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2009/01/18

■節子への挽歌504:精一杯生きる

挽歌501にお2人の方からメールとコメントをいただきました。
コメントしてくださったのは、田淵さんです。
一部を再録させてもらいます。全文はコメントをお読みください

私も先日出した寒中見舞いに
「・・・・過酷な闘病でしたが主人は最期まで投げ出すことなくひたむきに生き抜きました。・・・・」
と書きました。

 そうですね。死ぬために生きているのではありません。

友人たちが慰めのために「ご主人はもういいと思われたときもあった筈だけど、あなたのために頑張られたのよ」と言ってもらっても違和感を感じたのは、私はやはり主人はもういいとは一度も思わなかったと確信しているからです。
生きたいと思っていたに違いありません。
真摯に生き抜きました。
そういう人間もいることを知ってほしいですよね

「そういう人間もいることを知ってほしいですよね」
というところに、田淵さんの思いが伝わってきます。

もう一人は、挽歌287で紹介した大浦さんです。
むすめさんを見送った大浦さんからも、(私も)そのことを伝えたくて、「あなたにあえてよかった」を書いたのだと思いだしました、とメールをもらいました。

郁代もまた、他に選ぶことが出来ない、逃げ場のない生を、最期まで精一杯生きようとしたのでした。
周りの人ができることは、精一杯生きようとしている人と共に生きることなのかもしれません。
最近、テレビに時々登場しますが、東尋坊で自殺予防活動に取り組んでいる茂さんが「本当はみんないきたいんや」と言っていたことを思い出します。

昨日、ある集まりで、「死」が話題になりました。
私にはかなり辛いテーマですが、今年は少し「死」に関するプロジェクトに関わることになりそうです。
自分で決めたことではなく、流れの中でそうなってきたのです。
これもきっと何かの必然性があるのでしょう。
しかし、「死」を語る時には、いつもこのことを忘れないようにしたいと思っています。

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