■節子への挽歌536:ロッキー山脈と三陸海岸
節子とは何回か海外旅行に行きました。
しかし、行き先はいつも私の好みで決めましたので、地中海の遺跡周りばかりでした。
エジプト、ギリシア、トルコ、イラン。
残念ながらそこでストップでしたが。
節子は、遺跡周りはそんなに好きではありませんでした。
崩れ落ちた廃墟を見て、何が楽しいのという感じでした。
私には廃墟から歴史の声が聞こえてくるのですが、節子はみんな同じ茶色のレンガよ、というのです。
たしかに、そういわれるとそうかもしれません。
節子もそれなりに楽しんではいましたが、本当はカナディアンロッキーやナイアガラのような、壮大な自然が、節子の好みだったのです。
地中海をひとわたり回ったら今度は私が付き合うよ、と節子には言っていましたが、結局、付き合うことはできませんでした。
病気になってから、三陸海岸に行こうと節子が行ったことがありますが、その時、なぜか私は行く気がしませんでした。
もちろん節子の体調もあったのですが、その旅行は実現できませんでした。
私はまた行けると思っていたのですが、節子はもしかしたら今行かないともう行けないと予感していたのかもしれません。
なんであの時行ってくれなかったのと節子から後で言われました。
しかしその言葉は私への恨みではありません。
修にはいろんなところに連れて行ってもらったというのが、病気になってからの節子の口癖でした。
本当は、私が連れて行ったのではなく、節子が私を連れて行ってくれたのですが。
連れて行く、連れられて行く。
今から思うと、私たちにとっては、それは同じことでした。
しかし、節子がいなくなってから1年半、私はどこにも旅行しなくなってしまいました。
次の旅行は、もしかしたら節子のいる彼岸かもしれません。
彼岸に行ったら、今度こそ節子に付き合って、ロッキー山脈とナイアガラ、そして三陸海岸に行こうと思います。
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