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2009/02/09

■愛に支えられた社会とお金に支えられた社会

昨日書いた「お金があれば生きられるが、愛だけでは生きられないのか」の話を、挽歌編と絡ませながら続けます。

お金がなければ生きられない社会は、考えてみれば不思議な社会です。
お金は食べられませんし、お金があっても、それを何か「生きるために必要なもの」に誰かが交換してくれないと、何の役にも立ちません。
無人島に流された人にとっては、2兆円のお金を持っていても何の役にも立ちません。
それ自体何の価値もないお金に、私たちの生活が振り回されるのは、どう考えてもおかしな話です。

挽歌編にも書きましたが、私は47歳で会社を辞めました。
何の不安もなく会社を辞めたのは、資産があったからではありません。
愛し合っている妻がいたからです。
愛とは信頼でもあります。
どんな苦境に立たされても、2人の知恵と汗を出しあえば、生き抜けるだろうと確信していました。
お金にしがみついていたら餓死することもあるでしょうが、お金にしがみつかなければ、今の時代、何とかなる。
そう開き直って、次の仕事のあてもないのに会社を辞めたのです。
お金がなくなって、娘から借金したこともありますが、それから21年、生き続けています。
とても悲しいことに、妻は病気で一昨年、旅立ってしまいましたが、お金があってもそれは防げませんでした。

妻がいなくなって、私の生命力は極端に落ちた気がします。
しかし、娘たちがいたおかげで、何とか生き抜けました。
娘たちを、私は愛しています。
生きるために必要な愛は、愛される愛だけではなくて、むしろ愛する愛です。
引きこもりがちだった私を引き出して、元気を与えてくれたのは、私を愛してくれているたくさんの友人知人たちです。
私も、そうした友人知人を愛しています。
ですから、私は確信しています。
「生きるためには、お金よりも愛が大切だ」と。

生きていくために「仕事と家」が邪魔だったという姜さんのことを昨日書きました。
「仕事と家」が突然なくなって、生きるのが不安になっている人がたくさん出ています。
同じもの(仕事と家)が、生きる邪魔をしたり、生きる支えになったりします。
この違いはどこにあるのか。
おそらくそれは「愛」に関係しています。
姜さんはきっとたくさんの愛を育みながら生きてきたのでしょう。
だからいま、そのたくさんの愛に育まれているのです。

愛に支えられた社会とお金に支えられた社会があるような気がします。
どの社会に生きるかは、それぞれの人の好みかもしれません。
しかし私はやはり「愛に支えられた社会」に生きたいと思います。
日本にはまだそういうところがたくさんあります。
お金がなければ生きていけないと思っている人に、そういうことを知ってほしいと思います。
「愛に支えられた社会」に生きたい人が増えていけば、きっと社会は変わります。
昨日のワークショップで、こういうことを話せばよかったなと反省しています。

でもやはり「甘い」と怒られるかもしれません。
67歳だから、こんなことがいえるのでしょうか。

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