しなければいけません。
この若者は、大きな志を持って活動しています。
時評編では、いつも社会に対して批判的な記事が多いですが、私の回りの若者たちの活動には「思い」を込めた活動に取り組む人も少なくありません。
「現場から遠くなるほど、人は不誠実になる」というのが、私の経験則の一つです。
私は、不誠実な生き方はしたくないので、現場の人とできるだけ繋がっていたいのです。
社会をおかしくしてきてしまったことに関しては、私たちの世代は大きな責任があります。
その反省の元に、そうした若者たちをささやかに応援したい、これが最近の私の生き方の基本です。
天下りや「渡り」を繰り返している同期の友人からみれば、無意味な生き方かもしれません。
しかし、21年前に会社を辞めた時に、そう決めたのです。
節子は何も言わずに賛成し、協力してくれました。
メールをくれた若者は、こう書いてきました。
次世代の子どもたちの心の成長に貢献したいと考えておりますので、さて、私に何ができるでしょうか。
意味のある人生を送る豊かな心を持った若者を増やすためにもよろしくお願いいたします。
最近いささか疲労気味なので、少し気が重いのも事実です。
最後にこう書いてありました。
佐藤さんとお話ができて、ご縁があってブログを読ませていただいて、温かい気持ちになれましたことを本当に感謝しています。私の長所は、こうした言葉を素直に真に受けて喜んでしまうことなのです。
悲嘆にくれている背後にある、温かい気持ち。
それを感じてもらえて、とてもうれしいです。
この挽歌も少しは役に立っているのです。
節子がいたら自慢できるのですが、その節子がいないのがやはりさびしいです。
せめてブログで自画自賛です。はい。
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