■節子への挽歌500:年賀状の返事
節子
たくさんの方から年賀状をもらいました。
宛先にまだ「節子」があるものも3枚ありました。
私のほうの友人ですが、伝えていなかったようです。
この年賀状が正しくて、節子の不在は私たちの勘違いだったらどんなにいいでしょうか。
その人たちに伝えようかどうか、迷っています。
ところで、今年は年賀状を1枚も出しませんでしたし、年賀メールも出しませんでした。
世間的には喪はあけたのですが、どうしても賀状を書く気にはなれなかったのです。
しかし、黙っているのも失礼です。
思い切って、メールと手紙を書くことにしました。
あまり気分は乗りませんが、これから1週間かけて出していくつもりです。
こんなことをいうと笑われそうですが、おそらくこれからずっと年賀状は書けなくなるような気がしています。
心理的には、ずっと喪に服していたい気分なのです。
節子がいない今、たとえ何であれ、祝う気分にはなれないからです。
正確にいえば、「祝う気分」と同時に、節子と一緒にそれを味わえない「悲しい気分」が生じてしまい、結局、本心から祝えなくなってしまっているのです。
困ったものです。
付き合いにくい人間にならなければいいのですが。
そうならないように努力しなければいけません。
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コメント
年賀状のお話ですが・・・「節子」さんのお名前がある
その瞬間だけでも、節子さんはいらっしゃるのかもしれま
せんね。
こちらも主人宛の年賀状が沢山まいりました。喪中葉書も
分かる範囲ではだしたつもりでしたが、やはり行き届かな
かったところもありまして。。。今日15日になったので
「寒中見舞い」でお知らせを投函したところです。
主人宛の年賀状を見たとき、「ああ・・・この方の中では
主人はまだ生存しているのだ!」と嬉しいような気持ちに
なりました。この度お知らせするのもなんだか気が進まな
くて。。。。このまま、その方達の中に生きていてほしい
なんてことを考えてしまいました。
喪に服するというお話も分かるような気がします。私も
いつも喪に服しているような気分です。特に楽しいことを
したいとも思いませんし、悲しくてもそれから逃れたいとも
思わないのです。主人がいる時は、私はいつも元気で
ニコニコしていると言われていました。笑顔も主人が保障
していてくれたのだなあと思います。洋服も自然に黒を
選んでしまいます。不思議なことに以前似合っていたはっきり
した色のものが合わないのです。黒という喪の色を選択
してしまうのも心の現われなんでしょうね。
心と行動って連動してしまうようです。
年が明けると少し気分が変わるのかと思っていましたが、
悲しみや寂しさは深くなっていくようです。
冬の空はあくまでも青く・・・空気は冷たいですね。
夜はお月様もとてもきれいに見えます。
どうかご自愛くださいませ。
投稿: 田淵 マサ子 | 2009/01/15 19:00