■節子への挽歌521:節子の誕生日
節子
今日は節子の誕生日です。
あと何回、誕生日を迎えることができるだろうと、節子は一度だけ言ったことがあります。
62歳になる前の秋でした。
62歳の誕生日は、私たちにとってはとてもうれしい誕生日でした。
しかし、だからといって特別の記憶が残っているわけではありません。
矛盾しているのではないかといわれそうですが、まさかそれが節子と一緒に祝える最後の誕生日になるなどとは、誰一人考えていませんでした。
逆に、みんなそういう特別の誕生日にならないように、無意識に何もしなかったのかもしれません。
どう過ごしたのだろうかと私のホームページ(CWSコモンズ)を見てみました。
私のホームページには、私の生活のほとんどが記録されているのです。
だれもプレゼントも用意していない誕生日だったようです。
いつもは必ずユカが用意しているのですが、どうもそれもなかったようです。
節子は薄情な家族に囲まれていたと思われそうですね。
しかし、節子の友人は薄情ではなく、
滋賀の友人たちと近くの友人から、2つ、花が届きました。
家族がやったのは、一緒にケーキを食べることだけだったようです。
でも節子はとても幸せだったと思います。
なぜそう思うのかと問われると答えられませんが、間違いなくそう思います。
家族みんなから愛され、家族みんなといつものように、一緒に手づくりのケーキを食べられたからです。
節子はみんなが好きでした。
好きな人たちと一緒に、普段と同じ生活ができる。
それこそが節子の理想だったのです。
今となっては、その時、どんな会話がなされたのか思い出せません。
節子の日記(「いいことだけ日記」)を開けば、それが書いてあるかもしれませんが、節子がいなくなってから、私はその日記を開くことができません。
節子の残したものは、まだなかなか読み直す気にはなれません。
さて今日はどう過ごせばいいでしょうか。
まあ今日もいつものように、私らしく過ごそうと思います。
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コメント
はじめまして、誕生日おめでとうございます。
投稿: やきそぱマン | 2009/02/04 08:55