■節子への挽歌518:魂の雫
節子
書けずにいた年賀状の返事を、やっと昨日までに送り終わりました。
電子メールをされている方にはメールにさせてもらいました。
こういう形で返事を出すことには迷いもあったのですが、月を越える前にともかく出しておこうとふんぎってしまいました。
「迷ったら行動」というのが、私たちの文化でもありましたが、なかなかその気にはなれなかったのです。
しかしやはり行動するといろんなことがまた始まりだします。
最初に届いたのが、ライターのTYさんからです。
魂の雫にも似た、よいお便り、ありがとうございました。実は、この返信が最初に届いたので、後の人への返事もできたのです。
直接、生の声で、現在の胸中を語っていただきたいと願っているですが、なかなか約束ができない状態にあります。
でも、必ず、どこかでお会いしたいと思っています。桜が咲く頃がいいですね。連絡します。
寒いですから、体に気をつけてくださいますように。
人は励まされるとがんばれるものです。
私は、節子を励ましてきただろうか、やはり悔いが残ります。
「魂の雫」
ものを書くことをお仕事にされている方だけに、はじまりの一言で、心を開かれます。
TYさんには、私もしばらくお会いしていませんが、家族のテーマに深く思いをもっている方です。
「生の声で、現在の胸中を語る」ことはたぶん私にはできないでしょうが、やはり妻を失った人と会うのは何がしかの心の覚悟が必要なのでしょうね。
そういえば、私より10歳近く年上の方は、会うなり、奥さんを亡くされて佐藤さんは人が変わったのではないかと心配してましたよ、といいました。
その方とはある偶然でお会いする羽目になったのですが、その偶然の事故がなければ、まだお会いできていなかったかもしれません。
みんなきっと会うのが「不安」なのです。
私も、同じような体験があります。
私が変わってしまったかどうかは、私には判断のしようもありませんが、変わりもしたし、変わらないままでもあるし、というのが現実でしょうか。
北海道に転居した飯沼さんの返信にも心洗われました、
直接的な言及は全くありませんが、気持ちが深く伝わってきました。
佐藤さん最後の1行がとても大きく心に残りました。
厳寒の夜はシーンという音が聞こえます。
で、全身を耳にして、その音を探る。
するとどうやら身体の深奥から聞こえてくる。
身体の深奥には音があるようです。
それは宇宙の音なのかもしれない。
そんなことを感じています。日が伸びてきました。嬉しい限りです。
やっぱり、人間は光合成している動物、
そんなことを実感しています。
少しだけ怖いものがなくなってきました。
早い機会に、お会いしたいと思っています。
気楽にみなさんが(みなさんに、ではありません)会えるようになりたいと思いました。
この挽歌を書き続けている以上、無理なのでしょうか。
そんなことはないと思っているのですが、さてどうでしょうか。
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