■節子への挽歌545:愛と執着
前にも書いたE.フロムは、「愛」と「執着」とは違うといいます。
フロムは、愛というものは、「人間のなかに潜むもやもやしたもの」であり、それがさまざまな形で表出すると考えます。
対象によって引き起こされるものではなく、自らから溢れ出るものだと考えるのです。
ですから人は、さまざまなものを愛することが出来ます。
たまたま現在の日本のような一夫一妻文化の中では、複数の異性とは夫婦になることはできませんが、それは「愛」の話ではなく「制度」の話です。
そうした考えからフロムは、「ただ一人にだけ向けられた愛が、排他的なものになってしまえば、それは愛ではなく、執着である」といいます。
挽歌を書き続けている私は、フロムからみると、愛ではなく執着ではないかと思われそうな気もします。
しかし、冒頭に書いたように、節子と私は決して「執着し合う関係」ではなく、正真正銘「愛し合う関係」でした。
それぞれの相手だけではなく、自らのなかにある「もやもやした愛」をさまざまなものに向けてきました。
浮気とかそんな話ではないことはわかってもらえると思いますが、相互に愛し合う関係が閉じられてしまうと、その関係は深まりもせず豊かにもなりません。
節子と私は、お互いにそのことをよく知っていました。
節子がいなくなった後、私はどうなったでしょうか。
私のなかにある「もやもやした愛」が、一番の行き場をなくして、他のところに向かったでしょうか。
そうはなっていないのです。
節子がいなくなってから、「もやもやした愛」の全体量とその動きが低下したような気がします。
あまり的確なたとえではないのですが、ドライアイスを水に入れると白い蒸気が容器から溢れるように盛り上がってきますが、その状況で、水の中のドライアイスがなくなってしまったような感じなのです。
なにか頼りなく、消えるような不安があります。
最近、持続力がないと何回か書きましたが、それはこういうことなのです。
もちろん、新たなものを愛することができないというわけではありません。
いまでも節子がいた頃と同じく、人を見ると愛したくなり、事物に接すると愛したくなります。
もっとも、私の愛とは、「この人、このことのために何かできることはないか」という程度のものなのですが、その思いがなかなか持続し、行動につながらなくなってきてしまったのです。
私の「愛」は、実は節子の「愛」とのつながりのなかで、「創発」されていたのではないか。
最近、そんな気がしてきました。
「半身を削がれる」ということは、そういうことなのかもしれません。
もしフロムのいう「もやもやした愛」が、人の生きる力の源泉であるとすれば、私のそれはかなりの部分、節子と一緒に彼岸に吸い込まれてしまったようです。
「もやもやした愛」がなくなってくると、人生はあまり面白いものではなくなってきます。
どうしたらこの流れを反転できるでしょうか。
まあ、そのうちきっと反転するでしょう。
もし私にまだ彼岸に行くまでの時間がかなりあれば、ですが。
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