■お正月の風景を壊したのはだれでしょうか
元日の風景は一変しました。
私が子どもの頃は、いえ30歳くらいまでもそうだったと思いますが、元日に営業をしていたお店はほとんどありませんでした。
お年玉をもらっても、買いに行くお店が開いていなかったのです。
それがいつの間にか、今では元日からスーパーも百貨店も営業をしています。
便利といえば便利ですが、おかげで正月の静けさは感じられなくなりました。
24時間営業のお店もそうですが、ともかく季節とか曜日とか、祭日とか時間とか、そういうものの意味がなくなってしまってきています。
それは社会そのものの文化の否定に繋がっていくでしょう。
実は、私自身は15年前までは、そうした時間制約を克服することに価値を感じていました。
21年前に会社を辞めた時に、これからは「働くでもなく、遊ぶでもなく、休むでもなく」暮らしていきたいと友人知人に書いた時の思いは、時間の制約を越えて、自分基準での生活を目指そうとしていたのです。
24時間営業のお店は、当時の私には望ましい姿ですらありました。
考えが変わったのは、会社を辞めてしばらくしてからです。
沖縄から青森まで、各地の実態に少しだけ関わらせてもらった影響です。
東京の生活の貧しさを実感したのです。
これまでの生活はいったい何だったのか。
そこから考え方が大きく変わりだしました。
それはともかく、お正月の風景が大きく変わってしまいました。
最近、やっとその意味がわかってきたような気がします。
取り返しのつかないことをしてしまったのではないかという気がしています。
生活文化は築き上げるのには時間がかかりますが、壊すのは簡単なようです。
女性の「社会」進出や男女共同参画社会の動きが、日本に育っていた家族の文化を壊してしまったことをとても残念に思います。
妻を失って、そのことがますますはっきりと見えてきました。
男女共同参画社会の意味をもっと真剣に考えて欲しいと思います。
「女性の社会進出」と同じで、男女共同参画の向かう先は、家族の「社会」化かもしれません。
もしそうなら社会を壊すお先棒を担っているとしか思えません。
女性の社会進出が、そうだったように。
今年も話が非論理的に飛躍してしまいそうです。
それに、年初早々、誤解されそうなことを書いてしまいました。
今日、書きたかったのは、お正月の風景が変わってしまったことへの寂しさだったのですが。
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