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2009/02/08

■節子への挽歌525:一番大切なのは「愛」

節子
昨日、ボランティアフォーラムTOKYO 2009に行ってきました。
私が参加したのは、「それぞれのプライスレス」。
お金も大切だけれど、もっと大切なものがあるのではないかというワークショップです。
そこで参加者のみなさんが、話し合いながら何が大切かを議論して発表してくれました。
グループによって違いはありましたが、いずれのグループも「愛」が1位か2位でした。
私はゲストとして呼ばれていたのですが、同じゲストの姜咲知子さんも私も、「愛」が1位でした。
参加者の中には、契約社員やそれを切られた人も何人かいましたが、順位づけの議論はかなり白熱したようです。

「愛」と「お金」とどちらが大切かは比較しようのないことかもしれませんが、今の時代は、あまりに金銭信仰が広がっているのが残念です。
私の論理は極めて簡単です。
愛でお金は買えますが、お金で愛は買えませんから、愛のほうがお金よりも価値があるはずです。
こんな言い方をすると誤解されそうですが、節子と会えなくなった今、心底そう思います。

しかし、「愛」とはいかにも抽象的な言葉で多義的です。
愛の対象や愛し方によって、愛には「排除」の要素がありますから、愛の裏には憎しみや冷たさも同居しているのです。
「愛」が引き起こす悲劇も決して少なくありません。
その意味では、「愛」も「お金」も同質なのかもしれません。
まあこれは書き出すと長くなりますのでやめますが、「愛」とか「平和」という言葉の持つ両義性の落とし穴には気をつけなければいけません。

ワークショップを終えて、帰りの電車の中で、
私の人生にとって、何が一番大切だったかと聞かれたら、何と答えるだろうかと自問しました。
答は明確で、「節子」です。
「愛」でも「お金」でもなく、伴侶である節子です。
では、節子がいない今は、どうだろうか。
これは難問です。
いろいろと考えたあげく、やはりそれでも「節子」だなと思いました。
そして、私が息を引き取る時に、その節子に「ありがとう」と言えないことが急に悲しくなりました。
「愛」というのは楽しくもあり、悲しくもあるものです。

ところで、お金があれば生きられるが、愛だけでは生きられない、という人が少なくありません。
そうでしょうか。
これに関しては、時評編に少し書かせてもらいました
今回は時評編と合わせて読んでもらえるとうれしいです。

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