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2009/02/11

■漢字検定ビジネス問題に思うこと

漢字検定で高収益を上げてしまった公益法人が問題になっています。
まあ国家行政機関の高収益に比べれば、たかだか数百億円でしょうから高がしていますが、資格検定制度はまさに働かずに稼ぐバブル事業モデルだと思っています。
しかも、この事業モデルは華道や茶道のような、日本の伝統文化の中で育てられてきています。

私は「資格」の類を一切持っていませんが、子ども頃から資格に関しては生理的に馴染めませんでした。
それに資格を得るために努力することの出来ない人間でした。
高校と大学は受験しましたから、10代の頃までは徹底していませんが、20代以降は怠惰を決め込んできました。
同時に、資格ビジネスには大きな違和感を持っていました。
資格を与えてお金をとる。つまり資格の売買のようなイメージが私には強すぎるのです。
何だか、人間の豊かさ(個性や能力)が貶められているようで、嫌な気がします。

弁護士や公認会計士などの専門家としての資格は、信頼関係構築のための社会の複雑性の縮減のために必要ですし、それらは「資格」が目的ではなく、「仕事」をするための要件ですから、意味合いは全く違います。
しかし、漢字検定だとか英語検定とかいう話になると、どうも違和感があるのです。
ましてやそれがビジネスになるというのは不思議です。
まあ一種の化粧ビジネスと思えばいいのかもしれませんが、その化粧ビジネスも私には違和感がありますので、どうもだめなわけです。

検定ビジネスは「事業利益」という点では魅力的でしょう。
うまくいけば、働かずに定期的に利益が入ってくる仕組みが構築できるからです。
違和感はありますが、その一方で、私も不労所得が継続的に入ってくる「資格提供者」の立場になりたいと思わないわけではありません。
まあ、そこが私のいやしいところですが、もしそうなれば、その利益でいろいろなことができるでしょう。

それにしても最近は驚くほどさまざまな資格検定があります。
私の友人知人も、なんだかさまざまな資格を持っている人が多いです。
そういう話を聞くと、資格制度に違和感を持っているといいながらも、どこかで感心したりしてしまう自分に気づいて、やはり人間は資格には弱いものなのだと思ってしまうこともあります。
どうも私は、いやしいだけではなく、同調主義者でもあるようです。

しかも、こんな資格認定制度を作って儲けようなどという誘いがあると、ついついその儲け話に乗りたくなりさえします。
幸いに今のところは、実際には乗ったことはありませんが、それは主義のためよりも怠惰なためです。困ったものです。

時評のつもりが、懺悔になってしまいましたが、こうした資格検定ビジネスを強力に支援してきたのが政府であることを忘れてはなりません。
「検定」などの仕組みに飼いならされてはいけません。

そのことの意味を書こうと思っていたのですが、懺悔が長くなってしまいました。
また機会を改めます、

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