■節子への挽歌522:ゆったりした時間
友人知人から節子の話を聞くのは、とてもうれしいものです。
久しぶりにメールをくれた方が、メールの最後にこう書いてくれました。
一度コムケアのフォーラムでお目にかかりましたが、その時はまだ節子は病気の前だったのではないかと思いますが、その頃の時間軸も、「ゆったり」していたのかもしれません。
ゆったりと包み込む雰囲気をお持ちの方だなという印象をもったことを記憶しております。
私の時間軸は、若い頃から少し常識から外れていました。
若い頃はパラレルワールドにあこがれていましたし、しかも時間は前後するものだという奇妙な意識がありました。
結婚した頃、節子はそのおかしな時間感覚に翻弄されたはずです。
しかし、常識的な時間感覚を持った節子と一緒に暮らす中で、私の時間感覚もかなり矯正されました。
時計的な時間感覚もかなり強くなりました。
この人の言葉を借りれば、節子に「ゆったりと包み込まれた」のかもしれません。
手術後の節子の時間は、さらにゆったりと流れるようになりました。
一緒に歩いていると、たくさんの人に追い抜かれました。
一緒に何かをやっていても、そんなに急がないでと、時々言われました。
しかし、そのおかげで、私に見える世界が少し変わりました。
後で気づいたのですが、それでも節子は私の時間軸に近づけようとしていた気がします。
会社時代に私の仕事を補佐してくれていた女性から手紙が来ました。
春の気配が強くなりましたね。と書いてありました。
お宅の庭では奥様が丹精した花々が次々と咲いてくるでしょう。
節分が来ると、彼女は節子のことを思い出してくれるのだそうです。
節子はいまもみんなの思いの中にいることを思うと、とても気持ちが温かくなります。
庭の花が咲き出す季節も、もうそこまで来ています。
節子がいなくなってから、時間の足は速くなっているようです。
節子が急がしているのでしょうか。
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