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2009/01/12

■互恵的懲罰と利他的行為

直接的には自分の得にはならないのに、というよりもむしろ損になりかねないのに、誰かに迷惑をかけるような行為をする人を注意したり、その行為を防止したりすることを「互恵的懲罰」と呼ぶそうです。
また、自分の利益ではなく、他人の利益につながる行為を「利他的行為」といいます。
この両者には、正の相関関係があるといわれます。
つまり、互恵的懲罰が増えれば利他的行為が増えるということです。
互恵的懲罰はある種の利他的行為ですから、これはトートロジーのような気もしますが、平たくいえば、みんながお互いに注意しあうことは、支えあうこととつながっているということです。
それが、社会の基盤をしっかりとしたものにし、社会を豊かにしていくことはいうまでもありません。

この視点で、最近の政治や経済、あるいは社会を見ると、いろいろなことに気づきます。
「支え合いの文化」や「注意しあう文化」が失われてしまっているために、みんな互恵的懲罰や利他的行為に無関心になってしまっているのです。
いや、その余裕がなくなっているというべきでしょうか。
そしてそれが社会の秩序を壊し、結局は自らのダメッジを大きくしていくという悪循環に陥ってしまっているのです。

大企業の業績悪化の一因はそこにあるように思いますし、政治における閉塞状況の原因もまた、そこにあるような気がします。

不条理な解雇が広がる中で、一部の企業が支え合いの文化、つまり雇用を守ることを起点とした動きを見せだしています。
そこから財界の中心にある大企業の人間軽視の流れへの見直しが始まることを期待したいです。
互恵的懲罰や利他的行為は、結局は自らの存在基盤を強めていくはずです。
大企業は、そうした動きのフリーライダーになるべきではないでしょう。

渡辺喜美議員が麻生首相に異議申し立てをして、自民党を離党することが確実になりました。
昨今の状況から何人かは一緒に行動を起こすと思っていましたが、誰も付いていかないようです。
今回の渡辺議員の行動は、互恵的懲罰でも利他的行為でもないかもしれませんが、なんだかつながっているような気もします。
ここでもフリーライダーがたくさんいそうなのが気になります。

しかし、新しい動きの予兆を、それぞれに感じます。
そう期待したいものです。

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