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2009/02/01

■NPOへの資金助成の甘味な罠

一昨日、書き出したのに全く違った記事になってしまったので、もう一度、書きます。

前回、書いたように、「NPOの集まりでは、どこから助成金をもらおうかとかいうお金の話がよくでるのに、コムケアの集まりってそういう話が全く出ないのでホッとします」という感想は、私にとっては最高にうれしい感想でした。
CWSコモンズの方に書きましたが、
私は、お金につかりきった最近の社会から抜け出したいと思っています。
お金から発想している限り、事業型NPOとか社会起業家、コミュニティビジネスなどと言ってみたところで、これまでの企業(企業が悪いというわけではありません)と何も変わりません。
住民活動や市民活動は、そうした金銭の呪縛から解放されないといけないと思っています。
もちろんNPOにしろボランティア活動にしろ、「お金」は大切ですが、お金に振り回されてしまっては、何のための活動かと言うことになります。
お金がなくてもできることはたくさんありますし、お金があるためにできなくなることもたくさんあります。
ですから、NPO中間組織や行政の資金調達講座などには違和感があります。
日本のNPOにはファイナンスがわかるスタッフが不足しているという意見があります。
私もそう思いますし、ファイナンスは大切だと思っています。
しかし、だからといって、資金調達がファイナンスのすべてではありません。

私も数年間、NPOに対する資金助成プログラムの事務局長をやったことがあります。
そこで感じたのは「資金助成の甘味」です。
資金助成したNPOを、私が訪問すると、まるで私が資金援助したように感謝されます。
私たちの助成資金額はそう多いものではありませんでしたが、10万円でも助成されると感謝されてしまうのです。
しかし、私の発想は全く反対です。
助成した資金を効果的に活かしてくれた資金先にこそ、資金提供者は感謝すべきです。
その関係は、本来、その資金を出してくれたスポンサー企業と私たち資金助成事務局との関係でもありますが、それを理解してくる企業はそう多くはありません。

「貧者の銀行」といわれるグラミン銀行の創始者、ムハマド・ユヌスは施しについて次のように語っています。

施しをすることは、貧しい人たちの抱えている問題を無視し、ただ彼らを堕落させるだけだ。
施しをすることは彼らをますます惨めな立場にし、やる気や、もっと大切な、自尊心を奪ってしまうのである。
支援学を提唱している今田高俊さんは、次のように書いています。
支援によって被支援者を甘やかし、かえって本人のためにマイナスの結果をもたらす危険性を持つことに注意が必要である。支援はヒューマニズムに基礎づけられるべきものではない。安易なヒューマニズムは支援にとって邪魔になる。ヒューマニズムは人間の心に訴える力を持っており、慈善活動そのものは賞賛されるべきことがらだが、社会運営の基本原理とはならないことを認識すべきである。
彼は、支援が成立する条件として、「被支援者が支援を当てにして自助努力を損なってはならず、支援者はそのような状況に至らしめる過剰支援を与えてはいけない」をあげています。
今田さんがいうように、支援はエンパワーのためであって、救済のための慈善行為であってはなりません。
支援するほうも、される方も、お金の魔力に負けてしまう恐れがあるのです。

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