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2009/02/25

■節子への挽歌542:「死者を忘れてはいけない」

節子
今年のアカデミー賞で、『おくりびと』が外国語映画賞を受賞しました。
またつい先日には、直木賞では『悼む人』の受賞が話題になりました。
この世界には造詣の深い佐久間さんから、お話をお聞きしていたのですが、まだ観る気にも読む気にもなれずにいます。
とりあげるつもりはなかったのですが、いまこの時期に、この2つの作品が、これほど話題になるのは、もしかしたら何かのメッセージがあるのではないかという気がちょっとしてきました。

『おくりびと』の映像の一部を最初に見たのも、今から思えば衝撃的な事件でした。
1年ほど前に、箱根の合宿に参加した時のことです。
箱根は節子との思い出が多すぎて、会場のホテルに行くのがやっとでした。
でも、長年引き受けている仕事でしたので、休むわけにはいかなかったのです、
部屋に入って、節子のことを思いながら、無意識にテレビをつけました。
そうしたら、まさに「納棺」の場面が飛び込んできたのです。
映画の話は知っていたので、すぐわかったのですが、あわてて切りましたが、私にとっては衝撃的な出来事でした。
そのことがあったため、『おくりびと』という言葉を聞いただけで、実は心がどきどきしてしまうようになってしまいました。

『悼む人』に関しては、佐久間さんが雑誌に寄稿した感想を送ってきてくれました。
それを読んで、読めそうだと思いました。
佐久間さんは、自分が常日頃から考え続けていることがこの小説に書かれていると書いています。
それは、「死者を忘れてはいけない」ということだそうです。
そうであれば、読めるどころか、読みたい気もします。
しかし、この小説もまだ読めていません。
本の装丁に大きな抵抗があり、アマゾンでも申し込めなかったのです。
装丁が悪いといっているのではありません。
なぜかすごくリアルな感じが伝わりすぎて、ドキドキしてくるのです。
この本は部屋には置けそうもありません。

そんなわけで、私はどうも世間の動きについていけずにいます。
佐久間さんには、まだだめですかと笑われそうですが、だめなのです。
しかし、「死者を忘れてはいけない」という言葉は、私の心にずっと残っています。
私にとって、節子は忘れようもありませんが、それは節子がいまでも私にとっては「死者」ではないからです。
でもその一方で、節子に関して、「死者は忘れられていく」という悲しさも感じます。
とても矛盾しているのですが、それが正直な私の気持ちなのです。
「愛するひと」との別れは、なかなか乗り超えられないのです。

この2つの作品が話題になっていることは、私へのエールなのでしょうか。

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