■環世界という捉え方
先日、ネオニコチノイドの話を書きましたが、
環境問題を考える時に「環世界」という概念が最近見直されつつあります。
20世紀前半に、ヤコブ・フォン・ユクスキュルというドイツの動物学者が言い出した概念で、
「それぞれの動物に特有な世界」というような意味です。
つまり、「環境」とひとくくりに捉えるのではなく、生物ごとに環境を捉えていこうという考え方です。
たとえば、多くの生物は臭覚によって世界を見ているといわれますが、人間は視覚で世界を見ています。
視覚の世界も、犬が見ている世界と人間が見ている世界とは異なります。
ローレンツの「ソロモンの指輪」に出てきますが、クマルカラスは、
動いているバッタは見えても、静止しているバッタは見えないのだそうです。
ユクスキュルは、生物は環境の中から自分にとって意味のあるものを選び出し、
独特の世界を構築し、その中で生きていると述べています。
私たちは環境問題を、私たちが見ている世界を前提にして考えがちですが、
私たちが見ている世界がすべてではないわけです。
環世界はそれぞれの生物によって違っていますが、そのベースは一つです。
だからこそ、生物多様性の保持が重要になります。
私たちに見えない世界が壊れていることに気づかないでいると、
それが必ず自分たちの世界に影響を与えるからです。
人間の中でも、人によって世界の見え方はかなり違います。
私の娘は臭覚がとても敏感ですので、私が気づかない臭いに強く反応します。
昨今のように香りが充満してきた世界は、彼女にとってはかなり生きにくいのかもしれません。
子どもたちが見ている世界と大人たちが見ている世界もかなり違っているのかもしれません。
そこに気づかないでいると、とんでもない事件に繋がってしまうこともあります。
福祉の世界もそうです。
障害を持つ人の世界は、障害のない人の世界とはかなり違うでしょう。
そこを認識していない行為は、措置行為になりかねません。
それぞれの環世界を通底する共通なものがあれば、
相互理解や共存は可能ですし、むしろ支え合いの関係が成立する可能性はあります。
自然界にはそうした「共生」の関係はたくさんあります。
人間社会の場合でいえば、昨日書いた利他的行為や互恵的懲罰の成立基盤は、
それぞれの環世界を相互に理解する寛容さと能力です。
しかしそれが損なわれてしまうと、それすら成り立ちにくくなるわけです。
パレスチナの現状や日本の政界の状況には、
そうしたものが失われているのではないかという不安を感じます。
環境や福祉の問題だけではなく、政治や経済の問題を考える時に、
「環世界」の発想はとても重要な示唆を与えているように思います。
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