■節子への挽歌516:人生は変わりながら続いていくもの
節子
あなたがいなくなって、私の生活は大きく変わってしまいました。
私の生活において節子の存在は大きな比重を占めていたから、それは当然のことです。
節子がいなくなった空隙が、私の人生を大きく変えてしまっているわけです。
人生を変えてしまったのは、私だけではありません。
1か月ぶりに、以前、何回かメールをいただいたSBさんからメールが来ました。
SBさんは一緒に暮らしていた妹さんを亡くされたのです。
1か月前に会社を辞められ、今は以前弾いていたギターをまた弾きだしたのだそうです。
SBさんは挽歌512を読んでの感想を送ってきてくれたのです。
きょうの挽歌読ませていただきました。しばらく連絡がなかったので気になっていましたが、文面から少し元気さを感じホッとしました。
その通りだと思います。
ロビタさんも言っておられましたが、子供がいなかったら会社を辞めていた‥‥‥と。
その通りで私は会社を辞めましたね。私も今ケアする相手が誰もいないので、きっとギターを始めたのだと思っています。
まぁ猫はうちにたくさんいて、ケアはしていますが‥‥‥。約1ヶ月たって、失業生活も落ち着いてきました。
すべてが自分の自由の時間になると、返って大変です。よほど自分がしっかりしないとメ チャクチャな生活になってしまいますね。
自分で自分をコントロールする。結構大変なことです。
もっともこうした文面の元気さはあまり当てにはなりません。
私自身のことで、それはよくわかっています。
この挽歌を読んで、連絡を下さった方は何人かいますが、その後、連絡のない方も少なくありません。
まあ当然といえば、当然です。
お互いに全く面識はなく、ただ同じような体験をしただけですし、それに同じような体験をした人と会うよりは、そうでない人に会ったほうが、たぶん気が晴れることでしょう。
同じ体験をした人に会うと、なぜか少しホッとする一方で、自分の体験を思い出してしまい、辛くなることもあるからです。
しかし、一度、接点を持った人のことは気になり続けるものです。
これは私だけの習癖かもしれませんが。
考えてみると、愛する人との別れが人生を変えるだけではありません。
愛する人との出会いもまた人生を変えますし、愛する人との暮らしによって人生が変わることもあります。
再発してからは、明日もまた今日のままでいたいと、節子は時々話していました。
私もどれほどそれを望んだことでしょう。
しかし、同じ状況を続けることはできません。
良くも悪くも、人の人生は変わりながら続いていくものなのです。
愛する人を失った後の人生の変化は、外に現れる以上に、当人には大きなものです。
それを実感しているがゆえに、余計なお世話ですが、同じような体験をした人たちのことが気になるのです。
これも不思議な感覚ですが、どこかでそうした人たちと人生をすでに分かち合っているからかもしれません。
ひとたびの関わりを持たせてもらった人たちの平安を祈ることで、私自身の平安が得られるのを感じます。
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