■自由に物言えぬ報道と自由に物言わぬ報道
昨年、話題になった岩波新書の「貧困大国アメリカ」のなかに、2006年度に「国境なき記者団」が発表した「世界168か国における報道の自由度ランキング」によれば、日本は51位だったという紹介があります。
これには驚きました。
そんなに低いとは思ってもいませんでしたから。
報道における主体的判断と批判精神の不在は、そうした状況の結果なのでしょうか。
いまNHKのガザ事件の報道の偏向性が問われていますが、それには悪意ある意図さえ感じます。
イスラエルのガザ侵攻事件は、イラク侵攻事件と同じく、明らかな犯罪行為だと思いますが、イスラエル側の視点が多すぎます。
アメリカの圧力がかなりあるのでしょうか。
いや、どうもそればかりではないような気がします。
次元は違いますが、定額給付金やそれに異議申し立てした渡辺議員の行動に関する報道も私には偏見を感じます。
一方で、国民の7割が給付金に反対しているというアンケート調査結果を報道しながら、それを中和するように、支給されたら受け取る人数も多いなどという全く次元の違う話を付け足しているのは明らかに政府に迎合しています。
渡辺さんに関する行動も「弱いものいじめ」に見えますし、渡辺さんに続く人たちを抑える働きをマスコミは見事に果たしたように思います。
それほどまでして政府を守りたいのであれば、世論調査などしなければいいのにと思います。
渡辺さんは「国民運動」を起こしたいといいました。
それは、マスコミやそこに登場しているいわゆるコメンテーターに対する批判のような気がします。
7割の国民が無駄だと反対している給付金を、世論に反して強行採決する政府の暴挙に対して、なぜマスコミは「無力」なのでしょうか。
国民の税金を、国民の意思に反して湯水のごとく無駄遣いしている政府に迎合する報道をなぜ続けるのでしょうか。
そこに、現代のマスコミの意味を感じます。
報道の自由の不在は、2種類あります。
「自由に物言えぬ報道」と「自由に物言わぬ報道」です。
「報道の自由度ランキング51位」というのは、どちらに要因があるのでしょうか。
報道の自由の不在は、言動の自由の不在、さらには主体性の不在の結果なのかもしれません。
その逆ではないような気がします。
それにしても、政府自民党のなかに、給付金反対論が出てこないのが不思議でなりません。
これほどまでの世論との乖離は、どう考えても健全ではありません。
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