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2009/02/10

■節子への挽歌527:年賀状への返事は反省です

節子
先月末に、年賀状の返事を書いたのですが、塚谷さんから丁重なお手紙とお線香が届きました。
私の手紙のせいで、よけいなお気遣いをさせたようで反省しました。
節子がいたら、ストップをかけるか、手紙の内容をもっと元気よいものに変えるか、いずれかだったでしょうね。
どうも節子のことになると自分しか見えなくなるようです。
自分だけが悲劇の主人公だという気分が、どこかに残っているのです。
恥ずかしい限りです。

塚谷さんは、東レ時代の先輩です。
といっても、東レ時代にはあまり接点はありませんでした。
私が東レを辞めて10年以上たった時、突然、湯島に来てくれました。
そして仕事を頼まれたのです。
当時、塚谷さんはある会社の社長でしたが、最後の仕事として会社の変革に取り組みたいというのです。
東レ時代、私は会社の企業文化変革活動に取り組ませてもらいました。
それが、私の人生を変え、もしかしたら節子の人生も変えました。
その活動を知っていて、塚谷さんは私のところに来てくれたのです。
塚谷さんは、湯島に来た時に、節子に会っています。
そのせいか、いつも会うたびに、奥さんによろしくと言ってくれました。
人間は単純なもので、仕事関係であろうとも、そうした人間的な一言が大きな動機づけになります。
塚谷さんの会社の仕事は塚谷さんの満足する結果になり、喜んでもらいました。

たまたまその仕事の窓口が、東レ出身者でしたが、私も節子も良く知っている人でした。
それで節子と一緒に京都に行く機会があったので、彼と3人で食事をしました。
節子とは30年以上ぶりの再開だったと思います。
塚谷さんのおかげでした。

塚谷さんは、今は会社を引退して、ご自身のことをまとめられた本を出版されるなど、ご自分の世界を悠々と楽しまれています。
奈良にお住まいですが、お寺も好きなので、充実した毎日なのでしょう。
その会社は京都の東寺の近くなのですが、京都駅から東寺を見ると、いつも塚谷さんを思い出します。

その塚谷さんから、お線香が届きました。
とても不思議なのですが、節子には一度しか会っていない人から節子の話を聞くことが時々あるのです。
一方、何回も会っているのに、節子の話が全く出てこない人もいます。
人の縁は、回数でも時間でもありません。
またまた自分中心の話ですが、節子の話がでるだけで、元気が出てくるのです。
恥ずかしいですが、それが現実なのです。

塚谷さんは、こう書いてきてくれました。

最愛の奥様とお別れになった貴兄のことを考えず無神経に賀状を出してしまいました。
申し訳ありません。
いやいや、謝るべきは私のほうですね。
私こそ、なんという無神経なことか。注意しなければいけません。

塚谷さんはこうも書いてきてくれました。湯

島の事務所でお会いしたことがありますが、本当に素晴らしい奥様でした。
これも恥ずかしいのですが、こういう節子への褒め言葉はすべて真に受けるようにしています。
たとえ事実に反していようともです。

塚谷さん
ありがとうございました。
心から感謝します。

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