■節子への挽歌534:実現できなかった節子の座卓
昨日、近くの材木屋さんの前を通ったら材木置き場がきれいに整理され、何もなくなっていました。ご主人はご高齢ですから、廃業するのかもしれません。
この材木屋さんにも、節子の思い出がひとつあります。
わが家を新築した時、節子は自然木でできた素朴な座卓をリビングにほしがっていました。
座卓というと、たとえば屋久杉でできた加工された座卓などをイメージしますが、節子がほしがっていたのはそうではなくて、大きな自然の材木の1枚ものに、ただ素朴な脚がついたものでした。
節子は、私と一緒で、コテコテした人工的な装飾や細工は好きではないのです。
しかし平板な機能的なものも好きではなく(ここが私と少し違います)、自然が自然に作りこんだ個性的な表情が大好きでした。
お金を出せばそういうものも買えたのですが、新築当初、わが家にはお金がありませんでしたので、あまり高価なものは手が出ませんでした。
限られた予算ではいいものはなく、予算を超えてもほしくなるようなものには出合えませんでした。
私と節子の意見が少し違っていたことにも一因がありました。
希望する大きさが違っていたのです。
お互いの好みの違いを言い合うことも、私たち夫婦の楽しみの一つでした。
なかなか見つからないので、手づくり好きのわが家では、1万円の加工木板を買ってきて、ニスを塗って脚をつけて当座をしのぐことにしました。
そのうち、節子の病気が発見されてしまい、座卓どころではなくなりました。
もし私がもっと節子思いだったら、節子好みの座卓を探して節子にプレゼントしたでしょうが、私はそういうのが全く不得手なのです。
節子は少し元気を回復し、散歩を一人で出来るようになってから、その材木屋さんの入り口においてあった1枚板を見つけました。
それを使って座卓にしてもらったらどうかと思ったのでしょう。
ある時、私もそれに気づき見てみたら、そこに「予約済み」と書いてありました。
節子に1枚板を見つけたけれど、もう予約されていたよと話すと、その予約は私かもしれないというのです。
座卓にできるかどうかを木材屋のご主人と雑談したのだそうですが、きっと節子がほしそうだったのでご主人が予約として確保してくれていたのです。
もっとも節子にとっては、十分に満足できるものではなかったようで、結局、その板はわが家には来ませんでした。
ですから、わが家にはまだ座卓はなく、1万円の手づくりの退屈な座卓しかないのです。
そんなことを思い出したら、節子の希望をかなえてやらなかったことがまだまだいろいろとあることに気づきました。
しばらくそんな話を書こうかと思います。
| 固定リンク
「妻への挽歌03」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌600:真実に生きる(2009.04.24)
- ■節子への挽歌599:遍在転生の死生観(2009.04.23)
- ■節子への挽歌598:寄り添う2人(2009.04.22)
- ■節子への挽歌597:美野里町の牡丹(2009.04.21)
コメント