■誠実に生きることを阻害する社会
昨日、あるメーリングリストで「右派政治団体によるデモを撮影中に妨害される」という体験が投稿されました。
あまりにもうるさいデモ行進を路上で撮影していたら、「公安刑事(と思われる人)から取り押さえられた」のだそうです。
本人のブログで映像も紹介されていますので、ご覧ください。
同じブログに、新宿東南口広場での街頭演説に対する警察の介入のことも紹介されています。
最近、金泰明(大阪経済法科大学教授)の「欲望としての他者救済」を読みました。
読み終えた時に、なぜか涙が出ました。
本を読み終えて、涙が出たのは初めての体験です。
その本の最後の「そのような自由な市民になりたいと、わたしは心から願う」という1行に、感動したのです。
著者の金泰明さんは、この本の中で、「ふとしたことで、苦境に陥った知人を助けたために、思わぬ難儀にあった」ご自身の体験を紹介しています。
もし書店で本書を見つけたら、その部分(185~188頁)だけでも読んでみてもらえるとうれしいです。
「そのような自由な市民」
それは本書を読んでもらわないとわかってはもらえないでしょうが、誤解を覚悟で、最後の1行の前に書かれている文章を引用させてもらいます。
人に頼まれたからでもなく、いやいやするのでもなく、気がついたら、いつでも気持ちよく因っている他人を手助けできる、そんな「私」であるために、わたしは、つねに自分への配慮から出発し、良心にもとづき判断・行動し、市民としての自覚をもち続けたいと思う。
私が常々意識している生き方に重なっています。
私には「社会のために」という意識は全くありませんが(「社会のために」という意味が理解できないのが理由ですが)、自分を誠実に生きることが、みんなが快適に過ごせる社会に繋がっていくと考えています。
また、そうなるように、いつも自分の生き方を問い直しています。
誠実に、素直に生きている人が、事件に巻き込まれることは決して少なくありません。
事件に巻き込まれはしないとしても、あまり「いい目」にあうことはありません。
それに、今の時代は、誠実に生きることがとても難しいような気がします。
しかし、やはり、誠実に、素直に生きていかないと生まれてきた意味がありません。
残念ながら、私自身、そうした誠実さを最近失ってきているような気がしています。
なぜか以前のように心身が動かないのです。
昨夜、NHK教育テレビのETV特集で、辺見庸さんの独白が放映されました。
そこでもカミユの「ペスト」の主人公の「誠実さ」が言及されていました。
「誠実さ」とは何なのだろうか。
そのことがとても気になりだしました。
偶然にも昨年、40年ぶりに「ペスト」を読んだのは、何かの意味があるのかもしれません。
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