■節子への挽歌544:節子に言えば何とかなるだろう
節子
山のように「やらなければならないこと」が溜まっています。
今日は、それをこなそうと外出をやめ、取り組みだそうとしたのですが、もう半日過ぎたのに、ほとんど「やるべきことの山」は減っていません。
何もやっていなかったわけではなく、一応、パソコンには向かっていたのですが、まあ「急がなくてもいい」「やらなくてもいい」ことばかりやっていたのです。
やらなければいけないことが増えるほどに、やらなくてもいいことに気が向いてしまうのは、私の性格です。
まあ言ってしまえば、「逃げるタイプ」なのでしょう。
もう間に合わないぞ、というくらいまで、自分を追い込まないと「やらなければいけない」ことに着手できないのです。
困ったものですが、この性格は直りません。
節子は、反対でした。
まず「やらなければいけないこと」からはじめ、それも「できる時にやってしまっておく」という姿勢でした。
もっとも、それは建前でしたので、私から見れば、必ずしもそうではないような気もしますが、節子はいつもそう言っていました。
「今日やれることは今日やる」節子と、「明日でもいいことは今日はやらない」私とは、そのライフスタイルはまったく違いましたが、まあそれぞれに自分側に引きづり込もうと相互に働きかけあっていました。
しかし、節子がいない今、私は目いっぱい、ぎりぎりまで延ばします。
度胸があれば平然と延ばすのでしょうが、気が小さいので、大丈夫かな、やらないとだめだなとストレスをためながら延ばしているわけです。
不思議なのですが、それをストレスと感じ出したのは、この1年です。
節子がいた頃は、ストレスにはなっていなかったのです。
たぶんいざとなったら「節子」に言えば何とかなると思っていたのです。
もちろん節子に「何とかできる」はずなどありません。
節子とはまったく無縁な仕事が多かったからです。
でも不思議なことに、そう思えるのが伴侶なのです。
さて、こんなことを書いているよりも、仕事をしなければいけません。
それにしてもやることがたくさんありすぎて、やる気が起きません。
節子がいたら、一緒にお茶など飲んで、やる気を出してもらえるのですが。
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