■節子への挽歌496:「運命は事前には書き記されていない」
「運命はそれがつくられるにつれて書き記されるのであって、事前に書き記されているのではない。」
生物学者のジャック・モノーが「偶然と必然」のなかで書いている文章です。
私はどちらかというと、偶然を大切にして生きています。
節子もそうでした。
私たちの共通点は、「計画的」でないとともに、「既存のルール」に拘束されなかったことです。
「計画」を立てるのが好きでしたし、既存のルールも大事にはしたのですが、そのくせ、それらに拘束されるのは苦手でした。
うまく書けないのですが、わかってもらえるでしょうか。
以前、 「赤い糸」のことを書きましたが、その一方で、そうした「定め」のようなものも受け容れられるのも、私たちの共通点でした。
節子は病気になってから、よく「これが私の定めなのね」と話していました。
いま思うと不思議なのですが、その言い方は淡々としていて、驚くほどでした。
おそらく私もまた同じ立場になったら、同じだったと思います。
にもかかわらず、私たちは2人ともどこかで「治る」と確信していました。
運命があるとしても、それはいくらでも書き換えられる。
そう思っていたのです。
反省すべきは、そう思っていながらも、それに向けての努力を怠っていたことです。
上記のモノーの言葉は、最近読んだ「偶然を生きる思想」の中で出会いました。
それで昔読んだモノーの「偶然と必然」をまた読み直したのです。
驚いたことに、その本の上記の文章にマーカーペンで印がついていたのです。
私は本を読む時に、印象に残ったところに線を引くのですが、その線が引かれていたということです。
35年前に本書を読んだ時にも、この文章にこだわっていたのです。
節子との偶然の出会いは、その後、必然的な出会いだったと思えるほどに、私たちの人生を変えました。
おそらくそう思えるまでには、20年以上の時間が必要だったように思います。
そして、2人ともが「必然的な出会いだった」と確信できたところで、またもや偶然の別れがもたらされたのです。
そこで混乱が生じます。
この別れは「必然的」なものだったのではないか、と。
しかし、モノーがいうように、運命は事前に書き記されてはいないのです。
だとしたら、節子との別れは、私たち自身が書き記したことなのかもしれません。
いつどこで、こんな展開が決まってしまったのか。
なぜ私たちはそれに気づかなかったのか。
偶然を大事にして生きるのであれば、もっと自覚的にならなければいけません。
そのことを改めて思い知らされました。
運命を自らが書き記していくことは辛いことです。
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