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2009/02/16

■新しき村への期待

このブログに、過疎地には仕事が山積みですと書いたら、それをよんでくれたひとがコメントをかいて質問してました。

和歌山のあるまちについて詳細を知りたいです。
自然な営みに近い生活スタイルと家族移住を考えています。
ちょうど、2日前の朝日新聞の投書欄に、「職住困ったら,田舎においで」という投稿がありました。兵庫県の74歳のお年寄りの投稿です。
著作権などがあるのかもしれませんが、とても共感できる文章であり、できるだけ多くの人に読んでほしいので、少しだけ省略しましたが、ほぼ全文を引用させてもらいます。
100年に一度の不況で都会では職を失い、路頭に迷っている人が多いようです。この際、地方から出てきた人は、いったん田舎に帰ってはどうでしょうか。田舎の出身でない人でもいい。私の住んでいる周りには空き家や遊んでいる田畑はいくらでもあります。
 帰る家のない人はそこで寝泊まりし、米や野菜を作ります。栽培方法は老人たちが教えてくれます。食と住は確保されます。すぐ農産物から収入は得られませんが、集荷を手伝う道もあります。
 景気がよくなれば都会に戻ればいいし、農業が好きになれば、住み続けるのもいいでしょう。
一時的でも生活する場所を得ることが最優先。終戦直後は、疎開した多くの人が、国土の復興に貢献しました。不況時の疎開は、ふるさと活性化にも役立つでしょう。
私もそう思います。
意識をちょっと変えるとさまざまな生き方が見えてきます。
それにこんなに豊かで穏やかなところ(日本)は、今の世界にはそうはありません。
もっと平安に生きていく方策はたくさんあるはずです。
残念ながら私はその生き方ができていませんが、もう少し早く気づけばどうにかなったかもしれないと思うこともありません。
今となっては、その気は私には全くありません。
その理由は、挽歌編に書いているように妻がいなくなったからです。
それに娘たちには、その生き方を選ぶ育て方をしてきませんでしたから、もう無理のようです。

問い合わせのあった方には、早速、和歌山のことも含めて、情報をもっている友人を紹介しようと思います。
こうした思いを持った人は少なくないとしたら、今こそ、「新しき村」が実現できるかもしれません。
昨年、実は、そうしたことを少し考えたこともあるのです。
もしそんな村ができたら、生き方を間違ってきた私も移住できるかもしれません。
挽歌編に書いたように、「老いて」しまった私には、いささか荷が重く、作り手にはなれないのが寂しいですが。

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