■謝罪は自らに向けられた言葉
やはりまた中谷巌さんのことを書くことにしました。
決して個人的な恨みなどなく、面識さえないのですが。
26日に中谷さんは大阪で講演し、「グローバル資本主義によって、日本の良さがどんどん壊されている」と話したそうです。
中谷さんに関しては前にも書きましたが、かつての新自由主義的な自説を懺悔し、話題になった経済学者です。
「いかなる過去への謝罪も、傷つけられた者や遺族たちが、集団として、現在もなお苦しみ続けているかぎり意味をなさない」。
ノーマ・フィールドの「戦争と謝罪」に出てくる一節です。
ノーマ・フィールドは、アメリカ人を父に、日本人を母に、アメリカ軍占領下の東京に生まれた、日本近代文化の研究者です。
昭和天皇が亡くなった後、彼女のルポ「天皇の逝く国で」が出版され、話題になった人です。
中谷さんの講演の報道を読みながら、この言葉を思い出しました。
この言葉は、日本の戦争責任に関するメッセージですが、企業不祥事にしろ刑事事件にしろ、あるいは行政に作為/不作為による事件にしろ、謝罪する人の姿をテレビで見る度に思い出します。
「謝罪」は、現状を変え、未来への働きかけがあればこそ、意味がありますが、謝罪だけでは何の意味もありません。
謝罪は、過去に向けられた言葉ではなく、未来に向けられた言葉なのです。
そして、相手に向けられた言葉ではなく、自らに向けられた言葉でもあります。
今日は雪が降っています。
格差社会の中で、居場所を失った人たちには無常な雪です。
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