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2009/03/20

■節子への挽歌565:花より節子

節子
きみが好きだった花の季節がやってきました。
わが家の庭の花もにぎやかになってきました。
その狭い庭で、土作りや花の移植などをやっている節子がいないのがうそのようです。
節子が好きだったミモザも今年は元気に咲きましたし、パピルスも元気に育っています。
節子は、また花や鳥になってチョコチョコ戻ってくると書き残しましたが、どの花が節子なのか、探すのが大変です。

今日はお彼岸です。
彼岸に花見に行きたい気分ですが、此岸の花も今年はとても華やかです。
暖冬だったせいでしょうか。
花が咲き出すと不思議にこころもはなやぎます。
昨年はそんな気分にはなれませんでしたが、今年は少しだけ花を愛でる気分がでてきました。
それに、もしかしたら節子が戻ってきている花かもしれません。

いまでも節子の位牌は花に囲まれています。
花好きのジュンが毎日手入れしてくれているのです。
それに花がなくなりそうになると、不思議に誰かが花を届けてくれるのです。
「花になって戻ってくる」という節子の言葉が本当だと思えてしまうほどです。
いえ、疑っているわけではないのですが。

でも正直な気持ちとしては、たとえわが家の花がすべて枯れてしまってもいいから、節子に戻ってきてほしいです。
森山良子の歌に、「この広い野原いっぱい咲く花をひとつ残らずあなたにあげる」というのがありましたが、もし節子を返してくれるのであれば、私もそうしたい気分です。
世界中のすべての花よりも、たった一人の節子のほうが、私を元気にしてくれるでしょう。
世界から花がなくなっても、節子のほうがいいです。
みなさんにはご迷惑でしょうが。

どんなに庭の花が華やかでも、なにかが欠けている感じです。
節子がいてこその、わが家の花なのです。
節子が元気だった頃は、そんなことなど思ったこともなく、
カサブランカの花のほうが節子よりきれいだなと思ったりしていました。
しかしいまでは、どんな花も節子には勝てません。
節子の笑顔は、私には輝くように魅力的でした。

人間も多年草や木の花のように、季節が来るとまた華やかに戻ってくることができたらどんなにいいでしょうか。

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