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2009年2月

2009/02/28

■節子への挽歌545:愛と執着

前にも書いたE.フロムは、「愛」と「執着」とは違うといいます。

フロムは、愛というものは、「人間のなかに潜むもやもやしたもの」であり、それがさまざまな形で表出すると考えます。
対象によって引き起こされるものではなく、自らから溢れ出るものだと考えるのです。
ですから人は、さまざまなものを愛することが出来ます。
たまたま現在の日本のような一夫一妻文化の中では、複数の異性とは夫婦になることはできませんが、それは「愛」の話ではなく「制度」の話です。
そうした考えからフロムは、「ただ一人にだけ向けられた愛が、排他的なものになってしまえば、それは愛ではなく、執着である」といいます。

挽歌を書き続けている私は、フロムからみると、愛ではなく執着ではないかと思われそうな気もします。
しかし、冒頭に書いたように、節子と私は決して「執着し合う関係」ではなく、正真正銘「愛し合う関係」でした。
それぞれの相手だけではなく、自らのなかにある「もやもやした愛」をさまざまなものに向けてきました。
浮気とかそんな話ではないことはわかってもらえると思いますが、相互に愛し合う関係が閉じられてしまうと、その関係は深まりもせず豊かにもなりません。
節子と私は、お互いにそのことをよく知っていました。

節子がいなくなった後、私はどうなったでしょうか。
私のなかにある「もやもやした愛」が、一番の行き場をなくして、他のところに向かったでしょうか。
そうはなっていないのです。
節子がいなくなってから、「もやもやした愛」の全体量とその動きが低下したような気がします。
あまり的確なたとえではないのですが、ドライアイスを水に入れると白い蒸気が容器から溢れるように盛り上がってきますが、その状況で、水の中のドライアイスがなくなってしまったような感じなのです。
なにか頼りなく、消えるような不安があります。
最近、持続力がないと何回か書きましたが、それはこういうことなのです。

もちろん、新たなものを愛することができないというわけではありません。
いまでも節子がいた頃と同じく、人を見ると愛したくなり、事物に接すると愛したくなります。
もっとも、私の愛とは、「この人、このことのために何かできることはないか」という程度のものなのですが、その思いがなかなか持続し、行動につながらなくなってきてしまったのです。

私の「愛」は、実は節子の「愛」とのつながりのなかで、「創発」されていたのではないか。
最近、そんな気がしてきました。
「半身を削がれる」ということは、そういうことなのかもしれません。
もしフロムのいう「もやもやした愛」が、人の生きる力の源泉であるとすれば、私のそれはかなりの部分、節子と一緒に彼岸に吸い込まれてしまったようです。
「もやもやした愛」がなくなってくると、人生はあまり面白いものではなくなってきます。
どうしたらこの流れを反転できるでしょうか。
まあ、そのうちきっと反転するでしょう。
もし私にまだ彼岸に行くまでの時間がかなりあれば、ですが。

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2009/02/27

■経済指標に振り回されていては事態はかわりません

今日、発表された経済指標は「戦後最悪のペースで景気後退が進む現状」を示しているとマスメディアは報じています。
鉱工業生産指数は前月比10%の減少だそうです。

景気後退で、生活さえ壊されている人たちがたくさん出ている中で、こんなことを書くのは不謹慎かもしれませんが、だからこそ書いておきたいと思って、書くことにしました。
昨日も、ある人から、佐藤さんは自宅もあって生活が安定しているから、そういうことがいえるのではないかと指摘されましたが、まさにそうなのです。
しかし、こうなるためには、20年かけてライフスタイルを変えてきた結果でもあるのです。

ホームページ(CWSコモンズ)を書き出した年に、「今が不況だ、などと考えることをそろそろやめましょう」というタイトルのメッセージを出しました。
2002年2月10日のことです。
当時はバブルがはじけた状況で景気は停滞していたのですが、むしろ今は正常なのではないかと書いたのです。
よかったら読んでください。タイトルをクリックすると記事が出てきます。

この記事に、知り合いのエコノミストが批判してきました。
当時はまだ私もエコノミストの人たちといろいろと付き合いがありました。
私は経済をわかっていないといわれました。
まあ、それは事実なのですが。

っしかし、すでにその時点で、需要を大幅に上回る生産能力が日本にはあったのです。
その時点で「数量的な生産増を主軸にする成長戦略」は見直すべきでした。
しかし、当時を「不況」と考えた企業やエコノミストは、それまでと同じく、需要を増加させる方法を考え続けてきました。
それはそう難しいことではないのです。
世界中にお金をばら撒けばいいのです。
そこで金融工学者たちの錬金術がもてはやされました。
それに呼応した企業が、たとえばトヨタです。
トヨタの経営者には経営ということが全くわかっていなかったのです。
そうでなければ、これほどの大幅な減産などという事態にはならなかったでしょう。
経営不在といわれても仕方がないと、私は思います。
それを主導した人たちが、財界の中心になるのもこの間の事情を象徴しています。

生活の基盤を奪われた人たちの当面の生活支援は重要です。
しかし発想は変えなければいけません。
今でも、思い切って生き方を変えれば、企業に頼らなくても、いろいろな方法はあるはずです

数字を使って「景気が悪いからがまんしろ」「そのうちまた不況から脱出できる」などという「アメとムチ」にだまされてはいけません。
2002年の不況を脱出して、戦後最長の好況になって、なにか「暮らしやすく」なったことはあるでしょうか。
不況や好況などというエコノミストの数字のまやかしは、生活とはあまり縁がないはずです。
そんな数字に振り回されるような生活からは、時間をかけて抜け出たいものです。
たぶん20~30年はかかるでしょうが、そうしたビジョンに基づいた大きな経済政策が構想される時代ではないかと思います。

国民は経済のための労働力ではなく、生活者なのです。
それを忘れてはいけません。

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■節子への挽歌544:節子に言えば何とかなるだろう

節子
山のように「やらなければならないこと」が溜まっています。
今日は、それをこなそうと外出をやめ、取り組みだそうとしたのですが、もう半日過ぎたのに、ほとんど「やるべきことの山」は減っていません。
何もやっていなかったわけではなく、一応、パソコンには向かっていたのですが、まあ「急がなくてもいい」「やらなくてもいい」ことばかりやっていたのです。
やらなければいけないことが増えるほどに、やらなくてもいいことに気が向いてしまうのは、私の性格です。
まあ言ってしまえば、「逃げるタイプ」なのでしょう。
もう間に合わないぞ、というくらいまで、自分を追い込まないと「やらなければいけない」ことに着手できないのです。
困ったものですが、この性格は直りません。

節子は、反対でした。
まず「やらなければいけないこと」からはじめ、それも「できる時にやってしまっておく」という姿勢でした。
もっとも、それは建前でしたので、私から見れば、必ずしもそうではないような気もしますが、節子はいつもそう言っていました。
「今日やれることは今日やる」節子と、「明日でもいいことは今日はやらない」私とは、そのライフスタイルはまったく違いましたが、まあそれぞれに自分側に引きづり込もうと相互に働きかけあっていました。
しかし、節子がいない今、私は目いっぱい、ぎりぎりまで延ばします。
度胸があれば平然と延ばすのでしょうが、気が小さいので、大丈夫かな、やらないとだめだなとストレスをためながら延ばしているわけです。

不思議なのですが、それをストレスと感じ出したのは、この1年です。
節子がいた頃は、ストレスにはなっていなかったのです。
たぶんいざとなったら「節子」に言えば何とかなると思っていたのです。
もちろん節子に「何とかできる」はずなどありません。
節子とはまったく無縁な仕事が多かったからです。
でも不思議なことに、そう思えるのが伴侶なのです。
さて、こんなことを書いているよりも、仕事をしなければいけません。

それにしてもやることがたくさんありすぎて、やる気が起きません。
節子がいたら、一緒にお茶など飲んで、やる気を出してもらえるのですが。

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■謝罪は自らに向けられた言葉

やはりまた中谷巌さんのことを書くことにしました。
決して個人的な恨みなどなく、面識さえないのですが。
26日に中谷さんは大阪で講演し、「グローバル資本主義によって、日本の良さがどんどん壊されている」と話したそうです。
中谷さんに関しては前にも書きましたが、かつての新自由主義的な自説を懺悔し、話題になった経済学者です。

「いかなる過去への謝罪も、傷つけられた者や遺族たちが、集団として、現在もなお苦しみ続けているかぎり意味をなさない」。
ノーマ・フィールドの「戦争と謝罪」に出てくる一節です。
ノーマ・フィールドは、アメリカ人を父に、日本人を母に、アメリカ軍占領下の東京に生まれた、日本近代文化の研究者です。
昭和天皇が亡くなった後、彼女のルポ「天皇の逝く国で」が出版され、話題になった人です。
中谷さんの講演の報道を読みながら、この言葉を思い出しました。
この言葉は、日本の戦争責任に関するメッセージですが、企業不祥事にしろ刑事事件にしろ、あるいは行政に作為/不作為による事件にしろ、謝罪する人の姿をテレビで見る度に思い出します。
「謝罪」は、現状を変え、未来への働きかけがあればこそ、意味がありますが、謝罪だけでは何の意味もありません。
謝罪は、過去に向けられた言葉ではなく、未来に向けられた言葉なのです。
そして、相手に向けられた言葉ではなく、自らに向けられた言葉でもあります。

今日は雪が降っています。
格差社会の中で、居場所を失った人たちには無常な雪です。

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2009/02/26

■節子への挽歌543:「場所なき人々」

伴侶を失うことの最大の辛さは、自らの拠り所の喪失かもしれません。
それは、とりもなおさず、自らの居場所に関わってきます。

最近、「場所なき人々」(displaced persons)が増えています。
世界的にいえば、いわゆる「難民」の増加ですが、国内でも増加の一途です。
一見、しっかりした居場所を持っているように見えても、それがとてももろいものであることが最近見えてきました。
大企業に属していても、いつ職場を追い出されるかわかりません。
職場を追い出されても、家庭があればそこに戻れましたが、そこからも追い出されることさえ起こっています。
こうした現象は、決して他人事でないことを最近痛感しています。

居場所とは必ずしも「物理的空間」を意味しません。
精神の拠り所もまた、居場所に深く関わっています。
場所を失った人にとっての最大の辛さは、「住み慣れた場所で親しい人々の間で暮らすことを否定されること」(齋藤純一)なのです。

私にとっての「住み慣れた場所」は、わが家であり、そこを中心とした地域社会です。
幸いに、私はいまもその住居に娘たちと住んでいます。
これ以上の贅沢はいえたものではないでしょう。
私にとっては、とても暮らしやすく好きな住まいです。
しかし、節子がいなくなってから、そのお気に入りの住まいがどうも違うのです。
何かが欠けているのです。

最近、齋藤純一さんの「政治と複数性」という本を読みました。
「公共性」に関する本なのですが、私の生き方を振り返る意味でとても親しみの持てる本でした。
上述の、「住み慣れた場所で親しい人々の間で暮らすことを否定されること」という言葉は、その本で出会った言葉です。
その箇所を読んだ時、私もまた「場所を剥奪された」のではないかと感じました。
それ以来、ずっと気になっています。

今日、友人がやってきました。
彼の高齢の義母が骨折し、生活が不自由になってしまったのだそうです。
そのため、子どもの誰かが同居して世話するか、施設に入れるかで、子どもたちが話し合っているという話が出ました。
話しながら、何となく「場所なき人々」の話を思い出しました。
人は、歳をとり、いつか「居場所」を失うのでしょうか。

節子は、最後まで「住み慣れた場所で親しい人々の間で暮らすこと」ができました。
しかも、その住み慣れた場所の中心にいたのです。
私には、そのことがとてもうれしいです。
しかし、私自身には、それは果たせぬ夢になってしまいました。

愛する人のいない住み慣れた場所は、時に辛い場所にもなるのです。

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2009/02/25

■言説の政治と実体の行政

最近の政治は言説ごっこの様相を強めています。
言説を武器にするマスメディアに依存する政治になっているわけです。
劇場政治という言葉もありますが、派手な劇場演技だけではなく、実体ではなく言説が権力の所在を決めていきます。
そしてその権力を利用しながら、行政の実体が着々と、あるいは遅々と進められていくわけです。

政治は誰のためにあるのかは、そう簡単な話ではありません。
リンカーンを尊敬しているというオバマにとっての「人民」とはだれなのか気になりますが、政治は「人民」の部外者を生み出すことによって、求心力を高めてきました。
その「部外者」を見えなくするのが、言説の政治です。
「公務員改革」は言われだしてもう数十年ですが、実体はむしろ悪化しています。
「言説」と「実体」が反比例の関係にあることは、よくある話です。

政治家の発言を、その都度、取り上げていたら、それだけで政治は何もせずとも話題には事欠かず、いろんな議論が行われるでしょう。
しかし、そうした議論は、実体を覆い隠すだけで、何も変える力にはならないでしょう。
言説がにぎやかになればなるほど、行政は勝手気ままに動けるはずです。

年金の支給額の間違いが判明してもなお、支給実行しない行政官僚に何もできずに手をこまねいている政治家たちの言説とは一体何なのか。
怒りをぶちまけても何ができない言説だけのジャーナリズとは一体何なのか。

政治家の言葉の話題は、退屈でしかありません。
なにかもっと大切なものがあるのではないかと思いますが、自分の知の枠組みでしか事実は見えてこないのです。
事実をきちんと見せてくれるジャーナリズムがいなくなってしまったのでしょうか。
何も議論しない国会審議、何も報道しない報道番組には辟易します。
その背後で、行政は着実に税金を無駄遣いしながら、社会を壊しているような気がしてなりません。

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■節子への挽歌542:「死者を忘れてはいけない」

節子
今年のアカデミー賞で、『おくりびと』が外国語映画賞を受賞しました。
またつい先日には、直木賞では『悼む人』の受賞が話題になりました。
この世界には造詣の深い佐久間さんから、お話をお聞きしていたのですが、まだ観る気にも読む気にもなれずにいます。
とりあげるつもりはなかったのですが、いまこの時期に、この2つの作品が、これほど話題になるのは、もしかしたら何かのメッセージがあるのではないかという気がちょっとしてきました。

『おくりびと』の映像の一部を最初に見たのも、今から思えば衝撃的な事件でした。
1年ほど前に、箱根の合宿に参加した時のことです。
箱根は節子との思い出が多すぎて、会場のホテルに行くのがやっとでした。
でも、長年引き受けている仕事でしたので、休むわけにはいかなかったのです、
部屋に入って、節子のことを思いながら、無意識にテレビをつけました。
そうしたら、まさに「納棺」の場面が飛び込んできたのです。
映画の話は知っていたので、すぐわかったのですが、あわてて切りましたが、私にとっては衝撃的な出来事でした。
そのことがあったため、『おくりびと』という言葉を聞いただけで、実は心がどきどきしてしまうようになってしまいました。

『悼む人』に関しては、佐久間さんが雑誌に寄稿した感想を送ってきてくれました。
それを読んで、読めそうだと思いました。
佐久間さんは、自分が常日頃から考え続けていることがこの小説に書かれていると書いています。
それは、「死者を忘れてはいけない」ということだそうです。
そうであれば、読めるどころか、読みたい気もします。
しかし、この小説もまだ読めていません。
本の装丁に大きな抵抗があり、アマゾンでも申し込めなかったのです。
装丁が悪いといっているのではありません。
なぜかすごくリアルな感じが伝わりすぎて、ドキドキしてくるのです。
この本は部屋には置けそうもありません。

そんなわけで、私はどうも世間の動きについていけずにいます。
佐久間さんには、まだだめですかと笑われそうですが、だめなのです。
しかし、「死者を忘れてはいけない」という言葉は、私の心にずっと残っています。
私にとって、節子は忘れようもありませんが、それは節子がいまでも私にとっては「死者」ではないからです。
でもその一方で、節子に関して、「死者は忘れられていく」という悲しさも感じます。
とても矛盾しているのですが、それが正直な私の気持ちなのです。
「愛するひと」との別れは、なかなか乗り超えられないのです。

この2つの作品が話題になっていることは、私へのエールなのでしょうか。

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2009/02/24

■節子への挽歌541:白洲正子さんの十一面観音巡礼

節子
一昨日のETV特集は「もう一度会いたかった ~多田富雄、白洲正子の能を書く~」でした。
うっかり忘れてしまっており、最後の30分ほどしか見られませんでした。
それでも、多田さんの思いは伝わってきましたし、いろいろと考えさせられることがありました。
番組中、とても印象になる「言葉」がありました。
それをテーマに、昨日、挽歌を書こうと思っていたのですが、朝、目が覚めて、さて書こうと思ったら、その「言葉」が出てこないのです。
それで、昨日は違う話を書いたのですが、今日になっても思い出せません。
どうも最近は、記憶が危うくなってきています。
もしかしたら、昨日番組を見ていた時に、私もまた幽界を漂っていたのかもしれません。
そんな感じもする30分でした。

番組の最後は、多田さんの新作能「花供養」のダイジェストでした。
昨年12月に白州正子没後10年の節目に、一夜限りで上演された「花供養」は、多田さんは、死者である白洲正子さんに「再会」したいという願いを込めた作品だそうです。

白洲正子さんの名前は、私にとっては、実は節子とつながっているのです。
学生時代から愛読していた雑誌のひとつが、「芸術新潮」でした。
白洲さんは同誌に「十一面観音巡礼」を連載していました。
実は、それにまつわる私の記憶がかなりおかしいのです。
私には、時間が乱気流しているような気がしてなりません。

以前も書きましたが、私は奈良の佐保路が好きでしたが、その起点が法華寺でした。
そこの十一面観音が、私が十一面観音を意識した最初ですが、そこに行ったきっかけは白洲さんの連載記事だったように記憶しています。
そして行き着いたのが渡岸寺の十一面観音。その近くで育った節子。

私が十一面観音に魅せられだしたのは、白州さんのこの連載でした。
白洲さんの文章を読んでいると、観音像ではなく、観音が生きている世界が伝わってきます。
一緒に巡礼した気分になれるのです。
しかもそこには時間や空間を超えた物語が詰まっています。
十一面観音の始まりを知ったのも、若狭のお水送りを知ったのも、この連載でした。

と、実はずっと思い込んでいました。
いえ、いまもそう確信しているのです。
佐保路を節子と歩いた時にも、その話をした記憶があります。
ところが、白洲さんが芸術新潮に「十一面観音巡礼」を連載していたのは、後に出版された本によると、1974年になっています。
私の記憶とちょうど10年、差があるのです。
このことに気づいたのは、節子がいなくなってからです。
ですから佐保路での会話は確認のしようがありません。
どうでもいいような話なのですが、私にとっては実に不思議な話で、もしかしたらそこだけ時間がひずんでいるのではないかと思えてなりません。

多田さんは「花供養」で白洲さんに「再会」したでしょう。
とてもうらやましいです。
私はどうしたら節子に「再会」できるでしょうか。
十一面観音巡礼と白洲正子さんが創りだす時空間のひずみがもう一度発生して、どこかでまた「生身」の節子と会えないものでしょうか。
今度、花屋さんで白椿を見つけたら、それをわが家の大日如来に供えて、時空間のひずみを念じてみようと思っています。
白洲正子さんは、白椿の精といわれているそうですので。

ちなみに、節子と出会ってから法華寺の十一面観音には一度しかお会いしていません。
節子と一緒に行ったはずですが、その記憶も全くありません。
これも私には不思議なことなのです。

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2009/02/23

■節子への挽歌540:リモージュでの節子

昨日書いた雑誌「ミセス」には、論文の紹介に併せて、
浜美枝さんの「ローマ、パリ、リモージュ、テーブルセッティング体験旅行」という記事が掲載されていました。
改めて読んでみました。
文中には、同行した受賞者の発言も紹介されていますが、浜さんらしく、全員を少しずつ登場させています。

節子の言葉は、あんまり知性を感じさせませんが、こんな内容です。
テーブルセッティングに用意されたキャンドルを見て、
「紺色のキャンドルなんて、ブルーの灯がともりそう」
また講習会の感想を言い合っている時に、「みんな雰囲気を楽しんでいるのね。ミラノの、フルコースで料理が24種類も出てきたレストランの食事が楽しかったこと、店中にユーモアがあふれて・・・」と同行の杉山さんと話しているのが紹介されています。
いずれもいかにも節子らしい発言です。
写真も何枚か掲載されています。
20年ほど前ですから、みんなまだ若いです。
朝市で、みんなが露店で買い物をしている写真もありました。
節子が、たぶん一番好きな時間だったでしょう。

浜さんの記事から想像するに、このツアーはかなり贅沢な旅行だったようです。
記事には、リモージュのレイノー家に招待されての昼食の様子が書かれていますが、そういえば、節子はレイノー家のご夫妻からのお土産といって、リモージュ焼きのお皿をもらってきたのを思い出しました。
わが家のどこかにあるはずです。とてもきれいな小皿でした。

この旅行は、節子にとっては非日常的な旅行だったのだろうと思います。
私たちは、個人的にはいつも質素な旅行でしたから。
その旅行の話をあまりシェアしなかったことは、いまさら後悔しても仕方がありませんが、夫婦といえども別々の体験の喜びはなかなかシェアできないものです。
むしろ一緒に旅行したみなさんのほうが、私よりもシェアしていることは間違いありません。
昨年の節子の一周期には、みなさんがわが家まで来てくれましたが、その気持ちが浜さんの文章を読んでいて、少しわかったような気がしました。

浜さんは、以前、箱根でレストランを開いていました。
節子は何回か友だちと行っていますが、私は残念ながら体験できませんでした。
一度、思い立って急に節子と箱根に行ったときに、レストランまでは行ったのですが、予約していなかったのでだめでした。
あの時、もし節子と食事をしていたら、もっともっとこのヨーロッパの旅の話を聞けたかもしれません。

夫婦は、お互いにすべてを知っているようで、知らないことがたくさんあるものです。
雑誌に載っている節子の写真をみながら、節子と喜怒哀楽を共有しだしたのは、もしかしたら私が会社を辞めてからだったかもしれないと思いました。

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■日本の政治にデモクラシーはあるのか

デモクラシーをどう定義するかは、そう自明のことではありませんが、私は「多様な意見が社会を豊かにしていく社会原理」と考えています。
リンカーンの「人民の、人民による、人民のための政治」がよく引き出されますが、そのアメリカ政府は、アメリカンネイティブを「人民」と考えずに殺戮していました。
そのアメリカで、黒人の大統領が出現したことの意味は、私自身まだうまく理解できずにいますが、まあ、話をもう少し限定して、日本の政治状況に関していっても、政府が「国民」をどう考えているのかは、関心のあるところです。

今の日本政府は麻生首相に乗っ取られてしまっています。
官僚による傀儡政権としても、個人が乗っ取ってしまうことができる政治体制はどこかに欠陥があります。
政府与党の自民党が選挙タレント集団に成り下がっていなければ、あるいは、ジャーナリズムが大政翼賛会的な存在になっていなければ、どうにかなったのかもしれませんが、今はもう麻生首相は好き勝手をやっていますが、誰も止められません。
どれほどの税金が浪費されるか知れたものではないですし、領土まで外国にあげてしまうことだって、ありえるところがすごいです。
自民党議員が麻生批判をしていますが、批判ではなく行動すれば事態は変わるでしょうが、そうはなりません。
現在の自民党議員は、みんな「小麻生」でしかありません。

デモクラシーは自己修正的過程を内在させているシステムです。
多様な意見による議論で意見が変わっていきます。
同じ意見の人だけではデモクラシーは意味を持ちません。
多様な意見の討議にこそ、社会の豊かさを高める鍵があるというのが、デモクラシーの価値です。
合意形成のための手段ではなく、討議を通して多様性が役割分担しながら社会を豊かにしていきます。
多数決による意思決定は、デモクラシーにとっては瑣末な話です。
ですから、ねじれ国会は価値のあることなのです。
それを否定的に評価するのはファシズム思考につながる発想です。
三分の二条項による再可決もまた、ファシズム思考にほかなりません。
多数派の支配は、「人民」の内部社会でさえ「人民のため」には値しないでしょう。

政治学者の齋藤純一さんは、自己修正機能が作動するデモクラシーの要件として、「非排除性」と「特権化の禁止」をあげています。
アメリカンネイティブを排除したところには、デモクラシーは成り立ちません。
他者のことを考えずに自己を守れる特権者が存在する状況もまた、デモクラシーとしては欠陥があります。

現在の日本はどうでしょうか。
「非排除性」「特権化の禁止」、いずれも成立していません。
ヨーロッパと違い、日本やアメリカでは、「社会的排除」はあまり大きな問題にはなりませんし、特権化にいたっては、麻生首相に象徴されているように、暴走を止める仕組みはありません。
暴走を止める人もいません。同じ体質で発想しているからです。
日本郵政事件や公務員の不正事件、あるいは企業不祥事など、日本のこの数年の動きは、「非排除性」「特権化の禁止」とは逆ベクトルで動いてきました。
つまりデモクラシーを壊してきたのです。
ブラックボックスの中での民営化とか新自由主義とは、そういうことでしょう。

日本人がワーカーホリック的なライフスタイルになり、女性までもが「社会進出」の心地よいスローガンで企業に駆り出されたことで、政治への関心を失い、その一方で政治が一部の人たちに世襲的に独占されてきたのは、それを構想した意思がどこかにあったのではないか、と思いたくなるほど、整合性が取れています。
会社を辞めて以来、テレビで国会中継を見る時間ができましたが、私の周りの人たちは、政治をきちんと監視することはなく、マスコミの情報で床屋談義をする程度です。
まあ、私もそれに近いのですが、これではデモクラシーなどは夢のまた夢です。

ハーバーマスは、正義を目指す政治文化と善を目指す生活文化を区別していますが、せめて生活文化においては「自らが善いと思うこと」を大事にして、汗をかいていかねばいけないと、最近改めて痛感しだしています。


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2009/02/22

■節子への挽歌539:「あなたのためのディナー」の日

海外旅行編をもう一度だけ書きます。
節子は、私とは別にちょっと贅沢なヨーロッパ旅行をしたことがあります。
しかし、これもまた懸賞論文のおかげなのです。
ハワイの旅行がとても良かったのか、今度はハウス食品の懸賞論文に投稿したのです。
それもなぜか入選し、5人の入選者がヨーロッパの食文化旅行に招待されたのです。
入選者の他に、浜美枝さんが同行されました。
このときの入選者たちとは、その後もお付き合いがあり、節子の一周忌にもみんなでわが家まで来てくれました。
この挽歌にも何回か登場しています。

それを改めてまた書いたのは、その時の節子の作品が掲載された雑誌が出てきたからです。
「ミセス」の昭和58年11月号です。
ホームページの方に掲載しました。
よかったら読んでください。
次をクリックするとでてきます。
「あなたのためのディナーの日」
私も完成品をきちんと読むのは今回が初めてかもしれません。
わが家が一番賑やかだった頃の話です。
当時はたぶんまだ私は勤めていた会社の仕事にのめりこんでいて、終電車に乗り遅れて深夜に帰宅したりしていたこともあった頃です。
いろいろと思うことがありすぎて、何も書けませんが。
節子のあたたかさが思い出されて、感傷に浸ってしまいそうです。
節子への感謝の気持ちが改めて強くなりました。

その時の旅行で、節子が一番気に行ったところが、どうやらフィレンツェです。
残念ながら私はフィレンツェに行ったことがないのですが、節子はその後、フィレンツェの油絵を描きました。
それがわが家の玄関を今も飾っているのです。

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■生産とは価値を創ることではなく、儲けを増やすことでしょうか

昨日、NHKの「週間こどもニュース」を見ました。
時々、見るのですが、昨日は冒頭に「GDP」の説明がありました。
その説明のしかたがちょっと気になりました。
子どもたち(役)にお父さん(役)が説明するというかたちなのですが、お父さんは働いた成果を「儲け」と言う表現をし、その「儲け」の合計が「GDP」だと説明しました。
「売り上げ」と「儲け」を混同しているのが気になったわけです。

以前、「オープンブック・マネジメント」という本を翻訳したことがありますが、そこに「会社の従業員は売り上げと利益を混同し、売り上げの割には給料が安いと思いがちだから、会社のお金の動きをみんなに公開するのがいい」というような話があったのを思い出しました。
「GDP」の計算方法を、私は知りませんが、生産高と売上高、利益高は全く別のものです。

数日前にやはりテレビのニュースで、大田区の中小企業の経営者が、せっかく製造した機械部品が売れなくて在庫になっている山の前で、売れれば商品だが売れなければただのゴミ、と嘆いていました。
これは実に象徴的な話です。

セブンイレブン本部が、売れ残りそうになった弁当を値下げして売ろうとした加盟店の行為をやめさせたことが不正取引行為ではないかと問題にされています。
売れ残れば廃棄されますが、安くても売れればゴミにはなりません。
食べ物をゴミにするのは良くないとキャスターは話していました。

働いた成果は「儲け」ではなく、「価値」と考えたいですね。
その「価値」をむざむざゴミにはしたくない。
そうした経済原理が、昨今は極めておろそかになっています。
その出発点が、子どもたちへの教育になるような気がしてなりません。
私たちも、そう育てられてきたのでしょうか。

まだものが不足していた時代には、モノへの感謝の気持ちがありました。
「いただきます」「ごちそうさま」の経済が基本でした。
しかし、今はゴミを増やすことが経済を活性化するような時代になってしまいました。
生産とは価値を創ることではなく、儲けを増やすことなのです。
ゴミを増やすことで儲けは増えていきます。
それが今の経済の基本構造になってしまったような気がします。

以前、「儲け型経済から稼ぎ型経済へ」のことを書いたことがあります。
そこに「暮らし型経済」のことも書きましたが、できたらその記事を読んでもらえるとうれしいです。
ちなみに、わが家の数少ない自慢は、「暮らし型経済」を目指していることです。
これは、今は亡き妻の残してくれた文化です。

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2009/02/21

■節子への挽歌538:エジプト家族旅行

海外旅行編の2回目です。
私は47歳で会社を辞めました。
会社生活は面白かったのですが、会社のあり方にいささかの疑問を感じていたのです。
そして当時も私の生活信条だった「自分に正直に、自分らしい生き方」を目指して、辞めてしまいました。
ところが、早期退職制度が適用されたため、予想以上に退職金をもらえました。
わが家にはそれまで縁のなかったまとまったお金が入ってきました。
そこで決行されたのが、エジプト家族旅行です。
家族の迷惑など一切考えずに、私が決めてしまいました。
みんなとても迷惑したようで、後々まで娘からは非難され続けています。
無理やり会社を1週間以上休ませてしまったからです。

しかしエジプト旅行はいい旅でした。
そのガイド役がホームページ(CWSコモンズ)に時々出てくる中野正道さんです。
中野さんの案内はとても楽しいもので、遺跡には興味のない節子も楽しんでいました。
いつかもう一度エジプトに一緒に行こうという、節子との約束は実現できませんでしたが。

エジプト旅行で知り合った人に金沢の八田さんご夫妻がいました。
帰国後、節子と2人で金沢まで会いに行きました。
旅行で知り合った人との付き合いも、節子が好きなことの一つでした。
しかし、その八田さんたちももう彼岸に行ってしまいました。
節子と再会していることでしょう。

旅行中、娘たちが一緒だったにも関わらず、2回、夫婦喧嘩をしてしまいました。
その頃は、まだ私は自分本位のわがままな自信家だったのです。
私が今のように、少しだけ周りの世界が見えるようになったのは、会社を辞めてから節子と過ごす時間が増えたおかげです。

寝室にスフィンクスを後ろにして撮った家族の写真があります。
その頃の節子は、まだぽっちゃりと太っていました。
それにまだ幼ささえ残っています。
もしかしたら、節子が苦労しだしたのは、その後、つまり私が会社を辞めて自由気儘な生活に節子を引きずりこんでからかもしれません。
写真を見ていると、当時のことが思い出されてきます。
古代エジプトといえば、蘇生信仰の文化です。
オリシスのように、節子も蘇生してこないものでしょうか。

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■リバースレバレッジ政策

オバマ米大統領は、公的資金約7兆円を活用して住宅ローンの借り手を支援することを検討しているようです。
日本の経済対策と違い、極めて納得できる方策です。
そもそも、現在の世界不況の発祥はアメリカの住宅ローン問題でした。
私が共感できるのは、問題の構造を踏まえた現場支援政策だからです。
そういえば、今週来日したヒラリー・クリントンは、現場に耳を傾ける姿勢を強くメッセージしていました。
日本の政治家にはこうした姿勢はほとんど感じられません。

そのニュースを聞きながら、思いついたのが「レバレッジ効果の逆転」です。
この数日、考えるでもなく考えていたのですが、いい言葉もいいアイデアも見つからないので、イメージだけを書くことにしました。
「リバースレバレッジ政策」などという、消化不良な言葉しか思い浮かびませんが。

レバレッジ効果とは、要するに「てこの原理」で、わずかな資金で大きな利益を上げるために使われる仕組みなどの説明に使われます。
有名になったのは、FX取引ですが、これはいうまでもなく、わずかな資金で大きな損失を生み出す仕掛けでもあるわけです。
レバレッジ効果そのものが悪いわけではありませんが、昨今のバブル経済は、こうしたレバレッジ効果を使いすぎて、実体経済を壊しだしているわけです。

レバレッジが作動するためには、最初に加える力がなければいけません。
その最初の力と結末に関して最近意識化されたのが、レバレッジ効果とバタフライ現象です。
この二つを軸にして、経済現象や経済政策を考えると実に面白い世界が広がるわけですが、その大元に注目し、発想を逆転させることはあまり行われていないように思います。
いわゆる逆システム発想ですが、オバマのスピーチを聴いて、その発想を感じたのです。
多くの経済対策は現象に対する処方です。それが「票」になるからです。
そのため、発想の起点が現場ではなく、サプライサイド(銀行などの制度運用者)に置かれ
ます。
貧困者支援であれば、直接、貧困者に届ける方策を起点に考えますが、そうではないので、一番の貧困者であるホームレスには届かなくなるわけです。
しかし、そもそもの根本から問題を発想し、そこからレバレッジの逆発想をすれば、必要経費はケタ違いに少なくすむでしょう。
その代わり、中間に入る人たちの利益には役立ちませんが。

日本の経済政策の多くは、支援予算が現場の当事者に届く頃には大幅に減少してしまっています。
その反面、景気対策で過剰に潤う人が出てくるわけです。
オバマの住宅ローン借り手支援が、具体的にどう行われるのかはわかりませんが、仮にローン返済を3年間無償延期するというようなことにすれば、資金のほとんどは直接的に効果を発揮します。
そのための間接コストはほとんどかかりません。

レバレッジ効果の前の段階で問題解決するか、後の段階で問題解決するかで、必要な資金は大きく違ってきます。
さらに、救済資金の効果をレバレッジの仕組みで大きくパワーアップしたら、現在のような巨額な資金など投入せずとも問題は収束できるはずです。
金融工学の専門家たちなら、そのくらいのことは朝飯前のことではないでしょうか。
発想を変えれば、金融工学者も社会に少しは役立てるはずだと思います。
どなたかいかがでしょうか。
そろそろお金の側ではなく、人間の側での金融工学に戻ってほしいものです。

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2009/02/20

■小泉発言は理にかなっていないのか

「三分の二」条項を使う場合は決議に欠席するという小泉発言が「理にかなっていない」という意見があります。
昨夜、ニュース23を見ていたら、キャスターの後藤さんまでがそう明言しました。
驚きました。
本当に理にかなっていないのでしょうか。

このブログで私は小泉元首相を犯罪者扱いするほど酷評しており、顔を見ただけで寒気が襲ってくるほど嫌いです。
八方美人の私がそれほど嫌うことはそうは多くないのですが、それほど嫌いな小泉元首相の発言であっても、この発言は理にかなっているように思います。
むしろ問題は、こうしたことを理にかなっていないと思う発想に恐ろしさを感じます。

小泉元首相(「小泉さん」と書くのに大きな抵抗があるので、常にこう書きます)は、補正予算案に賛成しました。
しかし、その案が参議院で反対されたとしたら、そこで考えが変わることはおかしな話ではありません。
誰がなんといおうと意見を変えないというのであれば、議論する必要はありません。
賛成したものが、他の場で反対を受ければ、それを踏まえて再考するところに議論の意味があります。
ニュース23の後藤さんは、再議決の意味を理解していません。
さらに民主主義の要素をこめた政治とは参加者の多様性を統合する仕組みです。
ねじれ国家の意義も、そこにこそあるわけです。
概して否定的に扱われますが、ねじれ国会は議会制度の中では正常な形なのだと思います。

参議院が反対しているのであれば、もう一度自分たちも考え直してみよう。
歩み寄る、つまり合意形成に努めよう、というのがなぜ理にかなわないのか。
それをせずに、ただ機械的に三分の二条項で、原案を可決しよう。
こういう発想こそが問題ではないかと思います。

政治を「勝ち負けの単純な構図」にしてしまったのは、レーガン以来の新自由主義信奉の政治屋たちです。
そして小泉元首相は、郵政民営化という問題で、それを真似て人気者になったわけですが、それが日本の政治を壊してしまいました。
しかし、今回の欠席発言は「理にかなっている」のではないかと思います。
自民党議員が、理にかなっていないというのはいいですが、ニュースキャスターまでがそういうようでは、マスコミがいかに権力の番犬(本来のマスコミは権力に対する番犬でしたが)に成り下がってしまったかです。
私には、ニュース23は見る価値がない番組になってしまいました。

蛇足ですが、この発言からの妄想を書き加えます。
小泉元首相はレーガンのように、利用されただけでしょうから(日本の軍国化と郵政関連資金の市場放出の目的遂行のためです)、彼を操るブレーンが周辺にいたはずです。
今回ももちろんいるのでしょうが、少しだけ人間的な常識(「理」)が感じられるのは、その管理の縛りがゆるくなったのかもしれないと思います。
それが、「理にかなう発言」になったのかもしれません。
しかし、そこからまさに「消費物としての政治家」という姿が見えてきます。

さらに、「日本の国会の本質」という姿も見えてきます。
小泉元首相は、俺の人気で三分の二体制をつくったのだから、俺の意向に反して勝手に三分の二条項を使うな、という「国会私物化」を別の発言であからさまに言っています。
官僚の傀儡政権に与えられたおもちゃが、もしかしたら国会なのかもしれません。
民主党もまた、そうしたおもちゃの装置で、馬鹿げた質問を繰り返しています。

しかしまあ、そうした「理にかなわない言動」こそが、彼らにとっては「利にかなう言動」なのでしょう。
国民にとっては、理にも利にもかなわないのが、残念です。

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■節子への挽歌537:ハワイのキラウェア火山

海外旅行の話が出たので、テーマを少しそれに移します。
あまり行けませんでしたが、節子は海外旅行が好きでした。
私たちが最初に海外に旅行したのはハワイでした。
しかし新婚旅行でも個人旅行でもありませんでした。
何しろ私たち夫婦はお金にはあまり縁がなかったので、個人で海外などという発想がなかったのです。
にもかかわらず、なぜハワイに夫婦そろって旅行できたのか。
これは以前書いたような気もしますが、懸賞論文のおかげなのです。
日経サイエンスという雑誌で、科学技術に関するエッセーの募集がありました。
半分冗談で、出してみないかと誘ったのです。
節子は新聞への投書が好きでしたので、2人でそれぞれ出そうということになりました。
私は当時それなりに科学技術には関心がありましたので、すぐに書き上げましたが、科学技術など全く無縁の節子は数日かけて書き上げました。
お互いに読みあって、コメントしましたが、
節子のは中学生の作文のようなので、まあ入選するはずがないと思っていました。

数日後、雑誌の編集部から会社に電話がありました。
私への入選の知らせです。
節子も応募していたことも忘れて、自慢の電話を節子に入れました。
なんと節子にも入選の電話があったというのです。
しかも私よりも早く。
ちなみに、事務局はまさか私たちが夫婦だとは気づかなかったのだそうです。

そのご褒美がハワイにキラウェア火山を見に行くツアーだったのです。
10人のツアーでした。
私たち夫婦は例外的な存在でした。
ほかはみんなそれぞれ専門を持ったエンジニアでしたから。
メンバーで一番若かったのが、まだ高校生だった茂木健一郎さんでした。
最年長だったのが、杉本泰治さんです。
杉本さんは、節子の訃報を聞いて、すぐさまわが家まで来てくれました。

キラウェア火山のボルケーノハウスで宿泊しましたが、その夜、同行の中村東大教授のレクチャーがありました。とても豊かな旅でした。
最終日に観光があり、ポリネシアンセンターに行ったら、そこでぱったりと私の大学の同級生家族に会ったという思い出もあります。

まあこれが節子との海外旅行の始まりでした。
その時の溶岩のかけら(たしか「ペレの涙」と言いました)が、どこかに残っているはずです。
いつかその時の記録をきちんと整理しようといいながら、どこかに詰め込んだままです。
そういう点は、私も節子も似ていました

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■「自分に正直に、自分らしくあるように」

来日したヒラリー・クリントンが東大の学生たちとの話し合いの中で語った言葉が印象に残りました。
「どうしたらあなたのように強くなれますか」という女子学生に応えて、「自分に正直に、自分らしくあるように」と返し、会場を沸かせたというのです。
私もテレビで、そのシーンを見ました。

「自分に正直に、自分らしくあるように」
正直に生きていれば、たしかに「こわいもの」はなく、強くなれます。
自分らしくあることに価値を置けば、だれから誹謗中傷されても気になりません。
しかし、これは簡単なことではありません。
私も、こうした生き方に心がけていますが、満足できるものではありません。

さて、そこから話がややこしくなるのですが、
麻生首相や中川前財務省は、「自分に正直に、自分らしくあるように」しているような気がします。
その点では、私などよりもよほど根性が入っているようにも思います。

「自分に正直に、自分らしくあるように」という、私の生き方は間違っていたかもしれないと、最近、ちょっと気になりだしています。
自分には見えないのかもしれませんが、私の生き方も、外から見たら、麻生さんや中川さんのように見えるのかもしれません。
なんだかゾッとします。

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2009/02/19

■節子への挽歌536:ロッキー山脈と三陸海岸

節子とは何回か海外旅行に行きました。
しかし、行き先はいつも私の好みで決めましたので、地中海の遺跡周りばかりでした。
エジプト、ギリシア、トルコ、イラン。
残念ながらそこでストップでしたが。

節子は、遺跡周りはそんなに好きではありませんでした。
崩れ落ちた廃墟を見て、何が楽しいのという感じでした。
私には廃墟から歴史の声が聞こえてくるのですが、節子はみんな同じ茶色のレンガよ、というのです。
たしかに、そういわれるとそうかもしれません。

節子もそれなりに楽しんではいましたが、本当はカナディアンロッキーやナイアガラのような、壮大な自然が、節子の好みだったのです。
地中海をひとわたり回ったら今度は私が付き合うよ、と節子には言っていましたが、結局、付き合うことはできませんでした。

病気になってから、三陸海岸に行こうと節子が行ったことがありますが、その時、なぜか私は行く気がしませんでした。
もちろん節子の体調もあったのですが、その旅行は実現できませんでした。
私はまた行けると思っていたのですが、節子はもしかしたら今行かないともう行けないと予感していたのかもしれません。
なんであの時行ってくれなかったのと節子から後で言われました。
しかしその言葉は私への恨みではありません。
修にはいろんなところに連れて行ってもらったというのが、病気になってからの節子の口癖でした。
本当は、私が連れて行ったのではなく、節子が私を連れて行ってくれたのですが。

連れて行く、連れられて行く。
今から思うと、私たちにとっては、それは同じことでした。
しかし、節子がいなくなってから1年半、私はどこにも旅行しなくなってしまいました。
次の旅行は、もしかしたら節子のいる彼岸かもしれません。
彼岸に行ったら、今度こそ節子に付き合って、ロッキー山脈とナイアガラ、そして三陸海岸に行こうと思います。

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■政権担当能力とは何なのか

つい半年前まで、多くの人たちは自民党には政権担当能力があるが、民主党にはそれがないと思っていました。
新聞論調もそうでしたし、政治評論家の多くもそういう世論に異論を唱えませんでした。
民主党議員は、それに対してどう思っていたかわかりませんが、もしかしたら民主党議員もそう思っているのではないかと思うほど、そうした世論への反論はおとなしかったように思います。
このブログでも書いたことがありますが、政権与党の政権執行力と政権担当能力とは全く違うものですが、多くの政治評論家は世論のそうした混同に異を唱えることなく、世論の大きな流れに乗っていたように思います。

国会中継を何回か見ていれば、どちらに政権担当能力があるかは見えてきます。
多くの人たちは、マスコミによって編集された情報にしか触れていませんから、政治評論家の発言にはいとも簡単に誘導されます。
政治におけるポピュリズムは小泉ブームに見るように情報技術を駆使して、いまや操作可能性を高めています。

官僚の支援を受ければ、政権能力などなくても、国家運営は可能です。
自民党は、行政官僚に支援されて、自らの政権担当能力を向上させる努力をしなくてもやっていける体制をつくりあげてきたのかもしれません。
自民党政府は官僚の傀儡政権なのはないか。
ですから公務員改革などできるわけでなく、渡りなどは禁じられません。
彼らがいなければ、政権能力がないことを暴露されるからです。
そうして毎年12兆円を超える税金を官僚OBに貢がざるを得ないのです。

とまあ、これは私の妄想物語です。
しかし、何がしかのリアリティを感じてしまうのが残念なところです。

最近のわが国の政治は、まさにバラエティになってきてしまいました。
私たちも振り回されないようにしなければいけません。

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2009/02/18

■節子への挽歌535:吉野家の牛丼

昨日に続いて、節子の希望をかなえてやらなかったことシリーズの2回目です。

節子は吉野家の牛丼を食べたいといっていましたが、ついに食べることができませんでした。
1回ならず、何回か吉野家の牛丼を食べてみたいといっていましたので、本当に食べたかったにちがいありません。
食べたらたぶんいろいろ酷評しただろうと思いますが、
今となっては、一度、食べに行けばよかったと悔いています。

わが家はみんな「グルメ」ではありませんが、それなりに料理にはうるさいのです。
よく言えば、主張があるということでしょうか。
悪く言えば、感謝の気持ちが薄いのかもしれません。
特に、節子はうるさいタイプでした。
自分の料理の腕は棚に上げて、いろいろと論評が好きでした。
ですから、有名なお店に行っても、わが家の家族はほとんどの場合、満足しません。
まあ、あんまり高いお店に行ったことがないからかもしれませんが、グルメ評判のお店も見掛け倒しのことが多いというのがわが家族の共通の意見と言っていいかもしれません。
吉野家の牛丼を食べに行きたいなどと言うのでは、味覚も危ないものだなどと思われそうですが、まあそうかもしれません。
しかし、食材に関する味覚はそれなりにしっかりしていると、みんな自負しています。
もちろん私もです。
それもまた節子の影響です。

牛丼ではないのですが、節子はすき焼きが好きでした。
結婚する前に節子の実家に挨拶に行った日の夕食はすき焼きでした。
今でも覚えていますが、飲み物はビールに加えて、コーラが用意されていました。
当時、私がコーラ好きだったことを節子は実家に伝えていて、両親がわざわざ用意してくれていたのです。
たぶん節子の実家がコーラを買ったのは、それが最初で最後だったかもしれません。
節子は両親から、コーラは歯を溶かすから飲まさないようにいわれていたそうです。
そのせいかどうか、コーラばかり飲んでいた私は、その後、コーラをやめました。
おかげで、歯は今でも溶けていません。

何だか、また無意味なことを書いてしまっていますが、吉野家のことでわかるように、節子はその時々の話題は体験しようというタイプだったのです。
東京の八重洲のミレナリオにもつき合わされましたし、新装した丸ビルにもつき合わされました。
私も好奇心が旺盛だと思っていますが、節子のそれに比べれば、底が浅いです。
なにしろ私のは知的な好奇心で、節子にいわせれば、頭だけで実がないからです。
そういう、時に辛らつなアドバイスをしてくれる節子がいないのが、とてもさびしいです。
最近、読書をするようになりましたが、実際に話題の現場にいくことがなくなりました。
やはり節子は私の世界を大きく広げてくれていたのです。

吉野家の話が、全く別の話になってしまいました。
ちなみに、最近、わが家ではすき焼きが少ないです。

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■経済成長とは何なのか

日本経済は「戦後最大の危機」なのだそうです。
昨年の10~12月期の実質国内総生産(速報値)が年率換算で前期比12.7%減となったことがマスコミで大きく取り上げられています。
そんな時にこんなことをいうのは不謹慎なのですが、わが家はその「戦後最大の危機」がどうも実感できずにいます。
お金離れの生活が少し定着してきているからかもしれません。

不況になった最大の理由は輸出の減少だそうです。
とりわけ自動車の輸出減の影響は大きいようですが、そもそも輸出に過大に依存している経済の構造自体がおかしかったわけで、それがようやく正常化に向かいだすことになったと思えば、歓迎すべきことかもしれません。
それに、円高不況などと言うことは、私にはどう考えても理解できません。
円高とは、日本の経済が高く評価されたことだろうと、素人の私は思ってしまうのです。

いやそれ以上に、国内総生産などという概念がわかりません。
実は一昨日、娘から改めて国内総生産って何だと訊かれたのですが、経済用語辞典的な説明をしている自分に気づいて、嫌気がさしました。
どこかに書いたことがありますが、自分で家事をやれば国内総生産には反映されず、家事サービスを外注すると国内総生産に反映するなどという馬鹿げた数字は、経済学者や資本家には意味があるかもしれませんが、私のような生活者にはどうでもいい話です。
国内総生産コンプレックスから抜け出ないといけません。

問題は雇用の場が急速に縮小していることですが、実際に仕事をしないと生活が成り立たない人にとっては、それは大きな問題です。
でも、それを国内総生産などという数字で議論してほしくないものです。
国内総生産など増えなくとも、限られたお金をうまく活かしながらお互いに支え合う仕組みを育てていけば、国内総生産などという、わけのわからない数字に振り回されることはなくなります。

かなりめちゃくちゃなことを書いていて、いま仕事がなくなった人に怒られそうですが、私が言いたいのは、今の経済の仕組みや私たちの働き方や生き方を、改めて見直していく必要があるのではないかということです。
経済学者の言葉ではなく、生活の言葉で、発想していくことが、今こそ求められているように思います。
国内総生産には寄与しないかもしれませんが、生きていく上では支えになる仕事は多分たくさんあるはずです。
一昨日紹介した朝日新聞の投書の記事は、そのことを物語っています。

ちなみに、和歌山県の話は、コメントくださった人にお伝えすることができました。

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2009/02/17

■節子への挽歌534:実現できなかった節子の座卓

昨日、近くの材木屋さんの前を通ったら材木置き場がきれいに整理され、何もなくなっていました。ご主人はご高齢ですから、廃業するのかもしれません。
この材木屋さんにも、節子の思い出がひとつあります。

わが家を新築した時、節子は自然木でできた素朴な座卓をリビングにほしがっていました。
座卓というと、たとえば屋久杉でできた加工された座卓などをイメージしますが、節子がほしがっていたのはそうではなくて、大きな自然の材木の1枚ものに、ただ素朴な脚がついたものでした。
節子は、私と一緒で、コテコテした人工的な装飾や細工は好きではないのです。
しかし平板な機能的なものも好きではなく(ここが私と少し違います)、自然が自然に作りこんだ個性的な表情が大好きでした。
お金を出せばそういうものも買えたのですが、新築当初、わが家にはお金がありませんでしたので、あまり高価なものは手が出ませんでした。
限られた予算ではいいものはなく、予算を超えてもほしくなるようなものには出合えませんでした。
私と節子の意見が少し違っていたことにも一因がありました。
希望する大きさが違っていたのです。
お互いの好みの違いを言い合うことも、私たち夫婦の楽しみの一つでした。

なかなか見つからないので、手づくり好きのわが家では、1万円の加工木板を買ってきて、ニスを塗って脚をつけて当座をしのぐことにしました。
そのうち、節子の病気が発見されてしまい、座卓どころではなくなりました。
もし私がもっと節子思いだったら、節子好みの座卓を探して節子にプレゼントしたでしょうが、私はそういうのが全く不得手なのです。

節子は少し元気を回復し、散歩を一人で出来るようになってから、その材木屋さんの入り口においてあった1枚板を見つけました。
それを使って座卓にしてもらったらどうかと思ったのでしょう。
ある時、私もそれに気づき見てみたら、そこに「予約済み」と書いてありました。
節子に1枚板を見つけたけれど、もう予約されていたよと話すと、その予約は私かもしれないというのです。
座卓にできるかどうかを木材屋のご主人と雑談したのだそうですが、きっと節子がほしそうだったのでご主人が予約として確保してくれていたのです。
もっとも節子にとっては、十分に満足できるものではなかったようで、結局、その板はわが家には来ませんでした。
ですから、わが家にはまだ座卓はなく、1万円の手づくりの退屈な座卓しかないのです。

そんなことを思い出したら、節子の希望をかなえてやらなかったことがまだまだいろいろとあることに気づきました。
しばらくそんな話を書こうかと思います。

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■壁と卵、あるいは批判する勇気

イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞を受賞した村上春樹さんが授賞式の記念講演でガザ攻撃を批判したことが話題になっています。
私もテレビでちょっとだけ見ました。
村上さんはイスラエルによるガザ攻撃に触れ、体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」と強調し、軍事力に訴えるやり方を批判しました。
そのスピーチを見て、イスラエルで音楽賞を受賞したバレンボイムの受賞のスピーチの映像を思い出しました。
批判する勇気、信念を行動する勇気に感動しました。
拒否や無視からは何も始まりません。
チャンスは最大限に活かすべきですが、日本人はともするとゼロか100か、つまり受賞拒否か翼賛スピーチで対応しがちです。
村上春樹さんの作品は、評判が高いという、ただそれだけの理由で、私は1冊も読んでいませんが、読むことにしました。

村上春樹さんは、こうも述べています。

「壁は私たちを守ってくれると思われるが、私たちを殺し、また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる。」
イスラエルが建設しているパレスチナとの分離壁の建設を指しているのでしょうが、もっと多くの示唆を含んでいるように思います。
たとえば、私たちの周りにもたくさんの壁がありますが、それは私たちを守ってくれているわけではありません。
人を守るのは人でしかありません。壁では人は守れません。

村上さんは、全世界に発信されるというスピーチの場を最大限に活かしました。
ちょうど同じ日、テレビで世界中に話題を発信した人がいます。
中川財務大臣です。
テレビでの情報発信が、どれほど大きいものか。
中川さんの事件も、そのことを教えてくれています。
テレビに登場できる人には、たくさんの手段があることを示してくれています。
もっとその手段を効果的に活かしてほしいと思います。


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2009/02/16

■新しき村への期待

このブログに、過疎地には仕事が山積みですと書いたら、それをよんでくれたひとがコメントをかいて質問してました。

和歌山のあるまちについて詳細を知りたいです。
自然な営みに近い生活スタイルと家族移住を考えています。
ちょうど、2日前の朝日新聞の投書欄に、「職住困ったら,田舎においで」という投稿がありました。兵庫県の74歳のお年寄りの投稿です。
著作権などがあるのかもしれませんが、とても共感できる文章であり、できるだけ多くの人に読んでほしいので、少しだけ省略しましたが、ほぼ全文を引用させてもらいます。
100年に一度の不況で都会では職を失い、路頭に迷っている人が多いようです。この際、地方から出てきた人は、いったん田舎に帰ってはどうでしょうか。田舎の出身でない人でもいい。私の住んでいる周りには空き家や遊んでいる田畑はいくらでもあります。
 帰る家のない人はそこで寝泊まりし、米や野菜を作ります。栽培方法は老人たちが教えてくれます。食と住は確保されます。すぐ農産物から収入は得られませんが、集荷を手伝う道もあります。
 景気がよくなれば都会に戻ればいいし、農業が好きになれば、住み続けるのもいいでしょう。
一時的でも生活する場所を得ることが最優先。終戦直後は、疎開した多くの人が、国土の復興に貢献しました。不況時の疎開は、ふるさと活性化にも役立つでしょう。
私もそう思います。
意識をちょっと変えるとさまざまな生き方が見えてきます。
それにこんなに豊かで穏やかなところ(日本)は、今の世界にはそうはありません。
もっと平安に生きていく方策はたくさんあるはずです。
残念ながら私はその生き方ができていませんが、もう少し早く気づけばどうにかなったかもしれないと思うこともありません。
今となっては、その気は私には全くありません。
その理由は、挽歌編に書いているように妻がいなくなったからです。
それに娘たちには、その生き方を選ぶ育て方をしてきませんでしたから、もう無理のようです。

問い合わせのあった方には、早速、和歌山のことも含めて、情報をもっている友人を紹介しようと思います。
こうした思いを持った人は少なくないとしたら、今こそ、「新しき村」が実現できるかもしれません。
昨年、実は、そうしたことを少し考えたこともあるのです。
もしそんな村ができたら、生き方を間違ってきた私も移住できるかもしれません。
挽歌編に書いたように、「老いて」しまった私には、いささか荷が重く、作り手にはなれないのが寂しいですが。

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■節子への挽歌533:一期一会

節子
最近、「老い」を感ずることが多くなりました。
前にも書きましたが、家の近くのなだらかな坂で息が切れます。
それに以前のように気楽に動けずに、行動する前に少し考えてしまうようになりました。
にもかかわらず、最近また、いろいろなことを引き受けだしてしまっています。
それも勝手に申し出て引き受けてしまうこともあります。
節子がいたら、相変わらずねと笑うでしょう。

今日、坂を上りながら、果たして大丈夫だろうかと、ふと思ってしまいました。
いずれをとってもいい加減にできるようなテーマではありません。
まあ、私のことですから、かなりいい加減ではあるのですが、いつもそれなりの覚悟はするのです。
いざとなったら、それなりのがんばりをするのが、一応、私の文化なのです。
がんばっていると、必ず誰かが手を貸してくれます。

しかし、最近、時々、先のことを考えて不安になります。
先のことを考えるのは「老い」の始まりです。
先の時間が無限ではないということへの心配ですから。
若いころは、先のことなど考えずに、まっすぐ前を見て生きていました。
いえ、節子が病気になって、手術をするまでは、私には先しか見えませんでした。
それも無限の時間のある「先」です。
おかしな言い方ですが、「来世」までが私の視野にはありました。
今生で完結する必要などない、というのが私の意識でした。
友人は冗談だと思っているようですが、私にとっては確信でした。
ですから私の時間軸は、無限に近くゆっくりしていました。

しかし、節子の手術、そしてその後の一緒の生活。
それが私の意識を大きく変えました。
今この時点での時間の大切さが、実感としてわかってきました。
節子が好きだった「一期一会」です。
私には、それまでほとんど関心のない言葉でした。
いつでも、そしてまた、会えるではないか。人はすべてつながっているのだから。
人が会うなどということは瑣末なことでしかない、と私はどこかで思っていました。
そして、事実、不思議なことですが、会うべき人には会えました。
電車の中で、街の中で、そして会いたくなる頃に不思議にやってくる。

それなのに、この1年半、節子に会えなくなりました。
来世では会えるかもしれませんが、時々、無性に今生で会いたくなります。
でも会えない。
節子のように、一期一会を大事にしてこなかった罰を与えられているのでしょうか。。

先のことを考え出すと、人は動けなくなるものです。
最近、そのことを痛感しています。
黒沢明の「生きる」の主人公は全く正反対に、残された時間を知ったときから大きな仕事に取り組み成功させました。
その話が以前はとても納得できたのですが、最近は全く理解できなくなってしまいました。
なぜでしょうか。
節子ならきっとその答を教えてくれるでしょう。
節子は私の人生の先生でした、自分では何も話しませんでしたが、私には伝わってきました。
その先生がいない今、先が見えるととても不安になるのです。

老いのせいでしょうか。

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2009/02/15

■節子への挽歌532:困った時の節子頼みはもうできません

今日は節子と話す時間があまりありませんでした。
昨日書き出した原稿に難航しているためです。
ずっと書き続けているわけではないのですが、節子がいてもたぶん怒られそうなほど今日はパソコンに向かい続けていました。
その合間にメールも届きますし、今日はホームページ(CWSコモンズ)の更新日でもありました。
もちろん家事もありますし、家族との「付き合い」もあります。

それに今日はちょっとした「事件」が自宅の近くで起こりました。
誰かが騒いでいると思ったら、警察官と若者が激しく言い合っていました。
その話も面白いのですが、挽歌編にはなじみませんね。
そういう事件があると、物見高い私は野次馬になりたくなります。
まあ今回は、我が家からも見えたのですが、近くに何かあると昔はすぐにとんで行ったものです。
節子はそうした私には少しばかり批判的でしたが(火事や水害などの他人の不幸を見にいくのはよくないと節子は考えていました)、その節子もけっこう野次馬的でした。
まあ、そんなことを思い出しながら、自宅近くの「騒動」を見ていたわけです。
原稿が進まないわけです。

まあ、いろいろとあったわけですが、なぜか今日は、節子のことがうまく頭に浮かんでこないのです。
いつもは、さて節子と話そうかとパソコンに向かうと自然に書くことが出てくるのですが、今日は出てこないのです。
やっと私も節子から卒業できるのでしょうか。
まあ、そんなことはないでしょうね。

それにしても、以前は原稿書きなどで行き詰ると節子がその頭の壁をブレイクスルーしてくれたのです。
困った時の節子頼みは、もう出来なくなりました。
今日はもう原稿はやめて、夜はテレビで映画を観ることにしました。

内容のない挽歌ですみません。
ちょっと疲れてしまっています。困ったものです。

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■小泉元首相の犯罪隠しと麻生首相の見識

政治時評はもうやめたい気分でいっぱいなのですが(評論に値するような話があまりないからです)、にっくき郵政民営化と小泉元首相が話題になっていますので、やはり一言書きたくなりました。

引退を声明していた小泉元首相が、また政治劇の舞台に戻ってきました。
昨日の新聞は、小泉元首相が麻生首相を批判したという記事で持ちきりでしたし、テレビもまた連日、それを話題にしています。
小泉元首相は、麻生首相が「郵政民営化に賛成ではなかった」とした発言などについて「怒るというよりも笑っちゃうぐらい、ただただあきれてしょうがない」と話し、それにつづけて、定額給付金事業を盛り込んだ第2次補正予算関連法案については、「3分の2条項を使ってでも成立させなきゃならないとは思わない」と述べています。
それについて記者から質問された麻生首相は、「叱咤激励としてしっかり受け止める。本当に殺す気で殴る親はいない。親心だ」と語ったそうです。

さて、この一連の動きをどう考えるか。
私には、犯罪を暴露されそうになった犯人が共犯者を脅迫しているように見えてしまいます。共犯者は恭順の意を表したようにも見えます。

表現があまり的確ではないかもしれませんが、小泉元首相は憲法に違反してイラクに派兵しましたし、そうしたことができるように防衛関係の法律をあらかじめいくつか制定しています。
見えないクーデターではないかと書いたことがありますが、今でもそう思っています。
さらに、経済面では郵政民営化という、国民の財産を一部の資本家とその取り巻きに売り払って私物化させる行為を行いました。
これはあくまでも私の主観ですが、私はそう思っていますので、小泉元首相は顔を見ただけで寒気が襲ってくるほど嫌いなのです。
ですから、郵政民営化という、国民に大きな損失を与えた行為の意味を、麻生首相に暴かれそうになったために、焦って恫喝したのが、発言の意図ではないかなどと妄想してしまうわけです。
そういう構図で考えると、麻生首相の最近の言動になにか親しみを感じてしまうわけです。

しかし、その小泉元首相はいまだに国民に人気があるようですし、マスコミにも人気があるようです。
恫喝にめげることなく、麻生首相には本音で語ってほしいものですが、政治の世界は私のような生活者が考えるほど単純ではないのでしょう。
今からでも遅くないから、麻生首相や鳩山総務相に、郵政民営化の犯罪性を可視化してほしいと期待してしまうのですが、それもかなわぬ夢なのでしょう。

国民は、自らがどんなに状況に置かれようと、お上は正しいと思うようになっているのかもしれません。
そして、それが悪いことだとは言い切れないところが悩ましいところです。

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2009/02/14

■節子への挽歌531:私たちは「他愛のない」ことにあたたかくつつまれています

節子
昨夜は春一番の強風が吹いていました。
うるさくて眠れないほどでした。
昨日咲いた河津桜は花を落としたかもしれないと心配しましたが、今朝もしっかりと咲いていました。
今日は初夏のような暖かさでしたが、気がついたらたくさんのつぼみが開花していました。この調子だと来週は満開です。

庭の花も次々と咲き出しました。
今日はディモルフォセカが咲きました。
これも例年より1か月くらい早いようです。
自然は本当に正直です。

春のような1日でしたが、今日は自宅でパソコンに向かっていました。
久しぶりに原稿を書いています。
久しぶりのせいか、なかなか進みません。
テーマは「事業創造への新しい発想」です。久しぶりに企業関係の文章を書きたくなったので、引き受けたのです。
2日で書き上げられると思っていたのに、今日、1日かけてやっと1/3しか書けませんでした。
それもどうも満足できる内容ではありません。
節子がいた頃は、途中で節子に読んで聞かせるとコメントをくれました。
「わかりやすい」とか「くどい」とか、そんな程度のコメントで、内容に関するコメントはあまりなかったのですが、節子に聞いてもらえると何だか安心して先に進めました。
それに書けなくなると、待っていたかのように、「お茶でも飲まない」と声をかけてくれました。

そんな他愛のないことが、実はとても大きな意味を持っていたのだと最近気づくことがよくあります。
私たちの生活は、こうした「他愛のない」ことであたたかくつつまれているのです。
それがなくなった時に、そのありがたさに気づくのです。
私たちはもっともっとそうした「他愛のないこと」に感謝しながら生きていかなければいけないと最近つくづく思いますが、それを娘たちにさえうまく伝えられずにいます。
でも私自身は、感謝の気持ちで生きることに慣れてきたように思います。
これも、節子のおかげかもしれません。
節子には感謝することが山のほうにあるのです。

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2009/02/13

■節子への挽歌530:今年も河津桜が咲きました

庭の河津桜が一輪咲きました。
Sakura4_2
寒い日が続いていましたが、春もすぐそこまで来ているようです。
この桜は、節子と一緒に4年前に河津で買ってきたものです。
河津に行った時は、2月の下旬でしたが、寒い日でした。
昨年、咲いたのも下旬でしたから、今年は早く咲いたことになります。
今年は暖冬なのでしょう。

節子は桜がとても好きでした。
再発する前の年、節子と各地の桜を見てまわりました。
あれほど桜を見た年はありませんが、節子がいなくなってからは桜を見た記憶がありません。

節子がいなくなっても、わが家の花は次々と咲いていきます。
私がいなくなっても、そうでしょう。
そういえば、母が育てていたシンピジウムも咲いています。
ジュンが手入れをしてくれたおかげで、今年は去年よりも元気です。
愛でる人が多ければ多いほど、花は元気に咲いてくれます。

しかし、花は誰のために咲くのでもなく、自らのために咲いているのです。
だからこそ、花はすべての人を癒してくれます。
しかも花は毎年生き返ったように咲くのです。
まるで彼岸から此岸に戻ってくるように。
人間もそうやって季節と共に戻ってくることができればいいなあと思います。

節子は、花になってチョコチョコ戻ってくると言っていました。
この桜の一輪は節子なのでしょうか。
元気を出さなければいけません。

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■「過剰反応社会」

昨日の夕刊の記事から2つの話題です。
時津風部屋の力士暴行死事件の初公判で、前親方は「暴行を指示したことはない」と述べたそうです。
キャノンの大分工場建設に関連して御手洗会長の友人が下請業者などを指示した事件で、鹿島建設側は「キャノン側の意向と理解し尊重せざるを得なかった」と言っているそうです。

いずれも「権力に迎合するための過剰反応」ですが、権力は、本質的に、そうした「過剰反応」で自らを支えています。
多くの場合、過剰反応するほど権力に近づけますから、よほど注意していないと過剰反応が日常化してしまいます。
権力に過剰反応することは、私も身近で結構体験してきました。
過剰反応させるほうが悪いと私はいつも思っていますが、自らに関しては過剰反応しないように注意してきました。

時津風部屋の事件で言えば、「暴行の指示」は言葉で行われなくても、指示がなかったとはいえません。
言葉などは、指示の一部であるのが日本の文化です。
とりわけ「言葉の少ない相撲界」では、すべてが過剰反応で成り立っているともいえます。

鹿島の事例は、3人が見事に「権力迎合文化」に悪乗りしています。
御手洗会長は、そうした権力支配ではすでにいろいろと不正が取りざたされている人ですが、だからこそ大久保被告は利用できたのでしょうし、鹿島も信じてしまったのでしょう。
悪い人には悪い人と悪事が集まるものです。
そして権力もまた集まってくるものです。

こうした事件は、毎日の新聞をよく読んでいると、本当に多いように思います。
その背景には、思考停止する生き方の広がりを感じます。

過剰反応は権力迎合に限ったわけではありません。
広義では権力にもつながっているのかもしれませんが、その広がりは広範囲です。

たとえば、弱者救済や顧客サービスのための過剰反応も少なくありません。
最近は少なくなりましたが、専門店などでの過剰対応で買う気をなくすこともありますし、押し付け的な弱者支援が行われることもあります。
企業やサービス機関などへの電話で、相手があまりに丁重すぎて説明過剰な体験も時々します。
まさにマニュアル通りにやっていると感じますが、遮断するのも申し訳なく思い、当方が気兼ねをしてしまうという逆サービスが生じることもあります。
さらに、日常生活でもないわけではありません。

「過剰反応社会」
そこから抜け出るのはよほどしっかりした自分を持つ必要があります。
私もまた「過剰反応」しないようにしたいですが、その反動で、「過少反応」になっていなければいいのだがと、いささか心配です。

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2009/02/12

■非論理、無論理、超論理

一昨日、「良識と非常識」を話題にしましたが、今日は「非論理、無論理、超論理」です。
岩波新書の「ジャーナリズムの可能性」は私には少し希望を感じさせる本でした。
まだジャーナリズムということにこだわっている人がいるのだという安堵感があったからです。
読みやすい本ですので、喫茶店で珈琲を飲む気分で、読んでもらえるとうれしいです。

その本にこんな文章が出てきます。

小泉式答弁は、合理的説明ができないときの窮余の逃げ口上であり、目くらまし戦法に過ぎない点を重視すべきだった。「非論理、無論理な言い方を論理的に論破するのは難しい」などと言っているだけでは、答弁者の思う壷にはまる。
全くそうです。憲法違反の犯罪者ともいうべき小泉元首相を担ぎ上げたのがマスコミですから、まあ「思う壺」に入るのは意図的だったのかもしれませんが、野党もまた同じ壺に入ってしまったように思います。
いささか事情は違いますが、いままた麻生首相に関しても、同じような懸念もあります。

非論理、無論理な発言に対しては、超論理で対応すべきです。
超論理とは、直感です。
論理に呪縛されない人は、実はもっと大きな論理の世界にいます。
小泉元首相は、演技された非論理・無論理だったように思えますので、別だと思いますが、麻生首相はもしかしたら天性の、あるいは育てられた非論理・無論理の人かもしれません。
最近、どうもそんな気がします。
いまこの大きな時代の変わり目に、彼のような人が首相になったのは、意味があるのかもしれません。

そう思って、最近の国政を見みるといろいろと気づくことがあります。
要するに論理合わせが限界に来ているのかもしれません。
フェーズを変えないといけない。
それができるのは、自らの主体性のない道化師です。
つまり、論理を超えないといけないわけです。
それも小賢しくではなく、おおらかに、です。
麻生首相は、大らかに見えますが、どうでしょうか。

それはそうと、この「ジャーナリズムの可能性」はお薦めの本です。

情報産業栄えてジャーナリズム滅び、ジャーナリズム消えて民主主義亡ぶ!
そういう危険な時代の戸口に今、われわれは立っている。
と著者は警告を発しています。
良かったらお読みください。

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■節子への挽歌529:元気が出たり出なかったり

この挽歌には、私の精神的な不安定さが現われているのではないかと思います。
まさに元気になったり元気がなくなったりしています。
昨秋からかなり安定してきたと自分では認識しているのですが、どうもそう簡単ではないようです。
やはり3年は、いや5年はかかるのでしょうか。
しかし、5年もかかったらむしろそれが常態だということになるでしょうね。

ということを考えていて気づいたのですが、そもそも人間の精神状態は不安定なものなのだということです。
ちょっとしたことに一喜一憂するのは、なにも今に始まったことではなく、子どもの頃も、そして節子と一緒だった頃も、よくあった話です。
でもたぶん、その振れ具合は今とは違っていたような気がします。
それはきっとその振れを安定化させるスタビライザー(安定化装置)があったからです。
子どもの頃は親が、そしてその後は節子が、その役割を果たしていたのかもしれません。

そこから少し話は飛躍し、時評に近づくのですが、
そうしたスタビライザー役がだんだんなくなってきているのが現代の社会なのかもしれません。
そして逆に、安定させるスタビライザーに代わって、
むしろ増幅させるレバレッジ(てこ)が広がっているのかもしれません。
共同体的社会にはスタビライザーがいろいろと組み込まれていますが、
昨今のような金銭優先社会ではレバレッジが仕組まれているというわけです。
ですから、個人も社会も不安定になりやすい。
いささか発想を飛ばしすぎかもしれませんが、そんな気がしてきました。
一昔前までは社会の基本単位は家族でしたが、いまは個人かもしれません。
嫁姑問題でさえ、ある意味でのスタビライザー機能を果たしていたように思います。
自己責任とか自立などといわれると、私のような弱い人間は生きづらくなります。
しかも、いまやその弱さを支えてくれていた節子がいなくなってしまったのですから、社会のレバレッジ作用をもろに受けざるを得ないわけです。

さてスタビライザー役としての節子のことです。
いまから考えると、まさに節子は単純な私の言動をいつも安定させてくれていました。
過剰な喜びや自信には時に冷や水をかけてくれましたし、
不安や自信喪失にはそこから抜け出すきっかけを与えてくれました。
一人で考えているとどんどん思考が過剰になるのが人の弱さです。
なかなか中庸を得ることはできません。
伴侶がいるということは、そういうことだったのだと、最近痛感しています。
伴侶のおかげで、自らを相対化できたのです。
ソクラテスも、松下幸之助もそうだったのでしょう。

そんなわけで、もうしばらくは私の精神状態は不安定を続けそうです。
しかし均(なら)せば、結局は以前と同じなのでしょう。
そのことにも気づきました。
今日は独り言でした。

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2009/02/11

■節子への挽歌528:家族が減っていくさびしさ

節子
今日は父の命日です。
私たちは途中から私の両親と同居していましたので、私たち家族にとっては父の葬儀は最初の家族を見送る体験でした。
父も自宅で看病していました。
まだ母も元気だったので、母が中心になって看病していましたが、節子もいろいろと大変だったと思います。
私は会社勤めをしており、しかもかなり忙しかったので、あんまり看病には参加していませんでした。

父を見送った後、私は会社を辞めました。
父の残された時間がそう長くないことを知りながら、会社の仕事の忙しさに時間を向けてしまい、ゆっくりと話す時間さえとらなかったことも、会社を辞めた理由の一つでした。
もっとも会社を辞めると、それ以上に忙しくなることに、その時はまだ気づいていませんでした。
父の葬儀は、とても寒い日でしたが、私が会社勤めをしていたこともあって、たくさんの人が見送りに来てくれました。

父の看病をしてくれていた母も、今はいません。
母の看病は節子がよくしてくれました。
当時、節子も体調はあまりよくなかったのですが、とてもよくしてくれました。
家族が減っていくことは寂しいことです。
しかし私には節子がいましたから、葬儀にも涙を流すことはありませんでした。

次は私ですから、もう家族を見送ることはないなと思っていたのですが、そうはなりませんでした。
思ってもいなかったことで、今でも納得できていないのです。
どこかで何かが間違っているとしか思えません。
家族が減ることの寂しさはとてつもなく大きいです。
伴侶がいなくなることは、さらにそのさびしさとは別のさびしさがあります。

こどもが結婚して家を出る場合は、同居家族は減りますが、家族が増える感じもあるでしょう。
しかし、彼岸への旅立ちはさびしさだけです。
それにどう立ち向かえばいいのか。
世代が継承されていく大家族制度が、もしかしたらその解決策かもしれません。

父を見送った日のように、今日もどんよりとした寒い日です。
節子は彼岸で父母に会っているでしょうか。
今日はとてもさびしい気分で、なかなか元気が出てきませんでした。

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■漢字検定ビジネス問題に思うこと

漢字検定で高収益を上げてしまった公益法人が問題になっています。
まあ国家行政機関の高収益に比べれば、たかだか数百億円でしょうから高がしていますが、資格検定制度はまさに働かずに稼ぐバブル事業モデルだと思っています。
しかも、この事業モデルは華道や茶道のような、日本の伝統文化の中で育てられてきています。

私は「資格」の類を一切持っていませんが、子ども頃から資格に関しては生理的に馴染めませんでした。
それに資格を得るために努力することの出来ない人間でした。
高校と大学は受験しましたから、10代の頃までは徹底していませんが、20代以降は怠惰を決め込んできました。
同時に、資格ビジネスには大きな違和感を持っていました。
資格を与えてお金をとる。つまり資格の売買のようなイメージが私には強すぎるのです。
何だか、人間の豊かさ(個性や能力)が貶められているようで、嫌な気がします。

弁護士や公認会計士などの専門家としての資格は、信頼関係構築のための社会の複雑性の縮減のために必要ですし、それらは「資格」が目的ではなく、「仕事」をするための要件ですから、意味合いは全く違います。
しかし、漢字検定だとか英語検定とかいう話になると、どうも違和感があるのです。
ましてやそれがビジネスになるというのは不思議です。
まあ一種の化粧ビジネスと思えばいいのかもしれませんが、その化粧ビジネスも私には違和感がありますので、どうもだめなわけです。

検定ビジネスは「事業利益」という点では魅力的でしょう。
うまくいけば、働かずに定期的に利益が入ってくる仕組みが構築できるからです。
違和感はありますが、その一方で、私も不労所得が継続的に入ってくる「資格提供者」の立場になりたいと思わないわけではありません。
まあ、そこが私のいやしいところですが、もしそうなれば、その利益でいろいろなことができるでしょう。

それにしても最近は驚くほどさまざまな資格検定があります。
私の友人知人も、なんだかさまざまな資格を持っている人が多いです。
そういう話を聞くと、資格制度に違和感を持っているといいながらも、どこかで感心したりしてしまう自分に気づいて、やはり人間は資格には弱いものなのだと思ってしまうこともあります。
どうも私は、いやしいだけではなく、同調主義者でもあるようです。

しかも、こんな資格認定制度を作って儲けようなどという誘いがあると、ついついその儲け話に乗りたくなりさえします。
幸いに今のところは、実際には乗ったことはありませんが、それは主義のためよりも怠惰なためです。困ったものです。

時評のつもりが、懺悔になってしまいましたが、こうした資格検定ビジネスを強力に支援してきたのが政府であることを忘れてはなりません。
「検定」などの仕組みに飼いならされてはいけません。

そのことの意味を書こうと思っていたのですが、懺悔が長くなってしまいました。
また機会を改めます、

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2009/02/10

■良識と非常識

「良識とは、受け身に立たされた側が口にする言葉であり、行動の主導権を握った側は、常に非常識的に行動するものである」
これは、16世紀のベネチアの一外交官の言葉だそうです。
先週読んだ塩野七生さんの「ローマ亡き後の地中海世界」に出てきます。
塩野さんの作品は、いつも現代を考えるヒントに溢れています。
いくつか印象に残った言葉がありますが、この言葉には思わず笑えてしまいました。

麻生首相はまさに非常識な言動を続けていますが、野党はもちろん、閣僚も与党も、そして国民までもが、彼の良識を疑いだしています。
私もその一人でしたが、ちょうど最近、麻生首相の言動に少しばかり共感を持ち出したところなのです。
まさに、良識と常識を考えていたところなので、この言葉に出会った時には、あまりのタイミングの良さに笑ってしまったわけです。

今となっての郵政民営化反対発言は、野党は良識がないといいますが、麻生首相にとってはそんなことはどうでもいいのでしょうね。
そういえば、細川元首相も「良識」がありませんでした。
いえ、最近の首相はみんな良識もなく、非常識な言動を繰り返していました。
それに対して、周辺の人たちは、良識を口にしながら、やはり結局は非常識な言動を繰り返しているようにも思われます。

かんぽの宿をめぐる鳩山総務相の発言は良識的でしょうか。
日本郵政の西川社長にとっては、非常識な発言でしょうが、私から見れば、西川社長の発言は犯罪的に感じられます。
何かを隠そうとする人に善人はいないというのが、私の単純な評価基準なのです。
鳩山総務相の発言は良識的ではないかもしれませんが、素直な感情が伝わってきます。
麻生首相と同じ感じがします。
隠そうという姿勢が見えません。

麻生首相が郵政民営化反対発言をしたのに対して、民主党は良識対応すべきではありません。
大いに歓迎すべきです。
自らのやったことを反省したのですから、そこは大目に見てやり、やっと気づいたのか、やっと本音で話せるようになったのか、麻生君も成長したねとほめてやればいいだけの話です。
それができない野党側は、やはり「良識」レベルで発想している「受け身」の立場に甘んじているのでしょうね。
それでは主導権はとれません。

郵政民営化に反対したのに、その後変節して復党した人たちは、良識的だったのでしょうか、あるいは非常識だったのでしょうか。
人事院総裁の谷さんはどうでしょうか。

良識など気にせずに、非常識に行動する麻生首相。
麻生首相は時代状況と自らの地位の意味を勘違いしているように思います。
時代錯誤な人は、やはり見ていて面白いです。
彼をお笑い芸人と考えると実に納得できます。
ギャラが高すぎるのが不満ですが。
また今日も不謹慎なことを書いてしまいました。

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■節子への挽歌527:年賀状への返事は反省です

節子
先月末に、年賀状の返事を書いたのですが、塚谷さんから丁重なお手紙とお線香が届きました。
私の手紙のせいで、よけいなお気遣いをさせたようで反省しました。
節子がいたら、ストップをかけるか、手紙の内容をもっと元気よいものに変えるか、いずれかだったでしょうね。
どうも節子のことになると自分しか見えなくなるようです。
自分だけが悲劇の主人公だという気分が、どこかに残っているのです。
恥ずかしい限りです。

塚谷さんは、東レ時代の先輩です。
といっても、東レ時代にはあまり接点はありませんでした。
私が東レを辞めて10年以上たった時、突然、湯島に来てくれました。
そして仕事を頼まれたのです。
当時、塚谷さんはある会社の社長でしたが、最後の仕事として会社の変革に取り組みたいというのです。
東レ時代、私は会社の企業文化変革活動に取り組ませてもらいました。
それが、私の人生を変え、もしかしたら節子の人生も変えました。
その活動を知っていて、塚谷さんは私のところに来てくれたのです。
塚谷さんは、湯島に来た時に、節子に会っています。
そのせいか、いつも会うたびに、奥さんによろしくと言ってくれました。
人間は単純なもので、仕事関係であろうとも、そうした人間的な一言が大きな動機づけになります。
塚谷さんの会社の仕事は塚谷さんの満足する結果になり、喜んでもらいました。

たまたまその仕事の窓口が、東レ出身者でしたが、私も節子も良く知っている人でした。
それで節子と一緒に京都に行く機会があったので、彼と3人で食事をしました。
節子とは30年以上ぶりの再開だったと思います。
塚谷さんのおかげでした。

塚谷さんは、今は会社を引退して、ご自身のことをまとめられた本を出版されるなど、ご自分の世界を悠々と楽しまれています。
奈良にお住まいですが、お寺も好きなので、充実した毎日なのでしょう。
その会社は京都の東寺の近くなのですが、京都駅から東寺を見ると、いつも塚谷さんを思い出します。

その塚谷さんから、お線香が届きました。
とても不思議なのですが、節子には一度しか会っていない人から節子の話を聞くことが時々あるのです。
一方、何回も会っているのに、節子の話が全く出てこない人もいます。
人の縁は、回数でも時間でもありません。
またまた自分中心の話ですが、節子の話がでるだけで、元気が出てくるのです。
恥ずかしいですが、それが現実なのです。

塚谷さんは、こう書いてきてくれました。

最愛の奥様とお別れになった貴兄のことを考えず無神経に賀状を出してしまいました。
申し訳ありません。
いやいや、謝るべきは私のほうですね。
私こそ、なんという無神経なことか。注意しなければいけません。

塚谷さんはこうも書いてきてくれました。湯

島の事務所でお会いしたことがありますが、本当に素晴らしい奥様でした。
これも恥ずかしいのですが、こういう節子への褒め言葉はすべて真に受けるようにしています。
たとえ事実に反していようともです。

塚谷さん
ありがとうございました。
心から感謝します。

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2009/02/09

■愛に支えられた社会とお金に支えられた社会

昨日書いた「お金があれば生きられるが、愛だけでは生きられないのか」の話を、挽歌編と絡ませながら続けます。

お金がなければ生きられない社会は、考えてみれば不思議な社会です。
お金は食べられませんし、お金があっても、それを何か「生きるために必要なもの」に誰かが交換してくれないと、何の役にも立ちません。
無人島に流された人にとっては、2兆円のお金を持っていても何の役にも立ちません。
それ自体何の価値もないお金に、私たちの生活が振り回されるのは、どう考えてもおかしな話です。

挽歌編にも書きましたが、私は47歳で会社を辞めました。
何の不安もなく会社を辞めたのは、資産があったからではありません。
愛し合っている妻がいたからです。
愛とは信頼でもあります。
どんな苦境に立たされても、2人の知恵と汗を出しあえば、生き抜けるだろうと確信していました。
お金にしがみついていたら餓死することもあるでしょうが、お金にしがみつかなければ、今の時代、何とかなる。
そう開き直って、次の仕事のあてもないのに会社を辞めたのです。
お金がなくなって、娘から借金したこともありますが、それから21年、生き続けています。
とても悲しいことに、妻は病気で一昨年、旅立ってしまいましたが、お金があってもそれは防げませんでした。

妻がいなくなって、私の生命力は極端に落ちた気がします。
しかし、娘たちがいたおかげで、何とか生き抜けました。
娘たちを、私は愛しています。
生きるために必要な愛は、愛される愛だけではなくて、むしろ愛する愛です。
引きこもりがちだった私を引き出して、元気を与えてくれたのは、私を愛してくれているたくさんの友人知人たちです。
私も、そうした友人知人を愛しています。
ですから、私は確信しています。
「生きるためには、お金よりも愛が大切だ」と。

生きていくために「仕事と家」が邪魔だったという姜さんのことを昨日書きました。
「仕事と家」が突然なくなって、生きるのが不安になっている人がたくさん出ています。
同じもの(仕事と家)が、生きる邪魔をしたり、生きる支えになったりします。
この違いはどこにあるのか。
おそらくそれは「愛」に関係しています。
姜さんはきっとたくさんの愛を育みながら生きてきたのでしょう。
だからいま、そのたくさんの愛に育まれているのです。

愛に支えられた社会とお金に支えられた社会があるような気がします。
どの社会に生きるかは、それぞれの人の好みかもしれません。
しかし私はやはり「愛に支えられた社会」に生きたいと思います。
日本にはまだそういうところがたくさんあります。
お金がなければ生きていけないと思っている人に、そういうことを知ってほしいと思います。
「愛に支えられた社会」に生きたい人が増えていけば、きっと社会は変わります。
昨日のワークショップで、こういうことを話せばよかったなと反省しています。

でもやはり「甘い」と怒られるかもしれません。
67歳だから、こんなことがいえるのでしょうか。

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■節子への挽歌526:節子がいればこそ身軽に生きられた気がします

今日もまた、挽歌編と時評編を絡み合わせながら書きます。

昨日、時評編に「妻(伴侶)がいればこそ、身軽に生きられることを実感として知ってしまった」と書きました。
これはおそらく常識に反します。
家族がいればこそ、慎重にならざるを得ないというのが一般の考えです。
それが真実であることは確かですが、しかし1人よりも2人の方が行動しやすい場合もあります。
節子がいなくなって、私の行動力は間違いなく低下しました。
人は一人では生きていないことを、節子がいなくなってから痛感しています。

私は47歳で会社を辞めました。
次の仕事があったわけではありません。
生き方を変えたかった、ただそれだけです。
多分私一人であったら、決断できなかったように思います。
仕事は一人になってもできますが、生きる基盤である生活には私は全く自信がなかったからです。
辞める時、経済的な心配がなかったわけではありません。
しかし、節子と一緒に汗と知恵を出したら、生活費くらいはどうにかなるだろうと思っていました。
新聞配達を2人ですることも考えていました。

一人だとお金がないと不安ですが、不安を分かち合える人がいれば、お金はなくても立ち向かえるのではないかと思います。
現実を知らない甘い発想だといわれそうですが、いざとなれば「仕事がない」といわれる過疎地に行けば、稼ぐ仕事はなくても、生きる仕事はあるはずです。
いま都会では仕事がなくて、住まいまでなくて、困っている人が少なくありませんが、少し発想を変えれば、いろいろな生き方があるように思います。
やはり、発想が甘いでしょうか。

さて時評編的な話はこのくらいにして、挽歌編的話を書きます。

私が生き方を大きく変えたり、お金と無縁な仕事にのめりこんだりしてきたのは、節子の支えがあったからです。
楽観主義の私も、時に不安で眠れない夜もありましたが、その時は隣に節子がいるのが支えでした。
節子が何かをやってくれるわけでもないのですが、いざとなったら助けてくれるという安心感があったのです。
それに、何よりも、私の生き方を全面的に信頼してくれている人がいることはどれほど心強いことか。
それは節子がいなくなった今、よくわかります。

伴侶とは、相手を拘束する存在ではなく、自由度を高める存在ではないかと思います。
少なくとも、節子は私にとって、そういう存在でした。
節子がいなくなったために、最近の私の心身はとても重い気がします。

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2009/02/08

■お金があれば生きられるが、愛だけでは生きられない

昨日、ボランティアフォーラムTOKYO 2009に参加しました。
お金も大切だけれど、もっと大切なものがあるのではないかというワークショップです。
そこでの話は、挽歌編に書きましたので、よかったら読んでください。
一番大切なのは「愛」。
「愛」と「お金」は同じ類の言葉かもしれないということも、そこに書きました。
今回は挽歌編とワンセットです。

私と一緒にゲストで参加した姜咲知子さんの生き方は見事です。
9月から3か月近い韓国巡礼に出向くのですが、そのためには「仕事も家も邪魔になる」と、会社を退職し、借家契約を解約し、いまは茨城県の八郷の有機農園で住み込みの生活をして、韓国巡礼の準備をしています。
「仕事も家も邪魔になる」生活。
会場にいた契約社員の人たちはどう思ったでしょうか、

姜さんはまだ30代のシングルですから、こうした身軽な生き方ができるのだと思う方がいるかもしれません。
私も数年前まではそう思っていました。
しかし、いまはそう思っていません。
妻(伴侶)がいればこそ、身軽に生きられることを実感として知ってしまったからです。

お金があれば生きられるが、愛だけでは生きられない、という人も少なくありません。
今回も、無所有とか本来無一物とかの言葉がでたのですが、それに対して契約社員の方から、そんな甘くはないのが現実だと指摘されました。
それはよくわかります。
何しろ明日の食事代もなければ、今夜宿泊するところもない状況が起こりえるのですから。

たしかにお金があれば、食事や宿泊の問題は解決できます。
しかし、なぜ毎日、そうした問題に悩まされなければいけないのか、です。
バラバラの生き方の中で、自己責任や自立が基準になってしまえば、いざと言うことを考えるとお金が不可欠になってきます。
しかし、大家族の中で隠居した高齢者はお金がないと生きていけなかったでしょうか。
自分では稼ぐ事のできない乳幼児はどうでしょうか。
そうした人たちは、ほかの家族に支えられてお金などなくても生きていけたのです。
その大家族を地域社会にまで広げた、下町生活は貧しいながらもお互いに支えあって生きてきました。
お金を稼げない人もいたでしょう。
稼げない時期もあったでしょう。
しかし地域共同体の中で、生きていけたのです。
その地域社会を、さらに広げていったらどうでしょうか。

しかし、今の世界はそれとは逆方向に行っています。
大家族は核家族に変えられ、夫婦は支えあうのではなく稼ぎあう関係になり、男女共同参画などという経済主義に汚染されたまま、支え合いの関係は金銭主義の中で競い合いの関係へと変質していきました。
地域社会は、市町村合併という「自治壊し」の動きによって、生活から切り離されていきました。
つまり、「お金があれば生きられるが、愛だけでは生きられない」社会が着々と構築されだしているのです。
そのために、みんな「お金の奴隷」へとならざるを得なくなっているのです。
「お金があれば生きられるが、愛だけでは生きられない」などという幻想をすてなければいけません。

また言葉が走りすぎていますね。
長くなったので、また明日続きを書きます。

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■節子への挽歌525:一番大切なのは「愛」

節子
昨日、ボランティアフォーラムTOKYO 2009に行ってきました。
私が参加したのは、「それぞれのプライスレス」。
お金も大切だけれど、もっと大切なものがあるのではないかというワークショップです。
そこで参加者のみなさんが、話し合いながら何が大切かを議論して発表してくれました。
グループによって違いはありましたが、いずれのグループも「愛」が1位か2位でした。
私はゲストとして呼ばれていたのですが、同じゲストの姜咲知子さんも私も、「愛」が1位でした。
参加者の中には、契約社員やそれを切られた人も何人かいましたが、順位づけの議論はかなり白熱したようです。

「愛」と「お金」とどちらが大切かは比較しようのないことかもしれませんが、今の時代は、あまりに金銭信仰が広がっているのが残念です。
私の論理は極めて簡単です。
愛でお金は買えますが、お金で愛は買えませんから、愛のほうがお金よりも価値があるはずです。
こんな言い方をすると誤解されそうですが、節子と会えなくなった今、心底そう思います。

しかし、「愛」とはいかにも抽象的な言葉で多義的です。
愛の対象や愛し方によって、愛には「排除」の要素がありますから、愛の裏には憎しみや冷たさも同居しているのです。
「愛」が引き起こす悲劇も決して少なくありません。
その意味では、「愛」も「お金」も同質なのかもしれません。
まあこれは書き出すと長くなりますのでやめますが、「愛」とか「平和」という言葉の持つ両義性の落とし穴には気をつけなければいけません。

ワークショップを終えて、帰りの電車の中で、
私の人生にとって、何が一番大切だったかと聞かれたら、何と答えるだろうかと自問しました。
答は明確で、「節子」です。
「愛」でも「お金」でもなく、伴侶である節子です。
では、節子がいない今は、どうだろうか。
これは難問です。
いろいろと考えたあげく、やはりそれでも「節子」だなと思いました。
そして、私が息を引き取る時に、その節子に「ありがとう」と言えないことが急に悲しくなりました。
「愛」というのは楽しくもあり、悲しくもあるものです。

ところで、お金があれば生きられるが、愛だけでは生きられない、という人が少なくありません。
そうでしょうか。
これに関しては、時評編に少し書かせてもらいました
今回は時評編と合わせて読んでもらえるとうれしいです。

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2009/02/07

■福祉政治の視点で政治や経済を見ると問題が見えてきます

「経済の安定的な成長のためには投資のみが過大であってはならない」
これは、1958年の経済白書の言葉です。
当時の経済企画庁は、「格差の是正を経済成長の要件とするという発想で、急速な成長から取り残されやすい農業部門や自営業者を社会保険に包摂し、格差の広がりを是正することが持続的な成長のために必要であるというものだった」(宮本太郎「福祉政治」)そうです。
政府は、生産重視の急速な成長戦略に慎重だったわけです。

宮本太郎さんの書いた「福祉政治」(有斐閣)は日本の政治経済の流れを俯瞰する上で、とてもわかりやすい本です。
経済も政治も、もしそれが国民生活のためにあるのであれば、福祉の視点から見ていくととてもよく見えてきます。
著者は、生活保障をめぐる政治を福祉政治といい、生活保障を雇用保障と社会保障に分けて整理しています。
日本が1980年代まで格差の拡大を起こさずに、経済を成長させられたのは、雇用保障が基軸にあったからだということが、本書を読むとよくわかります。
その大きな枠組みが変わったのは、1990年代の半ばからです。

昨今の派遣社員制度も、雇用保障をベースにして構想され運用されていたら、たぶん今とは全く違ったものになっていたでしょう。
しかし、派遣社員制度は、生産の急拡大と投資利益拡大のための労働力管理の手段になってしまいました。
そこには生活する側の労働者の就業の場という発想はありません。
つまり、働く人の生活が切り離され、見えなくなってしまったのです。
そこで雇用ではなく、福祉保障へと軸足が変っていったということになります。

そうした動きの背後には、家族制度、さらにはそれを支える文化の問題があります。
おそらく1980年代までと現在とでは、そうした文化が全く変質してしまったのです。
だから失業の問題が、即、住む場所の問題に直結してしまったのです。
極端に言えば、社会は壊れだしているわけです。
経済や政治が壊れだしているのではありません。

唐突に「福祉政治」のことを書いてしまいましたが、最近の政治や経済の動きを見ていると、何のための政治や経済なのだろうかと思うことがよくあります。
「福祉政治」や「生活政治」の視点で考えると、そうしたことも含めて、現実の問題が見えやすくなります。
経済は「文化の問題」であって、「政治の問題」ではないのです。
政治も「文化の問題」であって、「経済の問題」ではないのです。
肝心の「文化」が、今の日本から抜けてしまっているような気がします。

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■節子への挽歌524:準備なく発話できることの価値

節子
人は話しながら考えるものだと、私は思っています。
心の中で考えている場合も、心の中にいるたくさんの「自分」が話し合っているように思いますが、最近、「発話」することの大切を感じています。

節子も知っているように、私は話をするのが大好きです。
沈思黙考ということが不得手なのです。
思いを口に出すことで、考えられ動けるようになるというタイプなのです。

最近どうも動きが悪いのは、節子との会話がなくなったからかもしれません。
いろんな人から相談があると、私は必ず節子に話しました。
私自身、何かをやろうと考えると、必ず節子に話しました。
いずれも相談というよりも、ただ話しただけといったほうがいいでしょう。
しかし、それを聞いた節子の反応は私の行動の方向性に大きな影響を与えました。
そしてそれに続く雑談的会話の中から、それにどう取り組めばいいのかの方策が自然と湧くように出てきたのです。
考えてみると、それが今は無いわけです。

私が山のような相談事に対応できてきたのは、もしかしたら節子への「発話」と「雑談」があったからかもしれません。
伴侶を亡くした方から、独り言が多くなったという話をよく聞きます。
私もそうです。
「発話」しても実際には返事はないのですが、発話すると返事が聞こえるのです。
私はそうです。
しかし、まあ日常生活のちょっとしたことであれば、それでいいのですが、ちょっと大きな話になると独り言も結構難しいです。
位牌に向かって語りかけることも、そう簡単ではありません。

無防備に、準備なく発話できる伴侶。
響きあうような夫婦の会話。
もしかしたら、それが私の生きるエネルギーの源だったのかもしれません。

失って初めてわかる「大切なもの」はたくさんあります。

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2009/02/06

■節子への挽歌523:「どんな時も人生には意味がある」

ユダヤ人であるが故に、ナチスによるアウシュビッツ収容所という極限の体験をした精神心理学者のフランクは、「どんな時も人生には意味がある。あなたを必要とする『何か』があり『誰か』がいて、必ずあなたを待っている」と書いています。
彼のこうした考えが、アウシュビッツでの彼を支えたのでしょう。

節子
いろいろと活動を再開したのですが、どうもまだ何かが欠けている感じです。
それが何なのかはよくわかりませんが、やはり「生きている意味」がまだ見えていないからかもしれません。
もちろん「生きている意味」などわからなくても生きてはいけるのですが、そしていろいろと活動もできるのですが、どこかで充実感がないのです。
節子がいてもいなくても、大きな違いはないはずなのですが、どこかに虚しさがあるのです。
節子は私にとって生きる意味を与える存在だったと、書いたり言ったりしてきましたが、その意味は一体なんだったのでしょうか。
今はそれもわからなくなってきました。

フランクルは、「人間が人生の意味は何かと問う前に、人生のほうが人間に対し問いを発してきている。だから人間は、本当は、生きる意味を問い求める必要などないのである」と、著書の中で書いています。
フランクルのように、「私がなすべきこと、使命を実現していくのが人生だ」などとは思いたくないのですが、彼が提示している「態度価値」という考え方は、時々、頭に浮かびます。
「態度価値」とは、ウィキペディアによれば、「人間が運命を受け止める態度によって実現される価値」です。

人生にはさまざまな事件が山積みされています。
うれしい事件もあれば、悲しい辛い事件もあります。
すべての事件には、何がしかの自分の責任もありますが、自分の意志とは無関係に、向こうからやってくる事件も少なくありません。
そうした「与えられた幸運や試練」に対して、どういう態度をとりながら生きるかによって、その人の人生は変わってくるとフランクルは言います。
そして、どんな状況であろうとも、態度価値だけは存在する、というのです。
平たく言えば、どんな状況においても「希望」があるというわけです。

そう考えると、人生から意味が無くなることはありません。
「人生の意味」は、当人が気づくかどうかとは無縁に、当人のすぐ近くに存在しているわけです。
だから、「どんな時も人生には意味がある。あなたを必要とする『何か』があり『誰か』がいて、必ずあなたを待っている」とフランクルは言い切るのです。

頭では理解できますが、「人生の意味」を一人で見つけることに慣れていなかったせいか、どうもうまくいきません。
私を待っている「何か」や「誰か」の候補が、最近、周辺に山積みされだしました。
しかし、どれが私の人生に意味を与えてくれるものか、見極めがつきません。
春を感じるようになってきましたが、春が来る前に、それを見つけたいと思っています。

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■「冗談のような現実」を創りだすコミュニケーション的言説政治

今日はいささか不謹慎なことを書きます。

麻生首相のこの数日の国会答弁はなかなか魅力的です。
あれほどの無邪気さやナンセンスさはなかなか演出できるものではありません。
最近少し好感を持ち出しました。

先日、民主党の前原さんが「やるやる詐欺」発言で物議を起こしましたが、
この時の2人のやり取りにも、奇妙な好感をもちました。
念のためにいえば、前原さんも麻生首相も、その考え方には全く賛成しがたく、2人とも私が最も嫌いな政治家に属します。
しかし、あの時の前原さんには初めて好感を持ちました。
詐欺し扱いされた麻生さんは最近逮捕された円天の社長以上の「詐欺師」だという気もしますが、一方ではさらにその上を行く詐欺師にして犯罪者(何回も書いているように、法律違反をいくつかしていると思っています)の小泉元首相に比べればたいしたこともないのかもしれません。
まあ、それは勝手な私の妄想ですが、最近の麻生首相の無邪気さに魅了されだしている自分に気づいて、いささか驚いています。

わが国の政治は、国民の心情に直接訴求する「コミュニケーション的言説」による政治へと変質していますから、むしろ小泉元首相がそうであったように、麻生人気が復活する可能性もゼロではないかもしれません。
国民の多くは、今の政治に信頼感を失っているといわれますが、その信頼できない政治を最高の政治責任者として茶化している麻生首相の言動は、まさにそうした民意を代表しているのかもしれません。
ともかく麻生首相は政治を過剰なほど楽しんでいます。
国民や国家のことなど考えておらず、潤沢な税金で豪遊しているような気がします。
駄々をこねる無邪気な、しかしちょっと大人の小賢しい知恵を植えつけられた子どものような振る舞いには、うらやましさも感じてしまいます。

それにしても、郵政民営化に自分は賛成ではなかったとよくまあぬけぬけと発言できるものですが、昨日の報道番組でのキャスターたちは、みんな絶句に近い感じでした。
1年後には、もしかしたら「定額給付金には反対だった」と麻生さんは言うかもしれませんが、何やら昨今の政治の本質を露呈しているような気もします。

こうした「冗談のような現実」は政治に限った話ではありません。
そう思って考えてみますと、企業や相撲界でも最近こういう話がたくさんあるようにも思います。
「冗談のような現実」を創りだすコミュニケーション的言説が、マスコミのおかげで蔓延しているわけです。
それを支えているのは「絶句」しているキャスターたちかもしれません。

まことにもって不謹慎なことを書いていますが、最近の素直な気持ちを書いてしまいました。

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2009/02/05

■節子への挽歌522:ゆったりした時間

友人知人から節子の話を聞くのは、とてもうれしいものです。
久しぶりにメールをくれた方が、メールの最後にこう書いてくれました。

一度コムケアのフォーラムでお目にかかりましたが、
ゆったりと包み込む雰囲気をお持ちの方だなという印象をもったことを記憶しております。
その時はまだ節子は病気の前だったのではないかと思いますが、その頃の時間軸も、「ゆったり」していたのかもしれません。
私の時間軸は、若い頃から少し常識から外れていました。
若い頃はパラレルワールドにあこがれていましたし、しかも時間は前後するものだという奇妙な意識がありました。
結婚した頃、節子はそのおかしな時間感覚に翻弄されたはずです。
しかし、常識的な時間感覚を持った節子と一緒に暮らす中で、私の時間感覚もかなり矯正されました。
時計的な時間感覚もかなり強くなりました。
この人の言葉を借りれば、節子に「ゆったりと包み込まれた」のかもしれません。

手術後の節子の時間は、さらにゆったりと流れるようになりました。
一緒に歩いていると、たくさんの人に追い抜かれました。
一緒に何かをやっていても、そんなに急がないでと、時々言われました。
しかし、そのおかげで、私に見える世界が少し変わりました。
後で気づいたのですが、それでも節子は私の時間軸に近づけようとしていた気がします。

会社時代に私の仕事を補佐してくれていた女性から手紙が来ました。

春の気配が強くなりましたね。
お宅の庭では奥様が丹精した花々が次々と咲いてくるでしょう。
と書いてありました。
節分が来ると、彼女は節子のことを思い出してくれるのだそうです。
節子はいまもみんなの思いの中にいることを思うと、とても気持ちが温かくなります。

庭の花が咲き出す季節も、もうそこまで来ています。
節子がいなくなってから、時間の足は速くなっているようです。
節子が急がしているのでしょうか。

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2009/02/04

■節子への挽歌521:節子の誕生日

節子
今日は節子の誕生日です。
あと何回、誕生日を迎えることができるだろうと、節子は一度だけ言ったことがあります。
62歳になる前の秋でした。

62歳の誕生日は、私たちにとってはとてもうれしい誕生日でした。
しかし、だからといって特別の記憶が残っているわけではありません。
矛盾しているのではないかといわれそうですが、まさかそれが節子と一緒に祝える最後の誕生日になるなどとは、誰一人考えていませんでした。
逆に、みんなそういう特別の誕生日にならないように、無意識に何もしなかったのかもしれません。

どう過ごしたのだろうかと私のホームページ(CWSコモンズ)を見てみました。
私のホームページには、私の生活のほとんどが記録されているのです。
だれもプレゼントも用意していない誕生日だったようです。
いつもは必ずユカが用意しているのですが、どうもそれもなかったようです。
節子は薄情な家族に囲まれていたと思われそうですね。
しかし、節子の友人は薄情ではなく、
滋賀の友人たちと近くの友人から、2つ、花が届きました。
家族がやったのは、一緒にケーキを食べることだけだったようです。

でも節子はとても幸せだったと思います。
なぜそう思うのかと問われると答えられませんが、間違いなくそう思います。
家族みんなから愛され、家族みんなといつものように、一緒に手づくりのケーキを食べられたからです。
節子はみんなが好きでした。
好きな人たちと一緒に、普段と同じ生活ができる。
それこそが節子の理想だったのです。

今となっては、その時、どんな会話がなされたのか思い出せません。
節子の日記(「いいことだけ日記」)を開けば、それが書いてあるかもしれませんが、節子がいなくなってから、私はその日記を開くことができません。
節子の残したものは、まだなかなか読み直す気にはなれません。

さて今日はどう過ごせばいいでしょうか。
まあ今日もいつものように、私らしく過ごそうと思います。

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■相撲界の不祥事から感ずること

大麻所持で逮捕された若麒麟の解雇処分をめぐって、また相撲界への批判が高まっています。
なぜこうも同じことが繰り返されるのか不思議ですが、その根幹は、相撲界がお金に浸りきってしまったからではないかと思います。
相撲界に限りません。
スポーツ界全体が、そうなっているような気がします。

十両の若麒麟の月給は100万円強ですが、おそらく後援会にいる、スポンサーからの資金などを合わせると、これを大きく上回るものと思われます。
一方で、幕下になるまでの下積みの過酷な状況に比べるとあまりの格差に驚きますが、そうした「格差構造」は権力支配型の組織構造の特徴といっていいでしょう。
この点からも相撲協会の本質が見えてきます。
そうした体質の権力志向体質が、一連の事件の根底にあるように思います。

それはともかく、25歳の若者が毎月100万円を超える給与をもらうことの意味を考えるべきだろうと思います。
一方で、寝る時間を惜しんで過酷な条件で働きつめても、1か月20万円にも満たない人たちがいます。
所得の格差こそが、新自由主義経済の柱であり、それがあるから競争を刺激し経済が活性化するという考えもあるわけですが、やはり私には所得格差の限界というものがあってしかるべきではないかと思います。

力士の働きを考えれば、もっと給料を増やしてもいいのではないかという議論もあります。
給与の水準が適正かどうかは、考え方によって違うでしょうから、それを指摘するつもりはありません。
2つの価格方程式については書いたことがありますが、給与に関しても同じようなことがいえます。
つまり、投入負担の視点から考えるか、それが稼ぎ出した金額から考えるかです。
稼ぎ出した金額と市場側から考えた価格方程式を組み合わせると、まさに金融工学者の出番となり、バブル経済が実現します。
スポーツ経済は、まさにその先駆的な役割を果たしたのだと、私は思いますが、それは当然のことながら、金に文化を売ってしまったことになります。

この議論もとても大切だと思いますが、今回の事件で素朴に思ったのは、25歳の若者に毎月100万円も支給したらお金に振り回されるのではないかという危惧です。
お金は、人を幸せにしますが、また不幸せにもすることができます。
そして、その文化で育った人たち、たとえば相撲協会の親方たちも、たぶん金銭感覚は汗して働いている人たちとは違うでしょう。
パトロンであるタニマチ筋の文化も影響しているかもしれません。
タニマチ筋の人たちの金銭感覚は、自分自身の額に汗して働く庶民のそれとは全く違います。
税金や保険料を使うことに慣れている政治家や官僚ほどではないにしても、お金の価値は一桁も二桁も違うはずです。

若麒麟の言動は、私には日本相撲協会の役員たちの言動に重なってみえますし、さらにいえば、他のスポーツ界や芸能界の人たちの言動にも重なってみえます。
格差社会がもたらした、もうひとつの悲劇かもしれません。
おそらくその広がりはすでにかなりのものでしょう。
そのお金に汚染された社会を、若者たちがモデルにして生きているとしたら、未来は私が思うような世界にはならないでしょうね。
いささか悲しい話です。

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2009/02/03

■節子への挽歌520:節子と過ごす月命日

節子
昨日、「記念日」の話を書きましたが、今日は節子の17回目の月命日です。
そして明日は節子の誕生日。
意識すると、毎日が記念日ですね。

今日はまた節分です。
朝、娘から「今日は豆まきをやるの」と訊かれました。
実は今日はめずらしく私ひとりなのです。
いつもは自宅でスペインタイルをやっているジュンも出かけていますので、今日は一人でのんびりとしています。
月命日は原則として出かけないことにしているからです。

豆まきは一人でやるのはいささか寂しいので、迷っています。
節子は豆まきが好きでしたが、我が家には、鬼も福もいますので、あえて豆などまかなくてもいいでしょう。
それに今気づいたのですが、豆がありませんね。

豆がない。
私は、井上陽水の「傘がない」が好きでした。
傘がなくても行かなくちゃいけないところがある時は幸せです。
いまの私は、傘があろうと時間があろうと、行かなくちゃと思えるところがありません。
いや、行かなくちゃと思えるところは、一か所だけありますが、
そこは傘があろうと時間があろうと、私の意志では行けるところではありません。

先ほどまで、気持ちの良い日差しの中で、ぼんやりと外を見ていました。
気のせいか、彼岸まで見えるような、そんな幻覚さえ感じながら、です。
こんなに平安な時間を過ごせることに、感謝しなければいけません。
私がこのごろ、好きなのは、こうした「無為」の時間です。

しかし、お腹がへってきたので、気がついたのですが、昼食を食べなければいけません、
そういえば、今日は、娘たちもなぜか昼食の用意をしていってくれませんでした。
そろそろ自立したらということでしょうか。
どうも節子が心配していた通りになってきているのかもしれません。
節子との支えあいに浸っていたために、私の自立心は育たなかったのです。
何だか、一昨日時評編に引用した今田さんの言葉が思い出されます

。「支援によって被支援者を甘やかし、かえって本人のためにマイナスの結果をもたらす危険性を持つことに注意が必要である」
節子の優しさは、私をだめにしてしまったのですね、きっと。

仕方がないので、ポップコーンをつくることにしました。
これでお腹は満たせるでしょうか。
ところが、あいにく、コーヒーもないのです。
昨日の来客に最後のコーヒーを出してしまったのを思い出しました。
以前だと、「節子、コーヒーが無いぞ」といっておけば、魔法のように翌日にはコーヒーがあったのですが、そんなことももうなくなりました。

伴侶のいることの幸せ。
伴侶のいないことの寂しさ。
今日は、そんなことを思いながら、節子と時間を共有しようと思います。

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■辺見庸とカミユとシジフォス

一昨日のテレビのETV特集でみた、辺見庸さんの話し方が、どうも気になっています。

辺見さんは、現在進みつつある“破局”は、経済だけのものではない。
人間の内面性も崩壊しつつあるのではないか、といいます。
そして、
「奈落の底で人智はどう光るのか、光らないのか、それが早晩試されるだろう」と語ります。
辺見さんの語り口は、静かに迫ってきます。
しかし、共感しながらも、どこかに違和感があります。
以前、読んだエッセーのような、強い波動が伝わってこないのです。

辺見さんは、後半でカミユの「ペスト」に言及します。
大学時代、私が最も感動した小説であり、私の生き方に少なからぬ影響を与えた小説です。
昨年、「異邦人」を読んだ後に読み直しましたが、なぜ学生の頃、あんなに感動したのか、不思議な感じがしたほど、静かに読めました。

「ペスト」のあらすじはこうです。
はじまりは、医師のリウーが階段でつまずいた一匹の死んだねずみでした。
やがて、死者が出はじめ、町はパニックになっていきます。ペストが流行りだしたのです。
町の司祭は、ペストを人間に反省と自覚の機会を与える神の恩寵だと考えます。
しかし、悲惨と苦痛を前にして、何もしないのは「狂人か卑怯者」だと考える医師リウーは、敗北を繰り返しながら、シジフォスのように全力でペストと戦いつづけるのです。
そのリウーに協力したのが、無神論者のタルーでした。
やがて多くの犠牲者を出したペストは、突然潮が退いたように終息します。
しかし、そのとき、タルーは感染し、息を引き取るのです。
そして、残されたリウーのところに、地方で療養中だった妻の死の知らせが届くのです。

こうまとめてしまうといかにも平板ですが、印象的なのはリウーの誠実さなのです。
辺見さんは、番組でもそれを強調していました。
私がこの本から学んだのは、無駄を誠実に生きる生き方と負け戦(いくさ)の価値です。
私が失敗の可能性の大きなプロジェクトが好きなのは、そのせいです。

学生の時読んだ本をまた読んだのですが、最後のほうに、赤線が引いている部分がありました。
赤線を引いたのはずっと覚えていたのですが、予想していた内容ではありませんでした。
その部分を引用します。

リウーには、究極においてタルーが果たして平和を見出したかどうかはわからなかったが、しかし少なくともこの瞬間、自分自身にとってはもう決して平和などありえないであろうこと、同様にまた、息子をもぎとられた母親や、友の死体をうずめた男にとって休戦などは存在しないことだけは、わかっているような気がした。
当時私は、この文章に何を感じて線を引いたのでしょうか。
それが全く思い出せませんが、今日突然に、一昨日テレビで感じた辺見さんのイメージと重なっているのに気づきました。
リウー医師も辺見さんも、平和、希望を失ってしまったのではないか。
しかし、誠実に生きるしかない人生に安堵してしまったのではないか。
それは、巨岩を山頂まで運んでは落とされるシジフォスを思わせます。
テレビで見る辺見さんの言動は、まさにシジフォスそのものでした。
それが、今回、鼓舞されなかった理由かもしれません。

ちなみに、
人智が試されているのは、「早晩」どころではなく、もう試され終わったのかもしれない。
そんな気がしてなりません。

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2009/02/02

■誠実に生きることを阻害する社会

昨日、あるメーリングリストで「右派政治団体によるデモを撮影中に妨害される」という体験が投稿されました。
あまりにもうるさいデモ行進を路上で撮影していたら、「公安刑事(と思われる人)から取り押さえられた」のだそうです。
本人のブログで映像も紹介されていますので、ご覧ください。
同じブログに、新宿東南口広場での街頭演説に対する警察の介入のことも紹介されています。

最近、金泰明(大阪経済法科大学教授)の「欲望としての他者救済」を読みました。
読み終えた時に、なぜか涙が出ました。
本を読み終えて、涙が出たのは初めての体験です。
その本の最後の「そのような自由な市民になりたいと、わたしは心から願う」という1行に、感動したのです。
著者の金泰明さんは、この本の中で、「ふとしたことで、苦境に陥った知人を助けたために、思わぬ難儀にあった」ご自身の体験を紹介しています。
もし書店で本書を見つけたら、その部分(185~188頁)だけでも読んでみてもらえるとうれしいです。

「そのような自由な市民」
それは本書を読んでもらわないとわかってはもらえないでしょうが、誤解を覚悟で、最後の1行の前に書かれている文章を引用させてもらいます。

人に頼まれたからでもなく、いやいやするのでもなく、気がついたら、いつでも気持ちよく因っている他人を手助けできる、そんな「私」であるために、わたしは、つねに自分への配慮から出発し、良心にもとづき判断・行動し、市民としての自覚をもち続けたいと思う。

私が常々意識している生き方に重なっています。
私には「社会のために」という意識は全くありませんが(「社会のために」という意味が理解できないのが理由ですが)、自分を誠実に生きることが、みんなが快適に過ごせる社会に繋がっていくと考えています。
また、そうなるように、いつも自分の生き方を問い直しています。

誠実に、素直に生きている人が、事件に巻き込まれることは決して少なくありません。
事件に巻き込まれはしないとしても、あまり「いい目」にあうことはありません。
それに、今の時代は、誠実に生きることがとても難しいような気がします。

しかし、やはり、誠実に、素直に生きていかないと生まれてきた意味がありません。
残念ながら、私自身、そうした誠実さを最近失ってきているような気がしています。
なぜか以前のように心身が動かないのです。

昨夜、NHK教育テレビのETV特集で、辺見庸さんの独白が放映されました。
そこでもカミユの「ペスト」の主人公の「誠実さ」が言及されていました。
「誠実さ」とは何なのだろうか。
そのことがとても気になりだしました。
偶然にも昨年、40年ぶりに「ペスト」を読んだのは、何かの意味があるのかもしれません。

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■節子への挽歌519:沢山想い出すことをプレゼントしてくれた連れ合い

節子
数年前に伴侶を見送ったNKさんからもメールがきました。

昨日は、連れ合いと出会った記念日でした。
初めて会ったのは38年前でした。
彼がいたら、ご馳走を食べに出かけたかなとか、いいお酒を開けたかなと思ったりしました。

佐藤様にもいっぱい記念日があることと存じます。
私の場合、そんな日が来るたびにまた涙して、気持ちを洗って暮らすしかない……。
沢山想い出すことや楽しかった時間をプレゼントしてくれた連れ合いに改めて感謝することになります。

寒いですね。
どうぞどうぞお大切に。

最後の2行が心に迫ってきます。
本当に寒い冬です。

「いっぱいの記念日」
実は、私にはそれがあまり実感できないのです。
明後日は、節子の誕生日なのですが、私にはそうした「記念日」意識があまりないのです。
これは節子が元気だった時からです。
記念日を祝うという発想が、私にはあまりないような気もします。
もしかしたら、節子はそれが不満だったかもしれませんね。

節子は病気になってから、いつも言っていました。
いろいろの思い出を残しておきたい、と。
思い出は残りましたが、それがカレンダーの月日につながらないのが、私の欠点かもしれません。
そういう点でも、私はいささか常識が欠落していたのでしょう。

それに、NKさんのメールを読んで気づいたのですが、2人で何かを祝ったという記憶があまりないのです。
もちろん喜びを分かち合うのは、いつもでしたが、改まって祝膳を囲むとか、記念日につなげて旅行をするとかいうことがありませんでした。
思い出してみると、節子はそういうのが好きだったような気がします。

結婚式でさえ、私にはただ煩わしいだけで、やりたくなかったのです。
結局、節子の両親や親戚のために節子の実家のほうでやったのですが、そういう儀式やあらたまったことがとにかく嫌いだったのです。
今にして思えば、よくまあ節子はそれについてきてくれました。
でもきっと、節子の「女心」には不満だったのでしょうね.

記念日ではないですが、いまは毎月の月命日だけはしっかりと意識しています。
気づくのが遅すぎました。

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2009/02/01

■NPOへの資金助成の甘味な罠

一昨日、書き出したのに全く違った記事になってしまったので、もう一度、書きます。

前回、書いたように、「NPOの集まりでは、どこから助成金をもらおうかとかいうお金の話がよくでるのに、コムケアの集まりってそういう話が全く出ないのでホッとします」という感想は、私にとっては最高にうれしい感想でした。
CWSコモンズの方に書きましたが、
私は、お金につかりきった最近の社会から抜け出したいと思っています。
お金から発想している限り、事業型NPOとか社会起業家、コミュニティビジネスなどと言ってみたところで、これまでの企業(企業が悪いというわけではありません)と何も変わりません。
住民活動や市民活動は、そうした金銭の呪縛から解放されないといけないと思っています。
もちろんNPOにしろボランティア活動にしろ、「お金」は大切ですが、お金に振り回されてしまっては、何のための活動かと言うことになります。
お金がなくてもできることはたくさんありますし、お金があるためにできなくなることもたくさんあります。
ですから、NPO中間組織や行政の資金調達講座などには違和感があります。
日本のNPOにはファイナンスがわかるスタッフが不足しているという意見があります。
私もそう思いますし、ファイナンスは大切だと思っています。
しかし、だからといって、資金調達がファイナンスのすべてではありません。

私も数年間、NPOに対する資金助成プログラムの事務局長をやったことがあります。
そこで感じたのは「資金助成の甘味」です。
資金助成したNPOを、私が訪問すると、まるで私が資金援助したように感謝されます。
私たちの助成資金額はそう多いものではありませんでしたが、10万円でも助成されると感謝されてしまうのです。
しかし、私の発想は全く反対です。
助成した資金を効果的に活かしてくれた資金先にこそ、資金提供者は感謝すべきです。
その関係は、本来、その資金を出してくれたスポンサー企業と私たち資金助成事務局との関係でもありますが、それを理解してくる企業はそう多くはありません。

「貧者の銀行」といわれるグラミン銀行の創始者、ムハマド・ユヌスは施しについて次のように語っています。

施しをすることは、貧しい人たちの抱えている問題を無視し、ただ彼らを堕落させるだけだ。
施しをすることは彼らをますます惨めな立場にし、やる気や、もっと大切な、自尊心を奪ってしまうのである。
支援学を提唱している今田高俊さんは、次のように書いています。
支援によって被支援者を甘やかし、かえって本人のためにマイナスの結果をもたらす危険性を持つことに注意が必要である。支援はヒューマニズムに基礎づけられるべきものではない。安易なヒューマニズムは支援にとって邪魔になる。ヒューマニズムは人間の心に訴える力を持っており、慈善活動そのものは賞賛されるべきことがらだが、社会運営の基本原理とはならないことを認識すべきである。
彼は、支援が成立する条件として、「被支援者が支援を当てにして自助努力を損なってはならず、支援者はそのような状況に至らしめる過剰支援を与えてはいけない」をあげています。
今田さんがいうように、支援はエンパワーのためであって、救済のための慈善行為であってはなりません。
支援するほうも、される方も、お金の魔力に負けてしまう恐れがあるのです。

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■節子への挽歌518:魂の雫

節子
書けずにいた年賀状の返事を、やっと昨日までに送り終わりました。
電子メールをされている方にはメールにさせてもらいました。
こういう形で返事を出すことには迷いもあったのですが、月を越える前にともかく出しておこうとふんぎってしまいました。
「迷ったら行動」というのが、私たちの文化でもありましたが、なかなかその気にはなれなかったのです。

しかしやはり行動するといろんなことがまた始まりだします。
最初に届いたのが、ライターのTYさんからです。

魂の雫にも似た、よいお便り、ありがとうございました。
直接、生の声で、現在の胸中を語っていただきたいと願っているですが、なかなか約束ができない状態にあります。
でも、必ず、どこかでお会いしたいと思っています。桜が咲く頃がいいですね。連絡します。
寒いですから、体に気をつけてくださいますように。 
実は、この返信が最初に届いたので、後の人への返事もできたのです。
人は励まされるとがんばれるものです。
私は、節子を励ましてきただろうか、やはり悔いが残ります。

「魂の雫」
ものを書くことをお仕事にされている方だけに、はじまりの一言で、心を開かれます。
TYさんには、私もしばらくお会いしていませんが、家族のテーマに深く思いをもっている方です。
「生の声で、現在の胸中を語る」ことはたぶん私にはできないでしょうが、やはり妻を失った人と会うのは何がしかの心の覚悟が必要なのでしょうね。
そういえば、私より10歳近く年上の方は、会うなり、奥さんを亡くされて佐藤さんは人が変わったのではないかと心配してましたよ、といいました。
その方とはある偶然でお会いする羽目になったのですが、その偶然の事故がなければ、まだお会いできていなかったかもしれません。
みんなきっと会うのが「不安」なのです。
私も、同じような体験があります。
私が変わってしまったかどうかは、私には判断のしようもありませんが、変わりもしたし、変わらないままでもあるし、というのが現実でしょうか。

北海道に転居した飯沼さんの返信にも心洗われました、
直接的な言及は全くありませんが、気持ちが深く伝わってきました。

佐藤さん
厳寒の夜はシーンという音が聞こえます。
で、全身を耳にして、その音を探る。
するとどうやら身体の深奥から聞こえてくる。
身体の深奥には音があるようです。
それは宇宙の音なのかもしれない。
そんなことを感じています。

日が伸びてきました。嬉しい限りです。
やっぱり、人間は光合成している動物、
そんなことを実感しています。
少しだけ怖いものがなくなってきました。
早い機会に、お会いしたいと思っています。

最後の1行がとても大きく心に残りました。
気楽にみなさんが(みなさんに、ではありません)会えるようになりたいと思いました。
この挽歌を書き続けている以上、無理なのでしょうか。
そんなことはないと思っているのですが、さてどうでしょうか。

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