■小泉発言は理にかなっていないのか
「三分の二」条項を使う場合は決議に欠席するという小泉発言が「理にかなっていない」という意見があります。
昨夜、ニュース23を見ていたら、キャスターの後藤さんまでがそう明言しました。
驚きました。
本当に理にかなっていないのでしょうか。
このブログで私は小泉元首相を犯罪者扱いするほど酷評しており、顔を見ただけで寒気が襲ってくるほど嫌いです。
八方美人の私がそれほど嫌うことはそうは多くないのですが、それほど嫌いな小泉元首相の発言であっても、この発言は理にかなっているように思います。
むしろ問題は、こうしたことを理にかなっていないと思う発想に恐ろしさを感じます。
小泉元首相(「小泉さん」と書くのに大きな抵抗があるので、常にこう書きます)は、補正予算案に賛成しました。
しかし、その案が参議院で反対されたとしたら、そこで考えが変わることはおかしな話ではありません。
誰がなんといおうと意見を変えないというのであれば、議論する必要はありません。
賛成したものが、他の場で反対を受ければ、それを踏まえて再考するところに議論の意味があります。
ニュース23の後藤さんは、再議決の意味を理解していません。
さらに民主主義の要素をこめた政治とは参加者の多様性を統合する仕組みです。
ねじれ国家の意義も、そこにこそあるわけです。
概して否定的に扱われますが、ねじれ国会は議会制度の中では正常な形なのだと思います。
参議院が反対しているのであれば、もう一度自分たちも考え直してみよう。
歩み寄る、つまり合意形成に努めよう、というのがなぜ理にかなわないのか。
それをせずに、ただ機械的に三分の二条項で、原案を可決しよう。
こういう発想こそが問題ではないかと思います。
政治を「勝ち負けの単純な構図」にしてしまったのは、レーガン以来の新自由主義信奉の政治屋たちです。
そして小泉元首相は、郵政民営化という問題で、それを真似て人気者になったわけですが、それが日本の政治を壊してしまいました。
しかし、今回の欠席発言は「理にかなっている」のではないかと思います。
自民党議員が、理にかなっていないというのはいいですが、ニュースキャスターまでがそういうようでは、マスコミがいかに権力の番犬(本来のマスコミは権力に対する番犬でしたが)に成り下がってしまったかです。
私には、ニュース23は見る価値がない番組になってしまいました。
蛇足ですが、この発言からの妄想を書き加えます。
小泉元首相はレーガンのように、利用されただけでしょうから(日本の軍国化と郵政関連資金の市場放出の目的遂行のためです)、彼を操るブレーンが周辺にいたはずです。
今回ももちろんいるのでしょうが、少しだけ人間的な常識(「理」)が感じられるのは、その管理の縛りがゆるくなったのかもしれないと思います。
それが、「理にかなう発言」になったのかもしれません。
しかし、そこからまさに「消費物としての政治家」という姿が見えてきます。
さらに、「日本の国会の本質」という姿も見えてきます。
小泉元首相は、俺の人気で三分の二体制をつくったのだから、俺の意向に反して勝手に三分の二条項を使うな、という「国会私物化」を別の発言であからさまに言っています。
官僚の傀儡政権に与えられたおもちゃが、もしかしたら国会なのかもしれません。
民主党もまた、そうしたおもちゃの装置で、馬鹿げた質問を繰り返しています。
しかしまあ、そうした「理にかなわない言動」こそが、彼らにとっては「利にかなう言動」なのでしょう。
国民にとっては、理にも利にもかなわないのが、残念です。
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