■節子への挽歌515:ニーバーの祈り
節子
なかなか節子のいない生活に慣れずにいますが、
昨夜、ニーバーの祈りの言葉を思い出しました。
最近、なぜか忘れていた言葉です。
神よ、この言葉は私の人生訓の一つでした。
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
ですから、どんな時にでも私は楽観主義でいられたのです。
この知恵さえあれば、すべてのことが私の味方になるのです。
変えられることは、変える課題を与えてくれるという意味で、
変えられないことは、それを味方にしなければいけないという意味で、
すべて私に元気を与えてくれるものでした。
ただ常識が欠落しており、いささか独りよがりの傾向にある私は、それらを識別する知恵にはあまり恵まれていませんでした。
ですから、節子の病気を治せると思い込んでいました。
節子が私よりも先に逝ってしまうということは、私には決して受け入れられることではなかったのです。
知恵も、そして冷静さも無かったのです。
節子は、そのいずれをも持っていました。
自分のことなのに、いや、自分のことだからかもしれませんが、
ニーバーの祈りにある3つを持っていました。
勇気、冷静さ、そして知恵。
しかも、それを私に押し付けることなく、私にも思いを重ねてくれていたのです。
節子の仕草の一つひとつを、時々、思い出すことがあります。
そのたびに目頭が熱くなりますが、その私の誇りだった節子の笑い顔にもう会えないかと思うと、悲しくて悲しくて仕方がありません。
その「変えられないこと」を、私はまだ受け入れる冷静さをもてずにいるのです。
ニーバーの祈りは、節子がいなくなってから、私の世界からなくなっていました。
勇気も冷静さも、そして知恵も、無残にも飛散してしまっていたからです。
明日から、般若心経に代えて、時々、ニーバーの祈りを念ずるようにしようと思います。
今の現実を受け入れられるかどうかは、あまり自信はないのですが。
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