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2009/01/12

■節子への挽歌498:「幸せ」を共有することの難しさ

節子の夢を見ました。
目覚めた時にはかなりはっきりと覚えていたのですが、いざ書こうとパソコンの前に座ったら思い出せないのです。
たしか2人で観劇をしていたような気がしますが、それがなぜか突然電車の席に変わり、まあいつものようにかなりシュールな夢でした。
しかし一緒にいることが、とても幸せに感じられる夢だったように思います。

私が一番幸せだったのは、やはり節子と一緒にいる時でした。
夫婦喧嘩をしている時でさえ、私は節子といるのが好きでした。
顔もみたくない、などということは、どんなに激しい喧嘩をしている時にもありませんでした。
もっとも、節子は必ずしもそうではなかったかもしれません。

それはともかく、昨日も書いたように、幸せの大きさは失った時にしか気がつかないものです。
愛する人と一緒に笑ったり泣いたり、怒ったり喜んだりできることがどれほど幸せなことか。
しかしそれはあまりにも当たり前すぎて、その幸せとは違う幸せを目指しがちです。

節子が病気になってからよく口にしたのは、今日も昨日と同じに無事過ごせたという言葉でした、
節子はいつもそのことに感謝していました。
私は、節子がもっと元気になって病気を克服することばかり考えていたような気がします。
「元気になったら台湾に行こう」
「治ったら応援してくれたみんなのところを回ろう」
今の幸せではなく、明日の幸せしか視野になかったのです。
今をしっかりと生きようとしている節子には、もしかしたら「さびしい」話だったかもしれません。
今から考えると、私と節子とは「幸せ」を共有していなかったのです。
そう思うと節子が不憫でしかたがありません。

節子は私の性格をすべて知っていましたから、もしかしたら私の価値観に合わせてくれていたのかもしれません。
全く違った人格を持つ2人が、そもそも価値観を共有することなど出来るはずがありません。
どちらかが、大きな寛容さをもって、相手を包み込まないと、そうはならないでしょう。
私がその寛容さを持っているといつも思っていましたが、そうではなかったようです。
私は、節子にとってあまりいい伴侶ではなかったのかもしれません。

いま私が一番幸せなのは、夢の中で節子と一緒にいるときです。
いまは素直に節子に従いながら、その時々の幸せを受け容れるようにしています。
目覚めてしまうと、その内容が思い出せなくなってしまうのが残念ですが。

しかし考えてみると、節子と一緒に暮らした40年間も、昨日見た夢とどこが違うのでしょうか。
今の私には、いずれもが同じに感じられます。

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