■節子への挽歌503:坂道をのぼりながら考えたこと
節子
最近、坂道を登るのに息が切れてしまうようになりました。
老いを身体で実感できるようになってきたのです。
ポジティブシンキングを目指す私としては、身体の感受性が豊かになってきたと受け止めていますが、その坂道をのぼりながら思い出すのは節子のことです。
節子が病気になってから、2人で散歩などしていると、私には気づかないようななだらかな坂道でも、疲れるからもっとゆっくり歩いてよ、といったものです。
最初の頃は、こんな坂でそんなにもつらいの、と私は無情にも反応してしまったものです。
元気な時にはなかなか実感できないもので、ついつい急がせてしまっていたこともあるような気がします。
これは坂道だけではありません。
歩く速度じたいも昔と違ってゆっくりになりました。
いや生活すべてにおけるスピードが変わっていったのです。
私はそれを理解しても、なかなか身体的な反応にはつながらず、節子には申し訳ないことをしたと今でも思っています。
頭での理解と身体的な反応は時間のずれがあります。
しかし、一度身体に刷り込まれた時間リズムは定着し、節子のリズムが今の私のリズムになっているような気がします。
そして、坂道をのぼるときに、節子が教えてくれた生活リズムをいつも思い出すのです。
「人を愛するとは、その人間と一緒に年老いるのを受け容れることにほかならない」とアルベール・カミユは書いています。
私たちは一緒に暮らし始めた時に、そのことをかなり意識していました。
しかし、節子が私より早く旅立ってしまい、年老いた暮らしを共にできなくなってしまいました。
節子は、私に対してそのことを時々わびていました。
まさか関係が逆転するなどとは私たちは思ってもいなかったのです。
年老いて、2人の人生の苦楽を思い出しながら、語り合う。
それがある意味での私たちの人生の目標だったのです。
過去は、未来においてはじめて意味を持ってくる、と私は考えていました。
ですから、2人とも過去のことなどには無関心に生きてきました。
しかしもはや過去を語ることもなくなってしまったのです。
私たちの未来が消えてしまうと共に、過去もまた消えてしまったのです。
昨日、坂道をのぼりながら、少し息切れしている自分に気づきました。
その時にハッと気づきました。
病気になってからの節子は、その後の人生を凝縮させて生きていたのではないか。
私に年老いた自分を体験させてくれたのではないか。
そして私に年老いた時の生き方を教えてくれていたのではないか。
いささか馬鹿げた考えですが、そう思えてきたのです。
私たちが目指していた、年老いて寄り添いながら暮らす生き方を、節子は体験させてくれていたわけです。
「人を愛するとは、その人間と一緒に年老いるのを受け容れることにほかならない」
カミユの言葉の意味が、ようやくわかったような気がします。
節子、ありがとう。
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