■「対立」から価値を創発させる第三者の役割
先日、東京で行われたあるシンポジウムに参加した人たちと会ったら、NPOの人たちはとてもいい活動をしてくれているのだが、現場で活動している自分たちにはどうも違和感があると嘆いていました。
その言い方の後ろに、たくさんの思いがあるのを感じて、改めて当事者たちの活動を外部から支援することの難しさを感じました。
多くの場合、現場外の活動をしている人たちも、善意で真剣に取り組んでいますから、良い関係ができるといいのですが、おそらく現場で見える風景とマクロ的な見地から見えてくる風景はかなり違っているのでしょう。
だからこそ、それぞれの取り組みに価値があるわけですが、そのつながり方が難しいようです。
どうしても現場よりも、マクロ的に活動するほうが大きな力を得やすいからです。
現場をどう支援できるのかが、マクロ的に活動する人の基本姿勢でなければいけません。
それさえ忘れなければ、マクロ的な視点での活動は、必ず現場を力づけることになるでしょう。
しかし、時に現場の人たちを邪魔したりすることも起こります。
たとえば、都立七生養護学校「こころとからだの学習」事件です。
新聞でもかなり大きくとりあげられましたので、ご存知の方が多いと思いますが、知的障がいを持つ子どもたちの養護学校で教員たちが創意工夫を積み重ねて行っていた性教育の実践が、東京都の都議会議員や教育委員会の介入によって壊滅に追い込まれ、教員が大量処分されたという事件です。
詳細については、「こころとからだの学習」裁判支援サイトをご覧ください。
この事件については、私自身はあまり関心をもっていなかったのですが、友人から話を聞かされて、その意味を改めて考えさせられました。
私が一番残念だったのは、都議会議員の言動ではなく、その際にも同席していた教育委員会のその後の行動です。
新聞によれば議員の攻撃が起こる前までは、七生養護学校の事例は高く評価されており、東京都教育委員会でも、そこの教員を講師に招く研修会も開いていたそうです。
議員の介入が行われた後は、態度が一変したといいます。
現場の人たちが営々と築き上げてきたものを「権威ある部外者」が壊してしまうことは少なくありません。
そして、それを守る人が最近はめっきり少なくなってしまいました。
ゼロか100か。
「権力ある人」が、ある判断をすると、とたんにみんな言動を豹変させる状況が急速に社会を覆いだしています。
いずれの側に対しても、当事者とは違った視点で評価できる「第三者」がますます必要になってきているように思いますが、そうした「第三者」がいなくなりだしているのです。
それでは社会はもろくなってしまいます。
社会をもろくしないためには、第三者の存在を大事にしていくことが大切です。
これからはそうした「対立」をつなぎ、そこから新しい価値を「創発」する存在を増やしていかねばなりません。
そういう人こそが、これからの時代を造りだしていく人だろうと思います。
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