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2009/02/11

■節子への挽歌528:家族が減っていくさびしさ

節子
今日は父の命日です。
私たちは途中から私の両親と同居していましたので、私たち家族にとっては父の葬儀は最初の家族を見送る体験でした。
父も自宅で看病していました。
まだ母も元気だったので、母が中心になって看病していましたが、節子もいろいろと大変だったと思います。
私は会社勤めをしており、しかもかなり忙しかったので、あんまり看病には参加していませんでした。

父を見送った後、私は会社を辞めました。
父の残された時間がそう長くないことを知りながら、会社の仕事の忙しさに時間を向けてしまい、ゆっくりと話す時間さえとらなかったことも、会社を辞めた理由の一つでした。
もっとも会社を辞めると、それ以上に忙しくなることに、その時はまだ気づいていませんでした。
父の葬儀は、とても寒い日でしたが、私が会社勤めをしていたこともあって、たくさんの人が見送りに来てくれました。

父の看病をしてくれていた母も、今はいません。
母の看病は節子がよくしてくれました。
当時、節子も体調はあまりよくなかったのですが、とてもよくしてくれました。
家族が減っていくことは寂しいことです。
しかし私には節子がいましたから、葬儀にも涙を流すことはありませんでした。

次は私ですから、もう家族を見送ることはないなと思っていたのですが、そうはなりませんでした。
思ってもいなかったことで、今でも納得できていないのです。
どこかで何かが間違っているとしか思えません。
家族が減ることの寂しさはとてつもなく大きいです。
伴侶がいなくなることは、さらにそのさびしさとは別のさびしさがあります。

こどもが結婚して家を出る場合は、同居家族は減りますが、家族が増える感じもあるでしょう。
しかし、彼岸への旅立ちはさびしさだけです。
それにどう立ち向かえばいいのか。
世代が継承されていく大家族制度が、もしかしたらその解決策かもしれません。

父を見送った日のように、今日もどんよりとした寒い日です。
節子は彼岸で父母に会っているでしょうか。
今日はとてもさびしい気分で、なかなか元気が出てきませんでした。

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