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2009/02/03

■節子への挽歌520:節子と過ごす月命日

節子
昨日、「記念日」の話を書きましたが、今日は節子の17回目の月命日です。
そして明日は節子の誕生日。
意識すると、毎日が記念日ですね。

今日はまた節分です。
朝、娘から「今日は豆まきをやるの」と訊かれました。
実は今日はめずらしく私ひとりなのです。
いつもは自宅でスペインタイルをやっているジュンも出かけていますので、今日は一人でのんびりとしています。
月命日は原則として出かけないことにしているからです。

豆まきは一人でやるのはいささか寂しいので、迷っています。
節子は豆まきが好きでしたが、我が家には、鬼も福もいますので、あえて豆などまかなくてもいいでしょう。
それに今気づいたのですが、豆がありませんね。

豆がない。
私は、井上陽水の「傘がない」が好きでした。
傘がなくても行かなくちゃいけないところがある時は幸せです。
いまの私は、傘があろうと時間があろうと、行かなくちゃと思えるところがありません。
いや、行かなくちゃと思えるところは、一か所だけありますが、
そこは傘があろうと時間があろうと、私の意志では行けるところではありません。

先ほどまで、気持ちの良い日差しの中で、ぼんやりと外を見ていました。
気のせいか、彼岸まで見えるような、そんな幻覚さえ感じながら、です。
こんなに平安な時間を過ごせることに、感謝しなければいけません。
私がこのごろ、好きなのは、こうした「無為」の時間です。

しかし、お腹がへってきたので、気がついたのですが、昼食を食べなければいけません、
そういえば、今日は、娘たちもなぜか昼食の用意をしていってくれませんでした。
そろそろ自立したらということでしょうか。
どうも節子が心配していた通りになってきているのかもしれません。
節子との支えあいに浸っていたために、私の自立心は育たなかったのです。
何だか、一昨日時評編に引用した今田さんの言葉が思い出されます

。「支援によって被支援者を甘やかし、かえって本人のためにマイナスの結果をもたらす危険性を持つことに注意が必要である」
節子の優しさは、私をだめにしてしまったのですね、きっと。

仕方がないので、ポップコーンをつくることにしました。
これでお腹は満たせるでしょうか。
ところが、あいにく、コーヒーもないのです。
昨日の来客に最後のコーヒーを出してしまったのを思い出しました。
以前だと、「節子、コーヒーが無いぞ」といっておけば、魔法のように翌日にはコーヒーがあったのですが、そんなことももうなくなりました。

伴侶のいることの幸せ。
伴侶のいないことの寂しさ。
今日は、そんなことを思いながら、節子と時間を共有しようと思います。

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妻への挽歌03」カテゴリの記事

コメント

お邪魔します。
近所の陸橋の上から、白く輝く富士山がよく見えました。心地よい風と、色んな所で節様がお好きな花が見頃で、そんな美しい花を見ながら、
佐藤さんが、今日も、さまざまな色に咲き誇った、たくさんのお花の咲くお庭で、節子様とご一緒にお過ごしになったのだろうと思いました。

投稿: tugi | 2017/05/03 21:43

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