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2009/01/11

■やくざを生み出す構造

「山口組概論」(ちくま新書)を読みました。
こういうくだりが出てきました。
ちょっと長いですが、引用させてもらいます。

組(注:山口組などのやくざの集団をさす)がなくならないのは、組を生み出す土壌があるからだ。
組に身を寄せるしかない若者を生む市民社会の構造を変えない限り、組だけを弾圧しても意味はない。
経済的貧困や愛情の欠如、差別や社会不信といった市民社会のなかにやくざを生み出す構造があるのであって、反対に組はつくろうとしてできるものではない。
幼少のころに父母を失い、貧しさが生む悲しみを身にしみて知っていた田岡一雄は、山口組のもとに集まる身内(家族)に対して、家長として彼らを守らねばならなかった。
そこから導かれたのは、若い衆に正業を持たせること、それで最低限の生活が保証されれば人間は悪事へ走らずに済むことであった。
貧しさが生む社会悪を最小限にくいとめる努力は、田岡にとって侠客の条件であった。
日本の高度経済成長期には、山口組などのヤクザの世界と政治家(政党)や財界人(企業)とのつながりが深いことはよく知られていることですが、この文章を読みながら、昨今の企業による不条理な従業員解雇や政治家の無策を思い出して、ついつい比較してしまいました。
もしかしたら、日本の大企業や政治がダメになってきたのは、後ろ盾のやくざ集団がいなくなったからではないか、とまでは思いませんが、

山口組3代目組長の田岡一郎は、巨大組織に成長した山口組の現状に対して、組をつなぎとめるものは何かと訊かれて、こう答えたそうです。

「ぼくからいわすと愛情ですね。それよりほかに、ちょっといいかたないんじゃないですか。お互いの思いやりというか、仮に正業持っても、心の奥で寂しいときがありますからね。そういうときの相談にものれますし、一緒に悲しんでもやれる。そういう心と心のつながりというもんじゃないですか」
麻生さんや御手洗さんに、聞かせたい言葉です。


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