■節子への挽歌573:話を聴いてくれる人の存在の大切さ
節子
今日は報告です。
たまには元気さを書いておかないと読者に誤解されそうですので。
昨年末から活動がようやく持続的になってきました。
まだ仕事にまではたどりつけませんが、さまざまな相談事には対応できるようになってきました。
まだまだ私が役立たせてもらえることはあるようです。
節子と一緒だったころに比べれば勢いはありませんが、広がりは前と同じように出てきそうです。
個別テーマに深入りせずに、できるだけ多様な問題に、しかも多様な視点で関わっていくという、私のわがままな姿勢も回復できそうです。
ホームページのほうにも日曜日に書く予定ですが、5つほどのプロジェクトに取り組むことを決めました。
地元の我孫子ではプロジェクトT。
柔らかなメタNPOネットワークに向けて、しかし当面は秋のイベントに向けての取り組みです。
新しい出会いも広がっています。
節子がいたら一緒に出来たのにと、とても残念です。
節子も知っている東尋坊の茂さんたちと一緒に、全国の自殺多発地域で活動している人たちの柔らかなネットワークづくりにプロジェクトもスタートしました。
4月25日には、最初の公開フォーラムを開催します。
節子がいたら、これも一緒に事務局を引き受けられたプロジェクトです。
3つ目は、孤独死防止のテーマにつなげて、コミュニティ回復のプロジェクトです。
これはまだこれからですが、上のふたつがほぼ目処がついてきたので、少しきちんとコミットしていく予定です。
節子と長年取り組んできたオープンサロンは再開できずにいますが、少しスタイルを変えて、支え合いサロンをスタートさせようかと思っています。
これが4つ目ですが、これも何とか方向性が見えてきました。
5つ目は、まだ全く見えてこないのですが、子育て支援の分野です。
これが一番難題のようです。
10年前までは、この分野はそれなりに関わっていたのですが、時代は私が思っている方向に行きませんでした。
むしろ子育て分野は、少子化が話題になるにつれて市場経済化に向かっているように思います。
そこで私は興味を失ってしまいましたが、社会のすべての基本は子供をどう考えるかです。
スウェーデンの歴史が示唆に富んでいます。
こうしたプロジェクトに取り組むためには費用もかかりますし、何よりも生活のための収入が少し必要になりますので、おまけとして収入のあるプロジェクトにも取り組もうと思っています。
まあ、割ける時間があれば、ですが。
そんなわけで、毎日、めそめそしているわけではないのです。
節子がいたら、それぞれのプロジェクトの話がいろいろとできるのに、それができないのが最大のさびしさです。
できることは、まあこんな感じで挽歌やホームページに書くことくらいなのです。
人は話を聴いてくれる人がいるとやる気が高められるものだということを改めて実感しています。
持続力がなくなっていたのは、きっと話し相手の節子がいなくなったせいですね。
話を聴いてくれて、活動をシェアしてくれる人の存在は大きいです。
そうした存在を大切にする社会になってほしいと、心底思います。
今日は近況報告でした。
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