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2009/01/05

■節子への挽歌491:湯島で節子と話しています

節子
今年は元日から良い天気が続いています。
今日、久しぶりにオフィスの近くの湯島天神に行きました。
節子がいなくなってから、初めてです。
今までどうしても行けませんでした。

お店も出てにぎわっていました。
節子と一緒に飲んだ甘酒屋さんも出ていました。
みんな楽しそうでした。
まだここにはお正月が残っています。

私たちのオフィスは湯島天神のすぐ近くです。
今日はそこで半日を過ごしています。
このオフィスは私たちの人生の再出発の場所です。
いろいろな思い出が、ここには込められています。
目の前の壁には藤田さんのリソグラフがかかっています。
節子はこの「萌える季節」が好きでした。
このオフィスを開いたのは、平成元年でした。
その春、私は会社を辞めて、節子と2人で新しい生き方を選びました。
働くでもなく遊ぶでもなく、時代のなかで自分たちの生き方を探しながら、一緒に人生を創っていくというのが、その時の私たちの思いでした。
オフィスを開いた1週間、100人を超える人たちが来てくれました。
それが私たちの、いや私の生き方を決めてしまったように思います。
節子が思っていたのとはちょっと違っていたかもしれません。
しかし、節子は時々、不満を口にしたとはいえ、私についてきてくれました。

考えてみると、私の生き方はたぶん非常識な生き方です。
節子が苦労したことはよくわかっていますが、節子もまた、そうした私に生き方にいつしか共感してくれるようになりました。
私が節子に一番感謝しているのは、そのことです。
そして、節子に一番すまないと思っていることもそのことです。
節子には、世間的な意味での優雅な暮らしを体験させてやれませんでした。
ブランド品はひとつもなく、高級レストランでの食事もなく、旅行も庶民的な旅館だけでした。
私が、そうしたものがすべて嫌いだからです。
しかし、女性である以上、節子はたまにはちょっとした「ぜいたく」を楽しみたかったかもしれません。
なぜかそうしたものに生理的に反発してしまう私と結婚したために、少なくとも私と一緒には、節子は贅沢を味わうことはありませんでした。
私たちは、いつかも書きましたが、6畳一間の「神田川」の生活から始まり、質素で贅沢とは無縁の暮らしを続けてきたのです。
但し、お金で苦労したことは、節子もなかったでしょう。
お金がなくても豊かな暮らしができる術を私たちは持っていたからです。
愛があればお金などいらないというのは、少なくとも私たちには真理でした。

何だかおかしな方向に文章が進んでいますね。
湯島のオフィスで、節子の好きだった「萌える季節」を見ていたら、ついつい昔を思い出してしまいました。
ここにはともかくたくさんの節子が息吹いているのです。

今日はホームページで湯島でのんびりしていることを書いたので、夕方までいる予定ですが、まだ誰も来ません。
ホームページだけに書いたので、みんな気がつかなかったのかもしれません。
まあ、だれも来なくても、節子と話せるので退屈はしませんが。
でも誰かに来てほしい気もします。

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